又、あぜちどの高明よりもゝぞののきたのかたの御もとに、あふみのきたのかたの御ふみ、
いかに世中をおぼしめしますらむに、をさなききみたちをみたてまつり給に、かなしくおぼすらむ。
されど、やまにだにおはしませば、たのもしくおぼしめすらん。
ここにこそ、人かずに侍らねど、ちゝなしごをもてわづらひぬれ。
まづかの山御すまひのあはれなるをなん、「さとへいで給まじ。」とあるはまことか。
あし引の
山に年へむと
思へども
都戀しく
ならば出なん
あしびきの
やまにとしへむと
おもへども
みやここひしく
ならばいでなん
たとふべきことにはあらねど、しでの山いりにしおきなどもの、としをふれどあふことなくはべれ*。
きたのかた、ひめぎみに「かくなん。」ときこえたまへれば、ひめぎみの御かへりきこえ給、
宮古をば
厭ひて山に
入ぬれど
戀しからねば
思ひ出じを
みやこをば
いとひてやまに
いりぬれど
こひしからねば
おもひいでじを