本野が原に打出でたれば、よもの望みかすかにして、山なく岡なし。
秦甸の一千餘里を見わたしたらんここちして、草土ともに蒼茫たり。
茂れる笹原の中に、あまた踏み分けたる道ありて、行くすゑも迷ひぬべきに、故武藏の前司、道のたよりの輩に仰せて植ゑおかれたる柳も、いまだ陰と頼むまではなけれども、かつがつ、まづ道のしるべとなれるもあはれなり。
もろこしの召公
せきは周の武王の弟なり、成王の三公として、燕といふ國をつかさどりき。
陜の西のかたを治めし時、一つの甘棠のもとをしめて政を行ふ時、つかさ人より初めて、もろもろの民にいたるまで、そのもとを失はず、あまねく又、人の患へをことわり、重き罪をもなだめけり。
國民こぞりてその徳政をしのぶ故に、召公去りしあとまでも、かの木を敬ひて敢へてきらず、歌をなん作りけり。
後三條天皇、東宮にておはしましけるに、學士實政、任國に赴く時、「州の民はたとひ甘棠の詠をなすとも、忘るることなかれ、多くの年の風月の遊び」といふ御製を賜はせたりけるも、この心にやありけん、いみじくかたじけなし。
かの前の司も、この召公の跡を追ひて、人をはぐくみ、物を憐むあまり、道のほとりの往還の蔭までも、思ひよりて植ゑおかれたる柳なれば、これを見むともがら、みなかの召公を忍びけん國の民の如くに惜みそだてて、行くすゑの蔭と頼まむこと、その本意は定めてたがはじとこそおぼゆれ。
植ゑおきし
ぬしなきあとの
柳原
なほそのかげを
人やたのまん
うゑおきし
ぬしなきあとの
やなぎはら
なほそのかげを
ひとやたのまん
豐川といふ宿の前を打過ぐるに、ある者のいふを聞けば、この道をば昔よりよくるかたなかりしほどに、近頃より俄かに渡津の今道といふかたに、旅人おほくかかる間、今はその宿は、人の家居をさへ外にのみ移すなどぞいふなる。
古きをすてて新しきにつく習ひ、定まれることといひながら、いかなる故ならんとおぼつかなし。
昔より住みつきたる里人の、今さら居うかれんこそ、かの伏見の里ならねども、荒れまく惜しくおぼゆれ。
おぼつかな
いさとよ川の
變る瀬を
いかなる人の
渡りそめけん
おぼつかな
いさとよかはの
かはるせを
いかなるひとの
わたりそめけん
山中に越えかかるほどに、谷川の流れおちて、岩瀬の波ことごとしく聞ゆ。
岩づたひ
駒うち渡す
谷川の
音もたかしの
山に來にけり
いはづたひ
こまうちわたす
たにかはの
おともたかしの
やまにきにけり
橋本といふ所に行きつきぬれば、聞きわたりしかひありて、景色いと心すごし。
南には潮海あり、漁舟、波に浮ぶ、北には湖水あり、人家、岸につらなれり。
その間に洲崎遠くさしいで、松きびしく生ひつづき、嵐しきりにむせぶ。
行く人、心をいたましめ、とまるたぐひ、夢をさまさずといふことなし。
行きとまる
旅寢はいつも
變らねど
わきて濱名の
橋ぞすぎうき
ゆきとまる
たびねはいつも
かはらねど
わきてはまなの
はしぞすぎうき
軒ふりたるわらやの、ところどころまばらなるひまより、月のかげくもりなくさし入りたる折しも、君どもあまた見えし中に、少しおとなびたるけはひにて、「夜もすがら床のもとに青天を見る」と忍びやかに打詠じたりしこそ、心にくくおぼえしか。
ことのはの
深きなさけは
軒端もる
月の桂の
色に見えにき
ことのはの
ふかきなさけは
のきはもる
つきのかつらの
いろにみえにき