さて、このひめぎみ、「山のきみのおこなひたまふらむ。
われいを魚くはんこそゆゝしけれ。」とて、御さうじ精進をぞなほしたまひける。
山のきみきこしめして、「あはれ。」とおぼして、こゝかしこよりをかしきさうじ物まゐらせたるは、時々たてまつり、おふ歟くろにかひ*におきひ歟たるめ*をはじめていれたり。
又、四月つごもりばかりに、うぐひすのす三つばかり、むめすぢ*数条か。
頼みなく
はかなくみゆる
我故に
君が詠めを
思ひやる哉
たのみなく
はかなくみゆる
わがゆゑに
きみがながめを
おもひやるかな
*後出「しのびきこゆるかひもありけるかな。」がこれに続くか。
しほうらこえぬ山なれど、こゝろざしありて、おひいでたるめぞや。
わがすみか
君は床しく
思ほえず
あな鶯の
すの内をみよ
わがすみか
きみはとこしく
おもほえず
あなうぐひすの
すのうちをみよ
鶯の
すの内見ても
ねをぞなく
君が住家は
是かと思へば
うぐひすの
すのうちみても
ねをぞなく
きみがすいへは
これかとおもへば
さて、中納言どの師氏ゝ北の方、このきみの御そうぞく、けさよりはじめて、ひとくだりせさせ給て、これやまへたてまつりければ、*山へたてまつり給ふ。この御ぞどものいとあはれなれば、「わすれてはたれがことぞ。」とおぼめかれつる。
君がきし
きぬにしあらねば
墨染の
覺束なさに
なきて立つる
きみがきし
きぬにしあらねば
すみぞめの
おぼつかなさに
なきてたちつる
奧山の
苔の衣に
くらべみよ
いづれか露の
おきは勝ると
おくやまの
こけのころもに
くらべみよ
いづれかつゆの
おきはまさると
やまぶしは、こけのころもなどのみこそ身にはそひたれ。
これはみにもあはぬものどもなれど、御こゝろざしあるものどもにてなむたまはりぬる。
むかしのきものにもあらねばや、おぼめいたまひつらむ。
わいても、こと人のころもがえやしたまふらむ、あたらしくそでぬれぬ。
まことや、すみぞめのきぬはきたまふなればにや、いとゞぬれまさりてなん。
侘ぬれば
くものよそ〳〵
墨染の
衣の裾ぞ
露けかりける
わびぬれば
くものよそよそ
すみぞめの
ころものすそぞ
つゆけかりける
露霜は
あした夕に
おく山の
苔のころもは
風もとまらず
つゆしもは
あしたゆふべに
おくやまの
こけのころもは
かぜもとまらず
となんありける。「さらに京にいでじ。」とぞの給ひける。
これを、このひめぎみ・あいみや、おぼつかながりたまふ。
はゝ君・ちゝおとゞをなむ、いと〳〵よくこひたてまつりたまひける。
あいみやの御もとに、もゝぞののおほひめ君のたてまつり給ける。
物思ひ
のやむよも無て
程經れば
忘るゝ事も
しゐのわかきか
ものおもひ
のやむよも無て
ほどへれば
わするることも
しゐのわかきか
たちはきたるをみれば、ゑにかきたるさへなむかなしう侍ける。
けふの御かたちはしらず、むかしのみおも影には見え給。
つれ〴〵の御すまひなればにこそ*、おもひすてられける。
獨のみ
眺むる宿の
つまごとに
忍ぶの草ぞ
生まさりける
ひとりのみ
ながむるやどの
つまごとに
しのぶのくさぞ
おひまさりける
これよりも聞えむとおもう給ふれど、袖ぬらすながめにあかしくらすほどに、おこたり侍にける。
おやたちにおくれたてまつりたるに、ましてかゝるものおもひのそひて侍ば、おぼしやれ。
よもぎのしげきやどにたちより給ひて、あはれとの給ひし御すがたの見えねば、月日のふるまゝにいとあはれに侍。
かたちことになり給へらむ御すがたを、時々見えたまはゞ、なぐさむよを「ねたし。」*
茂ります
しのぶの上に
置そふる
我み一つは
露の程にぞ
しげります
しのぶのうへに
おきそふる
われみひとつは
つゆのほどにぞ