今昔、紀伊の国伊都の郡に、坂上の晴澄と云ふ者有けり。
京に事有て上たりけるに、身に敵有ければ、緩まずして、我れも調度負ひ、郎等共にも調度負せなどして、人に手懸けらるべくもなくて、夜深更る程に物へ行けるに、下辺に、花やかに前追ふ君達の、馬に乗り次きたるに値ひぬ。
前を追ひ喤れば、晴澄、馬より下て居たるを、「弓□し*て、掻臥して候へ。かやかや*」と云ければ、手迷をして、弓共皆□しつ。
顔を土に付けて、皆居たるに、「此の君達過ぎ給ふ」と思ふ程に、晴澄より始めて、郎等・従者に至るまで、項の許に皆人来て、登て押臥す。
「此は何かに為る事にか有らむ」と思て、顔を仰て見上たれば、君達と見つるに、馬に乗たる者五六騎、甲冑を着、調度を負て、極く怖し気なる者共、箭を番て、「己は動かば射殺してむ」と云ふ。
少し動かば射殺されぬべければ、只此奴原の為るに任せて、打臥せられ、引起され、心に任せて、一人残さず皆着物を剥ぎ、弓・胡録も、馬・鞍も、大刀・刀も、履物に到るまで、悉く取て去ぬ。
然れば、晴澄、「緩まずして有ましかば、何なる盗人有とも、殺して許こそは、此は掕ぜられめ。手の限り戦て、搦むる様も有なむ。其れに、前を追ひ喤れば、畏まりて屈り居たるぞ、此くせむを何にかは為べき。此れは、我が兵の道に不運なるが致す所也」と云て、其れより後は武者も立てずして、脇乗の者に成てなむ有ける。
然れば、前追ふ人に値ふとも、吉く用意すべき事なりとなむ語り伝へたるとや。