役優婆塞者、大和國人也。
役優婆塞は、大和の國の人なり。


修行佛法、神力無邊。
佛法を修行し、神力無邊なり。


昔登富士山頂、後住吉野山。
昔富士の山頂に登り、後吉野山に住む。


常遊葛木山、好其嶮岨。
常に葛木山に遊び、その嶮岨を好む。


欲令諸鬼神、造亘石橋於兩山上。
諸鬼神に令し、石橋を於兩山上に造り亘さんと欲す。


皆應咒力、漸成基趾。
皆咒力に應じ、漸く基趾を成す。


行者性太褊急、譴責不日也。
行者性太だ褊急にして、譴責すること不日なり。


一言主神容貌太醜。
一言主の神は容貌太だ醜し。


謂行者曰、爲慚形顏、不得晝造。
行者に謂ひて曰く、形顏を慚づるがために、晝造ることを得ずと。


行者敢不許止。
行者敢へて止むるを許さず。


神詫宣於帝宮曰、役優婆塞將謀反。
神於帝宮に詫宣して曰く、役優婆塞まさに謀反せんとすと。


公家捕其母。
公家その母を捕らふ。


役優婆塞不堪孝敬、自來繋獄。
役優婆塞孝敬に堪へず、自ら來りて獄に繋がる。


後逢赦得出、即縛一言主神、置於澗底。
後赦に逢ひて出づることを得、すなはち一言主の神を縛し、於澗底に置く。


今見爲葛所纒七匝。
今に葛の纒はる所と爲ること七匝りなるを見る。


萬方遂不解、呻吟之聲歴年不絶。
萬方も遂に解けず、呻吟の之聲年を歴て絶えず。


令其扶之石、住吉野葛木山、各十餘枚。
それをして扶けしむる之石、住吉野と葛木山と、各十餘枚なり。


引其母而乘鐵鉢、浮海而去。
その母を引きて鐵の鉢に乘り、海に浮びて去る。


不用舟檝、不知何之。
舟檝を用ゐず、いづくに之けるかを知らず。


後本朝僧道照到高麗説法。
後本朝の僧道照高麗に到り説法す。


聽法之中、有和語者。
聽法の之中に、和語する者有り。


此行者也。
これ行者なり。


漸經百餘年。
漸く百餘年を經。


道照大驚、下座問訊。
道照大に驚き、下座して問訊す。


殊無所答。
殊に答ふる所なし。


不復來。
復た來らず。


事見都良香吉野山記。
事は都良香の吉野山の記に見ゆ。


今畧記之。
今これを畧記す。


泰澄者、賀州人也。
泰澄は、賀州の人なり。


世謂之越小大德。
世にこれを越の小大德と謂ふ。


神驗多端也。
神驗多端なり。


雖萬里地、一旦而到。
萬里の地といへども、一旦にして到る。


無翼而飛。
翼なくして飛ぶ。


顯白山之聖跡、兼作其賦。
白山の之聖跡を顯し、兼ねてその賦を作る。


于今傳於世。
今に于於世に傳はる。


到吉野山、欲解一言主之縛、試苦加持。
吉野山に到り、一言主の之縛を解かんと欲し、苦ろに加持を試む。


三匝已解。
三匝りは已に解けたり。


暗有聲叱之。
暗に聲有りてこれを叱す。


繋縛如元。
繋縛元のごとし。


又向諸神社、問其本覺。
又諸の神社に向ひ、その本覺を問ふ。


於稻荷社、數日念誦。
稻荷社に於て、數日念誦す。


夢有一女、出自帳中告云、本體觀世音。
夢に一女有り、出て帳中より告げて云く、本體は觀世音なり。


常在補陀洛、爲度衆生故、示現大明神。
常に補陀洛に在り、衆生を度せんが爲めの故に、大明神と示現すと。


詣阿蘇社。
