父の許に、多々に行たりけるに、父の殺生の罪を見て、歎き悲て、横川に返り上て、源信僧都の許に詣でて、語て云く、「己が父の有様を見給ふるに、極く悲き也。年は六十に余ぬ。残の命、幾に非ず。見れば、鷹四五十を繋て、夏飼せさするに、殺生量り無し。鷹の夏飼と云ふは、生命を断つ第一の事也。亦、河共に簗を打たしめて多の魚を捕り、亦、多の鷹を飼て、生類を食はしめ、亦、常に海に網を曳かしめ、数の郎等を山に遣て、鹿を狩らしむる事隙無し。此れは、我が居所にして為る所の殺生也。其の外に、遠く知る所々に宛て、殺さしむる所の物の員、計へ尽すべきに非ず。亦、我が心に違ふ者有れば、虫などを殺す様に殺しつ。少し『宜し』と思ふ罪には、足手を切る。『此る罪を造り積ては、後の世に何許なる苦を受ぬらむ』と思給ふるに、極て悲く思え候ふぞ。『此れ、『何で法師に成らむ』と思ふ心、付けむ』と思給ふれど、怖ろしく申し出すべくも無きに、此れ構て出家の心付させ給ひてむや。此く、鬼の様なる心にては候へども、止事無き聖人などの宣はむ事をば、信ずべき様になむ見え候ふ」と。
源信僧都、答て云く、「実に極て糸惜き事にぞ侍かし。然様の人、勧めて出家せしめたらむは、出家の功徳のみに非ず、多の生類を殺す事の止たらば、限無き功徳なるべし。然れば、己れ構へ試む。但し、己れ一人しては構へ難し。覚雲阿闍梨*・院源君などして、共に構ふべき事にこそ有つれ。其は、前立て多々に御して、居給たれ。己は、此の二人の人を倡て、修行する次に、和君の御するを尋ねて行たる様にて、其へ行かむ。其の時に、君、騒て、『然々の止事無き聖人達なむ、修行の次に、己れ問ひに坐したる』と守に宣へ。己等をば、聞て渡たらば、其れに驚き畏る気色有らば、君の宣はむ様は、『此の聖人達は、公けの召すだに、速に山を下ぬ人共也。其れに、修行の次に此に御したるは希有の事也。然れば、此る次に、聊の功徳造て、法を説かしめて、聞き給へ。此の人達の説き給はむを、聞き給てこそ、若干の罪をも滅し、命をも長く成し給はむ』と勧よ。然らば、其の説経の次に、出家すべき事を説き聞かしむ。只物語にも、守の身に染む許、云ひ聞かしめ進らむや」と云へば、源賢君、喜び乍ら、多々に返り行ぬ。
* 覚運か
「源賢君の許に、然々の人共なむ参たる。箕面の御山に参たるに、『此る便りに、何でか参らで有らむ』と思て参たる也」と、使入て、此の由を云へば、「疾く入らしめ給へ」と云て、源賢君、父の許に走り行て、「横川より、然々の聖人達なむ御したる」と云へば、守、「何に、何に」と云て、慥に問ひ聞て、「『糸止事無く貴き人達』と我も聞く。必ず対面*して、礼み奉らむ。極て喜き事也。御儲吉せよ。吉く□□へ」と云て、立ちに立て騒ぐ。
* 底本「対而」。誤植とみて訂正。
守、源賢君を以て、聖人の許に申す様、「怱ぎて其方に参るべきに、御し極じたらむに参たらむも、無心なるべければ、『今日は吉く息ませ給て、夕さり、御湯など浴させ給て、明日、参て自ら申さむ』と思給ふ。何で返らせ給ふべき」と。
源賢*、其の由を、返て、守に云へば、守、「糸喜き事也」と云ふに、源賢君、守に云く、「此の御したる三人の聖人達は、公の召にだに、参らぬ人共也。而るに、思の外に此く来り給へり。此の次でに、仏経をこそ供養せしめ給はめ」と。
* 底本頭注「源賢ノ下君字ヲ脱セルカ」
兼て、亦、「等身釈迦仏を造奉て、供養せむ」と、先づ罪の方の事共怱ぎて、于今、供養し奉ざりけるを、「此の次に供養せむ」とて、皆調へ立て、午未の時許に、寝殿の南面に仏経皆居へ懸け奉りて、「然らば、此方に御して、此れを申し上げ奉り給へ」と云はしめたれば、聖人達、皆渡て、院源君を講師として供養す。
説経畢ぬれば、守、聖人達の方に詣て、対面して云く、「然るべき縁に依て、此く俄に来り給ひて、限無き功徳を修めしめ給へれば、期の来るにこそ候めれ。年は罷り老ぬ。罪は員も知らず造り積て候ふ。今は法師に成なむと思給るを、今一両日御して、同くは仏道に入れ畢させ給へ」と云ければ、源信僧都、「極て貴き事也。仰の如く、何にも侍らむ。但し、明日こそ吉日に侍れ。然れば、明日、御出家候らはむこそ吉からめ。明日過なば、久く吉日侍らず」と云り。
守、「喜く貴き事也」と云て、手を摺て、我が方に返て、宗と有る郎等共を召して、仰せて云く、「我れは明日に出家しなむとす*。我れ、年来、兵の方に付て、聊に恙無かりつ*。而るに、兵の道を立む事、只今夜許也。汝等、其の心を得て、今夜許、我れを吉く護るべし」と。
* 底本「出家しなと」。誤植とみて訂正。
* 底本「恙無むかりすつ」。誤植とみて訂正。
* 底本「恙無むかりすつ」。誤植とみて訂正。
其の日は暮ぬれば、又の日、此の聖人達云ひ合する様、「此く道心発したる時は、狂ふ様に何に盛に発たらむ。此の次に、今少し発さしめむ」とて、兼て、「若し信ずる事もや有」とて、菩薩の装束をなむ、十具許持たしめたりける。
* 源満仲・多田満仲