この大臣、これ、大入道殿の御三郎、粟田殿とこそは、聞えさすめりしか。
長徳元年乙未五月二日関白の宣旨かうぶらせ給ひて、同じ月の八日失せさせ給ひにき。
大臣の位にて五年、関白と申して七日ぞおはしまししか。
この殿ばらの御族に、やがて世をしろしめさぬたぐひ多くおはすれど、またあらじかし、夢のやうにてやみ給へるは。
出雲守相如のぬしの御家に、あからさまにわたり給へりし折、宣旨は下りしかば、あるじのよるこびたうびたるさま、おしはかり給へ。
狭うて、ことの作法えあるまじとて、たたせ給ふ日ぞ、御よろこびも申させ給ふ。
殿の御前は、えもいはぬもののかぎりすぐられたるに、北の方の二条に帰り給ふ御供人は、よきもあしきも、数知らぬまで、布衣などにてあるもまじりて、殿の出したて奉りて、わたり給ひしほどの、殿のうちの栄え人のけしきは、ただ思しやれ。
御心地は少し例ならず思されけれど、おのづからのことにこそは、いまいましく今日の御よろこび申しとどめじと思して、念じて内に参らせ給へるに、いと苦しうならせ給ひにければ、殿上よりはえ出でさせ給はで、御湯殿の馬道の戸口に、御前を召してかかりて、北の陣より出でさせ給ふに、こはいかにと人々見奉る。
殿には常よりもとり経営して待ち奉り給ふに、人にかかりて、御冠もしどけなく、御紐おしのけて、いといみじう苦しげにておりさせ給へるを見奉り給へる御心地、出で給ふつる折にたとしへなし。
されど、ただ「さりとも」と、ささめきにこそささめけ、胸はふたがりながら、ここちよ顔をつくりあへり。
今の小野官の右大臣殿の御よろこびに参り給へりけるを、母屋の御簾をおろして、呼び入れ奉り給へり。
臥しながら御対面ありて、「乱れ心地、いとあやしう侍りて、外にはえまかり出でねば、かくて申し侍るなり。
年頃、はかなきことにつけても、心のうちによるこび申すことなむ侍りつれど、させることなきほどは、ことごとにもえ申し侍らでなむ過ぎまかりつるを、今はかくまかりなりて侍れば、公私につけて、報じ申すべきになむ。
また、大小のことをも申し合せむと思う給へれば、無礼をもえはばからず、かくらうがはしき方に案内申しつるなり」などこまやかに宣へど、
言葉もつづかず、ただおしあてにさばかりなめりと聞きなさるるに、「御息ざしなどいと苦しげなるを、いと不便なるわざかなと思ひしに、風の御簾を吹き上げたりしはさまより見入れしかば、さばかり重き病をうけとり給ひてければ、御色もたがひて、きららかにおはする人ともおぼえず、ことのほかに不覚になり給ひにけりと見えながら、ながかるべきことども宣ひしなむ、あはれなりし」とこそ、後に語り給ひたれ。
この粟田殿の御男君達ぞ三人おはせしが、太郎君は福足君とか申ししを、幼き人はさのみこそはと思へど、いとあさましう、まさなう、あしくぞおはせし。
東三条殿の御賀に、この君、舞をせさせ奉らむとて、習はせ給ふほども、あやにくがりすまひ給へど、よろづにをこづり、祈りをさへして、教へ聞えさするに、その日になりて、いみじうしたて奉り給へるに、舞台の上にのぼり給ひて、ものの音調子吹き出づるほどに、「わざはひかな、あれは舞はじ」とて、髭頬ひき乱り、御装束はらはらとひき破り給ふに、粟田殿、御色真青にならせ給ひて、あれかにもあらぬ御けしきなり。
ありとある人、「さ思へることよ」と見給へど、すべきやうもなきに、御舅の中関白殿のおりて、舞台に上らせ給へば、いひをこづらせ給ふべきか、また憎さにえたへず、追ひおろさせ給ふべきかと、かたがた見侍りしに、この君を御腰のほどに引きつけさせ給ひて、御手づからいみじう舞はせたりしこそ、楽もまさりおもしろく、かの君の御恥もかくれ、その日の興もことのほかにまさりたりけれ。
父大臣はさらなり、よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ。
かやうに、人のためになさけなさけしきところおはしましけるに、など御末かれさせ給ひにけむ。
この君、人しもこそあれ、蛇れうじ給ひて、その祟りにより、頭に物はれて、失せ給ひにき。
この御弟の次郎君、今の左衛門督兼隆の卿は、大蔵卿の女の腹なり。
大姫君は、三条院の三の皇子、敦平の中務の宮に、このきさらぎかとよ、婿どり奉り給へる、いとよき御中にておはしますめり。
その君の祭の日ととのへ給へりし車こそ、いとをかしかりしか。
桧網代といふものを張りて、的のかたに彩られたりし車の、横ざまのふちを、弓の形にし、縦ぶちを矢の形にせられたりしさまの、興ありしなり。
とをつらの
馬ならねども
君乗れば
車もまとに
見ゆるものかな
とをつらの
うまならねども
きみのれば
くるまもまとに
みゆるものかな
さて、よき御風流と見えしかど、人の口やすからぬものにて、「賀茂の明神の御矢めおひ給へり」と、いひなしてしかば、いと便なくてやみにき。
この君の、頭とられ給ひし、いといみじく侍りしことぞかし。
頭になりておどろきよろこび給ふべきならねど、あるべきことにてあるに、「粟田殿、花山院すかしおろし奉り、左衛門督、小一条院すかしおろし奉り給へり。
帝、春宮の御あたり近づかでありぬべき族」といふこと出できにしぞ、いと希有に侍りきな。
女君は、故一条院の御乳母の藤三位の腹に出でおはしましたりを、やがてその御時のくらべやの女御と聞えし。
後に、この大蔵卿通任の君の御北の方にて失せ給ひにしかし。
御嫡腹に、仏神に申してはらまれ給へりし君、今の中宮に、二条殿の御方とてこそは候ひ給ふめれ。
父殿、女子をほしがり、願をたて給ひしかど、御顔をだにえ見奉り給はずなりにき。
その殿の御北の方、栗田殿の御後は、この堀河殿の御子の左大臣に北の方にてこそは、年頃おはすと、聞き奉りしか。
されば、この栗田殿の御有様、ことのほかにあへなくおはしましき。
さるは、御心いと情なく恐ろしくて、人にいみじう怖ぢられ給へりし殿の、あやしく末なくてやみ給ひにしなり。
この殿、父大臣の御忌には、土殿などにもゐさせ給はで、暑きにことつけて、御簾どもあげわたして、御念誦などもし給はず、さるべき人々呼び集めて、後撰、古今ひろげて、興言し、遊びて、つゆ嘆かせ給はざりけり。
そのゆゑは、花山院をばわれこそすかしおろし奉りたれ、されば、関白をも譲らせ給ふべきなり、といふ御恨みなりけり。
傅の殿、この入道殿二所は、如法に孝じよて奉り給ひけりとぞ、承りし。