阿蘇の社に詣づ。


有九頭龍王、現於池上。
九頭龍王有り、於池上に現はる。


泰澄曰、豈以畜類之身、領此靈地乎。
泰澄曰く、豈に畜類の之身をもつて、この靈地を領せんや。


可示眞實。
眞實を示すべしと。


日漸欲晩。
日漸く晩れんと欲す。


有金色三尺千手觀音、現於夕陽之前、池水之上。
金色の三尺の千手觀音有り、於夕陽の之前、池水の之上に現はる。


泰澄經數百年不知其終。
泰澄數百年を經てその終りを知らず。


都藍尼者、大和國人也。
都藍尼とらんには、大和の國の人なり。


行佛法得長生。
佛法を行じ長生を得。


不知幾百年。
幾百年なるを知らず。


住吉野山麓、日夜精勤。
吉野山の麓に住み、日夜精勤す。


欲攀上金峰山。
金峰山に攀じ上らんと欲す。


雷電霹靂、遂不得到。
雷電霹靂し、遂に到るを得ず。


此山、以黄金敷地。
この山は、黄金をもつて地に敷く。


爲待慈尊出世、金剛藏王守之、兼爲戒地。
慈尊の出世を待つがために、金剛藏王これを守り、兼ねて戒の地と爲す。


不通女人之故也。
女人を通ぜざる之故ゆゑん也。


所持之杖變爲樹木、所拘之地陷爲水泉。
持つ所の之杖は變じて樹木と爲り、拘る所の之地は陷て水泉と爲る。


爪跡猶存。
爪の跡なほ存すと。


敎待和尚者、近江國志賀郡人也。
敎待和尚は、近江の國志賀の郡の人なり。


雖及數百年、容顏如元。
數百年に及ぶといへども、容顏元のごとし。


唯愛少年女子、兼食魚肉。
唯し少年の女子を愛し、兼ねて魚肉を食らふ。


口悉吐之、變成蓮葉。
口悉くこれを吐けば、變じて蓮の葉と成る。


後逢智證大師、讓園城寺地曰、待君來、守此勝地。
後智證大師に逢ひ、園城寺の地を讓りて曰く、君の來たるを待ち、この勝地を守る。


自今可被弘佛法。
今より佛法を弘め被るべしと。


言訖而失。
言ひ訖りて失せぬ。


弘法大師、諱空海、讃岐國人也。
弘法大師は、諱空海、讃岐の國の人なり。

Часть 1
出家得度、師事僧正勤操。
出家得度し、僧正勤操に師事す。


初學三論・法相、後入金剛乘、遂入唐朝、極眞言奧旨。
初め三論・法相を學び、後金剛乘に入り、遂に唐朝に入り、眞言の奧旨を極む。


以惠果和尚爲師。
惠果和尚をもつて師と爲す。


兩界三部之道、諸尊衆聖之儀、自此弘於我土。
兩界三部の之道、諸尊衆聖の之儀、此より於我が土に弘まる。


然則大日如來七代之弟子、本朝最初阿闍梨也。
然ればすなはち大日如來七代の之弟子にして、本朝最初の阿闍梨なり。


事見別傳。
事は別傳に見ゆ。


不能甄録。
甄録する能はず。


惠果和尚、吾久待汝。
惠果和尚、吾久しく汝を待てり。


吾法悉授汝。
吾が法を悉く汝に授けん。


是十地中第三地菩薩也。
これ十地中第三地の菩薩なり。


努力自愛。
努力して自愛せよ。


吾必爲汝弟子、託生東土。
吾必ず汝が弟子と爲り、生を東土に託せんと。


大師於唐朝、投一鈴杵、卜本朝勝地、一墜東寺、一落紀伊國高野山、一落土佐國室生戸山。
大師の唐朝に於て、一鈴杵を投げ、本朝の勝地を卜するに、一は東寺に墜ち、一は紀伊の國高野山に落ち、一は土佐の國室生戸山に落つ。


