かくしつつ、明かしくらすほどに、つれづれも慰むやとて、和賀江の築島、三浦のみさきなどいふ浦々を行きて見れば、海上の眺望あはれを催して、こしかたに名高く面白き所々にも劣らずおぼゆ。



さびしさは
過ぎこしかたの
浦々も
ひとつながめの
沖のつり舟
玉よする
三浦がさきの
波間より
出でたる月の
影のさやけさ
さびしさは
すぎこしかたの
うらうらも
ひとつながめの
おきのつりふね
たまよする
みうらがさきの
なみまより
いでたるつきの
かげのさやけさ


そもそも鎌倉の初めを申せば、故右大將家ときこえ給ふ、水の尾のみかどの九つの世のはつえを猛き人に受けたり。



さりにし治承の末にあたりて、義兵をあげて朝敵をなびかすより、恩賞しきりに隴山の跡をつぎて將軍の召しを得たり。



營館をこの所にしめ、佛神をそのみぎりにあがめ奉るよりこのかた、いま繁昌の地となれり。



中にも鶴が岡の若宮は、松柏のみどりいよいよ茂く、蘋
ぱんのそなへ缺くることなし。



陪從を定めて四季の御神樂おこたらず、職掌に仰せて八月の放生會を行はる。



崇神のいつくしみ、本社に變らずときこゆ。



二階堂はことにすぐれたる寺なり。



鳳の甍、日にかがやき、鳧の鐘、霜にひびき、樓臺の莊嚴よりはじめて、林池のありとにいたるまで、殊に心とまりて見ゆ。



大御堂ときこゆるは、石巖のきびしきをきりて、道場のあらたなるを開きしより、禅僧、庵を並ぶ、月おのづから紙窓の觀をとぶらひ、行法、座をかさぬ、風とこしなへに金磬のひびきを誘ふ。



しかのみならず、代々の將軍以下、造りそへられたる松の社、蓬の寺、まちまちにこれ多し。



そのほか、由井の浦といふ所に、阿彌陀の大佛を作り奉るよし語る人あり。



やがていざなひて參りたれば、尊くありがたし。



事の起りをたづぬるに、もとは遠江の國の人、定光上人といふ者あり。



過ぎにし延應の頃より、關東のたかきいやしきを勸めて、佛像を作り堂舍を建てたり。



その功すでに三が二に及ぶ。



烏瑟たかく現はれて半天の雲に入り、白亳あらたにみがきて滿月の光をかがやかす。



佛はすなはち兩三年の功、すみやかに成り、堂は又十二樓の構へ、望むに高し。



かの東大寺の本尊は、聖武天皇の製作、金銅十丈餘の廬舍那佛なり。



天竺、震旦にもたぐひなき佛像とこそ聞ゆれ。



この阿彌陀は、八丈の御長なれば、かの大佛のなかばよりもすすめり。



金銅、木像のかはりめこそあれども、末代にとりては、これも不思議といひつべし。



佛法東漸のみぎりに當りて、權化、力を加ふるかと、ありがたくおぼゆ。