この大臣、ただいまの閑院の大臣におはします。



これ、九条殿の十一郎君、母、宮腹におはします。



皇子の御女をぞ、北の方にておはしましし。



その御腹に、女君一所、男君二所、女君は、一条院の御時の弘微殿の女御、今におはします、男一人は、三味噌都如源と申しし、失せ給ひにき。



いま一所の男君は、ただいまの右衛門督実成の卿にぞおはする。



この殿の御子、播磨守陳政の女の腹に、女二所、男一人おはします。



大姫君は、今の中宮権大夫殿の北の方、いま一所は源大納言俊賢の卿、これ民部卿と聞ゆ、その御子のただいまの頭中将顕基の君の御北の方にておはすめる。



男君をば、御祖父の太政大臣殿、子にし奉り給ひて、公政とつけ奉らせ給へるなり。



蔵人頭にて、いと覚えことにておはすめる君になむ。



この太政大臣殿の御有様かくなり。



帝、后、たたせ給はず。



このおほきおとどの御母上は、延喜の帝の御女、四の宮と聞えさせき。



延喜、いみじうときめかせ、思ひ奉らせ給へりき。



御裳着の屏風に、公忠の弁、



ゆきやらで
山路くらしつ
ほととぎす
いま一声の
聞かまほしさに
ゆきやらで
やまぢくらしつ
ほととぎす
いまひとこゑの
きかまほしさに


とよむは、この宮なり。



貫之などあまたよみて侍りしかど、人にとりては、すぐれてののしられ給ひし歌よ。



二代の帝の御妹におはします。



さて、内住みして、かしづかれおはしまししを、九条殿は女房をかたらひて、みそかに参り給へりしぞかし。



世の人、便なきことに申し、村上のすべらぎも、やすからぬことに思し召しおはしましけれど、色に出でて、咎め仰せられずなりにしも、この九条殿の御覚えの、かぎりなきによりてなり。



まだ、人々うちささめき、上にも聞し召さぬほどに、雨のおどろおどろしう降り、雷鳴りひらめきし日、この宮、内におはしますに、「殿上の人々、四の宮の御方へ参れ。



恐ろしう思し召すらむ」と仰せごとあれば、たれも参り給ふに、小野宮の大臣ぞかし、「まゐらじ。



御前のきたなきに」とつぶやき給へば、後にこそ、帝、思し召しあはせけめ。



さて殿にまかでさせ奉りて、思ひかしづき奉らせ給ふといへば、さらなりや。



さるほどに、この太政大臣殿をはらみ奉り給ひて、いみじうもの心ぼそくおぼえさせ給ひければ、「まろはさらにあるまじき心地なむする。



よし見給へよ」と男君につねに聞えさせ給ひければ、「まことにさもおはしますものならば、片時も後れ申すべきならず。



もし心にあらずながらへ候はば、出家かならずし侍りなむ。



また二つこと人見るといふことはあるべきにもあらず。



天がけりても御覧ぜよ」とぞ申させ給ひける。



法師にならせ給はむことはあるまじとや、思し召しけむ、小さき御唐櫃一具に、片つ方は御烏帽子、いま片つ方には襪を、一唐櫃づつ、御手づからつぶと縫ひ入れさせ給へりけるを、殿はさも知らせ給はざりけり。



さてつひに失せさせ給ひしには。



されば、この太政大臣殿は、生れさせ給へる日を、やがて御忌日にておはしますなり。



かの縫ひおかせ給ひし御烏帽子、御襪、御覧ずるたびごとに、九条殿しほたれさせ給はぬ折なし。



まことに、その後、一人住みにてぞやませ給ひにし。



このうみおき奉り給へりし太政大臣殿をば、御姉の中宮、さらなり、世の常ならぬ御族思ひにおはしませば、養ひ奉らせ給ふ。



内にのみおはしませば、帝もいみじうらうたきものにせさせ給ひて、つねに御前に候はせ給ふ。



何事も、宮たちの同じやうに、かしずきもてなし申させ給ふに、御膳召す御台のたけばかりをぞ、一寸おとさせ給ひけるを、けぢめに知ることにはせさせたひける。



昔は、皇子たちも、幼くおはしますほどは、内住みせさせ給ふことはなかりけるに、この若君のかくて候はせ給ふは、「あるまじきこと」と謗り申せど、かくて生ひたたせ給へれば、なべての殿上人などになずらはせ給ふべきならねど、若うおはしませば、おのづから、御たはぶれなどのほどにも、なみなみにふるまはせ給ひし折は、円融院の帝は、「同じほどの男どもと思ふにや、かからであらばや」などぞうめかせ給ひける。



かかるほどに、御年積らせ給ひて、また御孫の頭中将公成の君を、ことのほかにかなしがり給ひて、内にも、御車のしりに乗せさせ給はぬかぎりは、参らせ給はず。



さるべきことの折も、この君、遅くまかり出で給へば、弓場殿に、御先ばかり参らせ給ひて、待ち立たせ給へりければ、見奉り給ふ人、「など、かくては立たせ給へる」と申させ給へば、「いぬ、待ち侍るなり」とぞ仰せられける。



無量壽院の金堂供養に、東宮の行啓ある御車に候はせ給ひて、ひとみち、「公成思し召せよ、思し召せよ」と、同じことを啓させ給ひける、「あはれなるものから、をかしくなむありし」とこそ、宮仰せられけれ。



繁樹が姪の女の、中務の乳母のもとに侍るが、まうできて語り侍りしなり。



頭中将顕基の君の御若君おはすとかな。



五十日をば四条にわたし聞えて、太政大臣殿こそくくめさせ給ひけれ。



御舅の右衛門督ぞいだき聞え給へるに、この若君の泣き給へば、「例はかくもむづからぬに、いかなればかからむ」と、右衛門督立ち居なぐさめ給ひければ、「おのづから児はさこそあれ。



ましも、さぞありし」と、太政大臣殿宣はせけるにこそ、さるべき人々参り給へりける、皆ほほゑみ給ひけれ。



なかにも四位少将隆国の君は、つねに思ひ出でてこそ、今に笑ひ給ふなれ。



かやうにあまり古体にぞおはしますべき。



昔の御童名は、宮雄君とこそは申ししか。