歸朝後相尋弘佛法。
歸朝後相尋ねて佛法を弘む。


修因僧都讀咒護國界經、施神驗。
修因僧都護國界經を讀咒し、神驗を施す。

Часть 2
*西寺の守敏と伝える。
昔遣護法於唐朝、偸惠果傳法。
昔護法を於唐朝に遣はし、惠果の傳ふる法を偸む。


大師頗得其心曰、有竊法之者。
大師頗るその心を得て曰く、竊法の之者有りと。


仍受金剛界之時、別結界火焔遶郭不得入。
仍て金剛界を受くる之時、別に界を結び火焔郭を遶つて入ることを得ず。


纔聞胎藏而還。
纔かに胎藏を聞きて還る。


及大師歸朝、常以相挑。
大師歸朝するに及び、常にもつて相挑む。


遞欲調伏、共行壇法。
遞に調伏せんと欲し、共に壇法を行ふ。


大師陽死。
大師陽りて死す。


修因疑令人伺見。
修因疑ひて人をして伺ひ見しむ。


弟子涕泣、行喪家儀。
弟子涕泣し、喪家の儀を行ふ。


又令見予弟子等、運葬斂之眞。
又予弟子等をして、葬斂を運ぶの之眞なるかを見しむ。


修因信之、涕泣良久、行懺悔之法。
修因これを信じ、涕泣すること良や久しく、懺悔の之法を行ふ。


大師更行調伏法七日、修因頓受瘡而死。
大師更に調伏の法を行ふこと七日、修因頓に瘡を受けて死す。


大師又行懺悔法七日、降三世顯於鑪壇曰、我是修因也。
大師又懺悔の法を行ふこと七日、降三世於鑪壇に顯はれ曰く、我はこれ修因なり。


爲令顯揚汝法、權成怨敵也。
汝が法を顯揚せしめんがために、權に怨敵と成るなり也と。


大師兼善草法。
大師兼ねて草法をよくす。

Часть 3
昔左右手足及口秉筆成書。
昔左右の手足及び口にて筆を秉り書を成す。


故唐朝謂之五筆和尚。
故に唐朝にてはこれを五筆和尚と謂ふ。


帝都南面三門竝應天門額大師所書也。
帝都の南面の三門竝びに應天門の額は大師の書く所なり。


其應天門額、應字上點故落之。
その應天門の額の、應の字の上の點故とこれを落とす。


上額之後、遙投筆書之。
額を上ぐる之後、遙かに筆を投げてこれを書す。


朱雀門額又有精靈。
朱雀門の額又精靈有り。


小野道風難之曰、可謂米雀門。
小野道風これを難じて曰く、米雀門と謂ふべしと。


夢有人、來稱弘法大師使、踏其首。
夢に人有り、來りて弘法大師の使ひと稱し、その首を踏む。


道風仰見、履鼻入雲、不見其人。
道風仰ぎ見れば、履の鼻雲に入り、その人を見ず。


陰陽寮額、三度書之。
陰陽寮の額は、三度これを書す。


始書後、夢有神人曰、此額太凡。
始めて書する後、夢に神人有りて曰く、この額太だ凡なり。


可被改。
改め被るべしと。


後改書書之。
後書を改めてこれを書す。


又夢此額太畏。
又この額を夢みるに太だ畏る。


不堪過過此下、改書仍改書。
過この下を過ぐるに堪へずして、書を改め仍た書を改む。


木工寮額、寮頭造門。
木工寮の額は、寮頭に門を造る。


打額有日。
額を打ちて日有り。


令寮官請額於大師。
寮官をして額を於大師に請はしむ。


使違期不能謁大師。
使ひ期を違へ大師に謁すること能はず。


仍祈念曰、大師大權之人也。
仍て祈念して曰く、大師は大權の之人なり。


借五筆勢、使下拙掌之。
五筆の勢を借り、下拙をしてこれを掌らしめよと。


殆如大師之自書。
殆んど大師の之自書のごとし。


又善於文筆。
又於文筆に善し。

Часть 4
