今昔、何此の事にか有けむ。



清水に参たりける女の、幼き子を抱て、御堂の前の谷を臨立けるが、何しけるにか有けむ、児を取落して、谷に落入れてけり。



遥に振落さるるを見て、為べき様も無くて、御堂の方に向て手を摺て、「観音助け給へ」となむ迷ける。



「今は無き者」と思ひけれども、「有様をも見む」と思て、迷ひ下て見ければ、観音の「糸惜し」と思食けるにこそは。



露疵も無くて、谷の底の木の葉の多く落ち積れる上へに落懸りてなむ臥たりける。



母、喜び乍ら、抱き取て、弥よ観音を泣々く礼拝し奉けり。



此れを見る人、皆奇異がりて、喤けりとなむ語り伝へたるとや。