庚戌春三月、學問尼善信等、自百済還、住櫻井寺。
庚戌かのえ・いぬ春三月、學問尼善信等、百済より還り、櫻井寺に住む。


今豊浦寺也初櫻井寺云、後豊浦寺云
今の豊浦寺也初め櫻井寺と云い、後に豊浦寺と云う


曾我大臣云、豊浦大臣云云。
曾我大臣云う、豊浦大臣と云々。


觀勒僧正、惟(推)古天皇即位十年壬戌來之。
觀勒僧正、推古天皇の即位十年の壬戌みずのえ・いぬに來る。

獺祭註:惟(推)古天皇は原文「惟古天皇」に作るが、「推古天皇」であることは明白なので「推古天皇」に改める。
佛工鞍作鳥。
佛工ぶつし鞍作鳥くらつくりのとり


案祖父司馬達多須奈。
くらが祖父は司馬達しばたつ多須奈たすななり。

獺祭註:案は「鞍」に通じ、鞍作鳥のこと。「鞍作鳥の祖父は司馬達等(しばたつと)、父は多須奈(たすな)」の意であろう。
或本云、播磨水田、二百七十三町五段廿四歩云云。
或る本に云う、播磨の水田、二百七十三町五段廿四歩云々。


又本云、三百六十町云云。
また本に云う、三百六十町云々。


有本云、請願造寺、恭敬三寶。
有る本に云う、寺を造るを請願し、三寶を恭敬す。


十三年辛丑、春三月十五日、始浄土寺云云。
十三年辛丑かのと・うし、春三月十五日、始め浄土寺云々。


注云、辛丑年始平地、癸卯年立金堂之。
注に云う、辛丑かのと・うしの年、始めて地を平らげ、癸卯みずのと・うの年、金堂を立て云々。


戊申始僧住。
戊申つちのえ・さる、始めて僧住む。


己酉年三月廿五日大臣遇害。
己酉つちのと・とりの年の三月廿五日、大臣害に遇う。


癸亥年構塔。
癸亥みずのと・いの年、塔を構う。


癸酉年十二月十六日建塔心柱。
癸酉みずのと・とりの年、十二月十六日、塔の心柱を建つ。


其柱礎中作圓穴、刻浄土寺、中置有蓋大鋭一口、内晟種々珠玉。
其の柱の礎の中に圓き穴を作り、浄土寺を刻ね、中に蓋有る大鋭一口を置き、内に種々の珠玉を晟る。


其中有塗壷。
其の中に塗壷有り。


壷内亦晟種々珠玉。
壷の内にまた種々の珠玉を晟る。


其中有銀壷。
其の中に銀の壷有り。


壷中内有純金壷。
壷の中内に純金の壷有り。


其内有青■■瓶、其内納舎利八粒。
其の内に青■■瓶有り、其の内に舎利八粒を納む。


丙子年四月八日上露盤。
丙子ひのえ・ねの年の四月八日、露盤ろばんを上ぐ。


戊寅年十二月四日、鋳丈六佛像。
戊寅つちのえ・とらの年の十二月四日、丈六の佛像を鋳る。


乙酉年三月廿五日、點佛眼。
乙酉きのと・とりの年の三月廿五日、佛眼を點ず。


山田寺是也。
山田寺これ也。


注、承歴二年【戊午】、南一房冩之。
注す、承歴二年【戊午つちのえ・うま】、南一房を冩す。


直曜之本之。
直曜の本なり。


曾我日向子臣、字無耶志臣。
曾我日向子臣そがのひむかこのおみあざな無耶志臣むざしのおみ


難波長柄豊碕宮御宇天皇之世、任筑紫大宰帥也。
難波長柄豊碕宮なにはのながえのとよさきのみやあめのした御しめしし天皇の世、筑紫の大宰帥に任ず。


甲寅年十月癸卯朔壬子、爲天皇、起般若寺云云。
甲寅の年の十月、癸卯みずのと・うの朔の壬子みずのえ・ね、天皇の爲におもい、般若寺を起つ云々。


■■京時、定額寺之。
■■京時、定額寺云々。


曾我大臣。
曾我大臣。


推古天皇卅四年秋八月、嶋大臣【曾我也】臥病。

推古天皇の卅四年秋八月、嶋大臣【曾我也】病に臥す。


爲大臣之男女、并一千人■■■■。
大臣の爲に男女、并せて一千人■■■■。


又本云、廿二年甲戌秋八月、大臣病臥之。
また本に云う、廿二年甲戌きのえ・いぬの秋八月、大臣病に臥す。


卅五年夏六月辛丑薨之。
卅五年の夏六月辛丑かのと・うしに薨ず。