今昔、醍醐に蓮秀と云ふ僧有けり。



妻子を具せりと云へども、年来、懃に観音に仕けり。



日毎に観音品百巻をぞ読奉ける。



亦、常に賀茂の御社にぞ参ける。



而る間、蓮秀が身に重き病を受て、苦み悩む事限無し。



日来を経て、遂に死ぬ。



其の後、一夜を経て活ぬ。



妻子に語て云く、



「我れ、死て、高く嶮き峰を超て、遥の道を行きき。人の跡絶て、鳥の音をだに聞こえず。只極て怖し気なる鬼神をのみ見る。此の深き山を超畢てて、大なる河有り。広く深くして、怖し気なる事限無し。



其の河の此方の岸に、一人の嫗有り。



其の形、鬼の如く也。



甚だ怖ろし。



一の大□□□□□□□□に居たり。



□□□□□□□衣を懸たり。



而る間、此の嫗に鬼□□□□□□□□□□□河也。



『我れは、此れ三途河の嫗也。



汝ぢ速に衣を脱て、我れに得しめて、河渡るべし』と。



其の時に、蓮秀、衣を脱て嫗に与へむと為る間、四人の天童、俄に来て、蓮秀が嫗に与へむと為る衣を奪取て、嫗に云く、『蓮秀は、此れ法花の持者、観音の加護し給ふ人也。



汝ぢ、嫗鬼、何ぞ蓮秀が衣を得べきぞ』と。



其の時に、嫗鬼、掌を合せて、蓮秀を敬て、衣を得ず。



而る間、天童、蓮秀に語て云く、『汝ぢ、此をば知れりや。



冥途也。



悪業の人の来る所也。



汝ぢ、速に本国に返て、吉く法花経を読誦し、弥よ観音を念じ奉て、生死を離れて浄土に生れむ事を願へ』と教へて、蓮秀を具して将返る間、途中に亦二人の天童来り。



向て云く、『我等は、此れ賀茂の明神の、蓮秀が冥途に趣くを見給て、将返らしめむが為に遣す所也』と云ふと思ふ程に、活れる也」



と語る。



其の後、病忽に止て、飲食する事本の如し。



亦、起居軽くして、前に違はず。



其の後は弥よ法花経を読誦し、観音に仕けり。



亦、賀茂の御社に参けり。



神に在すと云へども、賀茂は冥途の事をも助給ふ也けり。



此くなむ語り伝へたるとや。