さて、かのもゝぞののひめぎみ*、少將の御そでに涙のかゝりぬれたりければ、


* 藤原師氏女
ほの〴〵と
あけの衣を
けさみれば
草葉か袖は
露のかゝれる
ほのぼのと
あけのころもを
けさみれば
くさばかそでは
つゆのかかれる


はき給し御はかしのまくらがみなるをみたまひてもなき給ふ。



さぶらふ人々、上下「かの御身よりなみだのながれいでぬる。」ときこえ給ければ、ひめぎみ、



つの國の
ほりえに深く
物思へ
ばみより涙
も出る成らん
つのくにの
ほりえにふかく
ものおもへ
ばみよりなみだ
もいづるならん


ひと〴〵きたの*後出「中納言どの師氏の北の方」か。


*後出「中納言どの〈師氏〉の北の方」か。
にきこえ給ければ、あはれがりたまひて、



ともすれば
涙を流す
君は猶
みをすみがまの
こまもたえせぬ
ともすれば
なみだをながす
きみはなほ
みをすみがまの
こまもたえせぬ

少時
又、少將のつねに見たまひし御かゞみをひめぎみ見たまひて、「ほふしはかゞみはみぬか。」とて、かはしき*皮籠の底敷か。


*皮籠の底敷か。
のしたにいれ給。



常にみし
鏡の山は
いかゞある
と形かはれる
影もみよかし
つねにみし
かがみのやまは
いかがある
とかたかはれる
かげもみよかし


やまにもてまゐりたる御ふみに、いとあはれおほかる御かへりに



鏡山
君が影もや
そひたると
みれば形は
ことにぞ有ける
かがみやま
きみがかげもや
そひたると
みればかたちは
ことにぞあける


たれ〴〵もかのひめ君の御なげきをあはれがりたまひけり。



もゝぞののことにきこゆるに、をとこ君つねにおはしてあはれがり給。



御ふみにてもありけり。



ひめ君なほ、



「世のなか心うし。あまになりなん。」とのたまふをきゝて、少將のきみ、



尼にても
同じ山には
えしもあらじ
猶世中を
恨てそへむ
あまにても
おなじやまには
えしもあらじ
なほよのなかを
うらみてそへむ


かへし、



袖の浦に
みをうしほやく
蜑なれば
みるめがつかで
あらむ物かは
そでのうらに
みをうしほやく
あまなれば
みるめがつかで
あらむものかは