其の因幡河、量無く出たりける時、其の天井の上に、女二三人、童部四五人を登せ置たりける家の、水の宜き時にこそ柱の根も浮かで立てりけれ、天井も過て遥に高く水上にければ、残る家無く皆流れて、多の人、皆死にける中に、此女童部の登たる家の天井は、此の家共の中に強く構たりければ、柱は浮かで、屋の棟と天井との限り壊れ乱れずして、水に浮て船の様に流れて行ければ、逃去て、高き峰に登て、見る者共は、「彼の流れて行く者は助かりやせむずらむ。何が有らむずらむ」と云ひ沙汰しける程に、其の天井に食物などしける火を□にして、風の強く吹て屋の上の板に吹付にければ、「水に流されてや死なむずらむ」と思ふ程に、只燃に燃ければ、音を挙て叫び合たりけれども、助けに行く人無くて、見る程に燃畢にければ、人は皆焼死にけり。
「水に流れて行く間に、火に焼て死ぬる、奇異く有り難き事也」と見繚ける程に、其の中に十四五歳許なる童の、火を離て水に踊入て流れて行ければ、見る者、「彼の童の、火難をば離ぬれども、遂に生くべき様無し。彼の童人、遂に水に溺て死ぬべき報こそは有らめ」など云ける程に、童、流て行けるに、水の面に、草よりは短くて青き木の葉の有るを、障けるままに引たりければ、其れに引かれて流れざりけるに、此の引へたる木の葉の強く思ければ、其れに力を得て捜ければ、「木の枝也けり」と思へば、其の枝を強く引へて有る程に、其の河は出るかとすれば疾く水落る河にて、漸く水の干けるままに、其の引へたる木の只出来に出来ければ、枝の胯の出来たりければ、其の胯に直く居て、「水落ちなば、此れに助かるべき」なむど思ける程、日暮て夜に成にければ、つつ暗にして、物も見へざりければ、其の夜は明して、「水落てこそは木よりも下りめ」と思て、夜の遅く明るを、「いつしか」と待程に、夜明て漸く日出らむ程に見下しければ、目も及ばぬ雲居に為たる心地のしければ、「何なる事ぞ」と思に、吉く見下せば、遥なる峰の上より、深き谷に傾て生たる、木の枝無くて十丈許は上たらむと見ゆる木の、細き小枝の有るを引へて居たる也けり。
「水の難を免むと為る程に、火の難に合ぬ。火の難を免れむと為る程に、此く遥なる木より落て、身を砕て死なむと為る。悲き態かな」と思ふ程に、此の叫ぶ音を、人髴に聞付て、「此れは何なる音ぞ」と尋ける程に、木の枝なる童を見付て、「彼に居たる童は、昨日水の上にて焼しが中に、屋より漏て水に入し童にこそ有めれ。彼れをば何にして助けむと為る」と云けれども、力及ぶべき様無し。