申てもまうしても、ただ夢のよにて候に、あぢきなきまうねんなくて、佛の御おきて御ようい候べく候。
かやうの事申候へば、返々をこがましく、おちちりたらんためもかたはらいたく候へども、せめての御心ざしのあまりに、たちはなれまゐらせ候はん世のおぼつかなさに、これをやがて、わかれのはじめにてもや候らん。
しらぬ世にて候へば、その詞ともおぼしめし出候ばかりとおろかなる筆にまかせ候も、まづうきつらき涙におぼれて、なにごとを申候やらん。
それにつけても、御らんぜんたびごとに「あはれ。」とおぼしめし候へ。
いたづらごととおぼえ候へども、いさごの中にも玉はひとつかならずゆられてあるものにて候。
此ふみの中にもおのづから御覽*とまることも候はゞ、かならず御ようにたち候はんずるぞ。
扨も〳〵、をさなくより法文の師とたのみたる人の候しに、ひさしくかやうの事もうけ給はり候はねば、
「にごりにしづみて、みなわすれて候。」と申て候しに、
とものみやつこ*のあさぎよめ*いそがしくのみつとめ候やうに、あくごうのつもりたらんをつねにはらはんとおぼしめして、五ぢよくあくせ*の我ら、けうまん*けだい*の心しきりにおこり候へば、庭草のやうにたねをたえぬものにて候へども、たかきふしぎのぐわんは、あさぎよめするとものみやつこまで、つねにさたし、おこたりなく念佛だに申候へば、わうじやううたがひなくおぼしめし候へ。」と申され候し、
いづれのほうも詞こそたがひ候へども、此心はしきりにうとくへだたりやすく、わろき心はすすみちかづきたがるものにて候を、
わが心ながらもつねにざんげして、心ををしへ行候へば、しだいにたてなほさるゝものにて候。
わが心のまゝにふるまひ候はんにはいたづらごとにて候。
かゝることわりとはしりて、人ごとにまよふことにて候。