相知たる人も無く、父母親類も無くて、行宿る所も無かりければ、人の許に寄て仕はれけれども、其れも聊なる思も無かりければ、「若し、宜き所にも有る」と、所々に寄けれども、只同様にのみ有ければ、宮仕へも否為で、為べき様も無くて有けるに、其の妻、若くして、形ち・有様宜くて、心風流也ければ、此の貧き夫に随て有ける程に、夫、万に思ひ煩て、妻に語ひける様、「世に有らむ限は、此て諸共にこそは思つるに、日に副ては貧さのみ増るは、若し共に有が悪きかと。各々試むと思ふを何に」と云ければ、妻、「我れは更に然も思はず。只前の世の報なれば、『互に餓死なむ事を期すべし』と思つれども、其れに此く云ふ甲斐無くのみ有れば、実に共に有るが悪きかと、別れても試よかし」と云ければ、男、「現に」と思て、互に云ひ契て、泣々く別れにけり。
其の後、妻は、年も若く形ち・有様も宜かりければ、□□の□□と云ける人の許に寄て仕はれける程に、女の心極て、風流也ければ、哀れに思て仕ける程に、其の人の妻、失にければ、此の女を親く呼び仕ける程に、傍に臥せなどして思悪*からず思えければ、然様にて過ける程に、後は偏に此の女を妻として有ければ、万を任せてのみぞ過ける。
* 「にく」底本異体字。りっしんべんに惡
女、弥よ微妙き有様にてなむ、年来過けるに、本の夫は、「妻を離れて試む」と思けるに、其の後は弥よ身弊くのみ成り増て、遂に京にも否居らで、摂津の国の辺に迷ひ行て、偏に田夫に成て、人に仕はれけれども、□□に下衆の為る、田作り・畠作り・木など伐など様の事をも、習はぬ心地なれば、否為で有けるに、仕ける者、此の男を難波の浦に葦を苅に遣たりければ、行て葦を苅けるに、彼の摂津の守、其の妻を具して摂津の国に下けるに、難波辺に車を留めて逍遥せさせて、多く郎等・眷属と共に物食ひ酒呑などして遊び戯けるに、其の守の北の方は車にして、女房などと共に、難波の浦の可咲くおもしろ*き事など見興じけるに、其の浦に葦苅る下衆ども多かりけり。
* 底本言偏に慈