天が下穏やかにして山も動ぜす、峰の松平かにして風靜かに治まり、國家慶び長き時とかや。
天が下穏やかにして山も動ぜす、峰の松平かにして風靜かに治まり、國家慶び長き時とかや。
その比山城の國に、藪醫師の竹齋とて興がる瘦法師一人あり。
その比山城の國に、藪醫師の竹齋とて興がる瘦法師一人あり。
その身は貧にして、何事も心に任せざりければ、自ら心もまめならず。
その身は貧にして、何事も心に任せざりければ、自ら心もまめならず。
肌に淨衣を飾らねば、藪醫師とて人も呼ばず。
肌に淨衣を飾らねば、藪醫師とて人も呼ばず。
世中の例として、尊きを敬ひ、賤しきを敬はざれば、親しき中も遠くなる。
世中の例として、尊たつときを敬ひ、賤しきを敬はざれば、親しき中も遠くなる。
然れば都にありても益は無し。
然れば都にありても益は無し。
かしこきよりかしこからんはいろをかへよとろんごとやらんにもみえたり。
賢こきより賢からんは色を變へよと、論語とやらんにも見えたり。
又睨の介とて郞等一人あり。
又睨の介とて郞等一人あり。
彼を呼び出して申けるやうは、「汝存ずる如く、我藪醫師の名を得たりとはいへども、その身貧にして病者さらに近付かず。
彼を呼び出して申けるやうは、
「汝存ずる如く、我藪醫師の名を得たりとはいへども、その身貧にして病者さらに近付かず。
「汝存ずる如く、我藪醫師の名を得たりとはいへども、その身貧にして病者さらに近付かず。
所詮諸國を廻り、いづくにも心の留まらん所にすまばや」
所詮諸國を廻り、いづくにも心の留まらん所にすまばや」
と言ひければ、睨の介申けるは、
と言ひければ、睨の介申けるは、
「仰せの如く、かゝる憂き住居をし給はんより、一先づ田舎へも下り給ひて、いづくにも心の留まり給ふ所に住ませ給へ。
「仰せの如く、かゝる憂き住居をし給はんより、一先づ田舎ゐなかへも下り給ひて、いづくにも心の留まり給ふ所に住ませ給へ。
此睨の介もいづくまでも御供仕らん」
此睨の介もいづくまでも御供仕らん」
先づ〳〵京内參りを仕らんとて三條大橋うち渡りて、祇園林に差し掛ゝり、先づ淸水へ參りつゝ、鰐口てうど打ち鳴し、
先づ〳〵京内參りを仕らんとて三條大橋うち渡りて、祇園林に差し掛り、先づ淸水へ參りつゝ、鰐口てうど打ち鳴し、
「南無や大慈大悲の觀世音、さしも草さしも畏き誓ひの末違へ給はずば、我等を守らせ給へや。
「南無や大慈大悲の觀世音、さしも草さしも畏き誓ひの末違へ給はずば、我等を守らせ給へや。
千手の御誓ひには枯れたる木にも花咲くと承れば、此の身の果も賴もしく思ひ申也。假相得病早癒驗」
千手の御誓ひには枯れたる木にも花咲くと承れば、此の身の果も賴もしく思ひ申也。假相得病早癒驗」
と懇に祈誓して、一首詠じける。
と懇に祈誓して、一首詠じける。
誓ひなを
淸水寺の
瀧の絲の
繰り返しつゝ
祈る行末
ちかひなを
きよみづてらの
たきのいとの
くりかへしつつ
いのるゆくすゑ
「其の身御一體分身にましませば、取分け王難の苦しみを守らせ給ふと承る。或遭王難苦、臨刑欲壽終、念彼觀音力、刀尋段段壞」
「其の身御一體分身にましませば、取分け王難の苦しみを守らせ給ふと承る。或遭王難苦、臨刑欲壽終、念彼觀音力、刀尋段段壞」
と、祕文を唱へつゝ、山傳ひに鳥邊野に分け行きて、
と、祕文を唱となへつゝ、山傳ひに鳥邊野に分け行きて、
あはれげに
鳴きてぞ歸る
鳥邊野の
淚先立つ
道芝の露
あはれげに
なきてぞかへる
とりべのの
なみださきたつ
みちしばのつゆ
豐國大明神に參りて、そも〳〵當社大明神は、先の關白秀吉公の御靈跡なり。
豐國大明神に參りて、そも〳〵當社大明神は、先の關白秀吉公の御靈跡なり。
今時移り世變じて、社頭大破に及べり。
今時移り世變じて、社頭大破に及べり。
幾世とも
榮へもやらで
豐國の
古き宮井は
神さびにけり
いくよとも
さかへもやらで
とよくにの
ふるきみやゐは
かみさびにけり
大佛殿を伏し拜み、一首連ねけり。
大佛殿を伏し拜み、一首しゆ連ねけり。
ゆゝしげに
顏をば見せて
秀賴の
役には立たぬ
大佛かな
ゆゆしげに
かほをばみせて
ひでよしの
やくにはたたぬ
おほほとけかな
三十三間に參りつゝ、此御寺は白川の法王の御建立と承る。
三十三間に參りつゝ、此御寺は白川の法王の御建立と承る。
今とても
流れは絶えぬ
白川の
掬びし水は
法のためかは
いまとても
ながれはたえぬ
しらかはの
むすびしみづは
のりのためかは
さてそれより誓願寺に參り、二世安樂と伏し拜み、傳へ聞く、此誓願寺の御本尊は、每日一度西方淨土へ通ひ給ふとうけ給はれば、
さてそれより誓願寺に參り、二世安樂と伏し拜み、傳へ聞く、此誓願寺の御本尊は、每日一度西方淨土へ通ひ給ふとうけ給はれば、
西方へ
日々に通ふと
聞くからに
今日も佛の
留守にてやある
さいはうへ
ひびにかよふと
きくからに
けふもほとけの
るすにてやある
かうだうに、此處なん和泉式部が跡なりとて、石の印あり。
かうだうに、此處なん和泉式部が跡なりとて、石の印あり。
先づ〳〵京內參りを仕らんとて、三條大橋うち渡りて、祇園林に差し掛り、先づ淸水へ參りつゝ、鰐口てうど打ち鳴し、「南無や大慈大悲の觀世音、さしも草さしも畏き誓ひの末違へ給はずは、我等を守らせ給へや。千手の御誓ひには枯れたる木にも花咲くと承れば、此の身の果も賴もしく思ひ申也。假相得病早癒驗」と懇に祈誓して、一首詠じける。
先づ〳〵京內參りを仕らんとて、三條大橋うち渡りて、祇園林に差し掛り、先づ淸水へ參りつゝ、鰐口てうど打ち鳴し、「南無や大慈大悲の觀世音、さしも草さしも畏き誓ひの末違へ給はずは、我等を守らせ給へや。千手の御誓ひには枯れたる木にも花咲くと承れば、此の身の果も賴もしく思ひ申也。假相得病早癒驗」と懇に祈誓して、一首詠じける。
誓ひなを
淸水寺の
瀧の絲の
繰り返しつゝ
祈る行末
ちかひなを
きよみづてらの
たきのいとの
くりかへしつつ
いのるゆくすゑ