多作遺文。
多く遺文を作す。


爰有性靈集七卷。
爰に性靈集七卷有り。


昔於神泉苑行請雨經法。
昔神泉苑に於て請雨の經法を行ふ。


修因咒諸龍入瓶中。
修因諸に咒して龍を瓶中に入らしむ。


仍久不得驗。
仍て久しく驗を得ず。


大師覺其心、請阿耨達池善如龍王。
大師その心を覺り、阿耨達池の善如龍王を請ず。


金色小龍乘丈餘蛇、有兩蛇龓。
金色の小龍丈餘の蛇に乘り、兩蛇とも龓有り。


於是大雨。
是に於て大雨あり。


自是以神泉苑、爲此龍住所、兼爲行祕法之地。
是より神泉苑をもつて、この龍の住所と爲し、兼ねて祕法を行ふ之地と爲す。


自唐朝賷如意寳珠以來我朝。
唐朝より如意寳珠を賷し、もつて我朝に來る。

Часть 5
此殊在所、幷惠果後身、彼宗深所祕也。
この殊の在る所、幷びに惠果の後身は、彼の宗の深く祕する所なり。


後於金剛峰寺、入金剛定、于今存焉。
後金剛峰寺に於て、金剛定に入り、今于存す。


初人皆見鬢髪常生、形容不變。
初め人皆鬢髪常に生じ、形容變らざるを見る。


穿山頂、入底半里計、爲禪定之室。
山頂を穿ち、底に入ること半里計りを、禪定の之室と爲す。


彼山于今無烏鳶之類・諠譁之獸、兼生前之誓願也。
彼の山今于烏鳶の之類・諠譁の之獸無きは、兼ねて生前の之誓願なり。


常稱曰、弘佛法、以種姓爲先。
常に稱して曰く、佛法を弘むるは、種姓をもつて先と爲すと。


故彼宗、親王・公子相繼不絶。
故に彼の宗は、親王・公子相繼ぎて絶えず。


寛平法皇受灌頂於此宗後、仁和寺最多王胤。
寛平法皇灌頂を於この宗に受けて後、仁和寺最も王胤多し。


圓融天皇入御地、誠是一宗之光華也。
圓融天皇の御地に入るは、誠にこれ一宗の之光華なり。


或曰、大師已得證究竟大覺位。
或ひと曰く、大師已に證を得究竟大覺の位なり。

Часть 6
本朝之面目、何事過之。
本朝の之面目、何事か之に過ぎんと。


大師之心行、多見於遺告廿二章。
大師の之心行、多く於遺告廿二章に見ゆ。


不可重諭。
重ねて諭すべからず。


延喜之比、始賜諡號。
延喜の之比、始めて諡號を賜ふ。


彼宗之人起請曰、除大師之外、不可賜諡號。
彼の宗の之人起請して曰く、大師を除く之外、諡號を賜ふべからず。


仍雖多智德、所不申請也。
仍て智德多しといへども、申請せざる所なり。


内供奉十禪師者、天台宗人。
内供奉十禪師は、天台宗の人なり。


雖任僧綱、猶不去之。
僧綱に任ずといへども、なほこれを去らず。


大師曰、有兩鉢之咎。
大師曰く、兩鉢の之咎有り。


不可專然。
專ら然るべからずと。


仍任僧綱後、必去内供。
仍て僧綱に任ずるの後、必ず内供を去る。


眞如親王者、大同太子。
眞如親王は、大同の太子なり。


後出家爲大師弟子。
後出家して大師の弟子と爲る。


太朗眞言、後入唐朝、更向印土。
太だ眞言に朗らかなり、後唐朝に入り、更に印土に向ふ。


爲求法也。
法を求めんが爲めなり。


送書於大師曰、雖多明師、不過大師。
書を於大師に送つて曰く、明師多しといへども、大師に過ぎず。


雖多高閣、不過大極殿云々。
高閣多しといへども、大極殿に過ぎずと云々。


爰知、作吾土之人、猶過月氏・漢家之人。
爰に知る、吾が土の之人と作るは、なほ月氏・漢家の之人に過ぐるがごとしと。


東寺僧求長生、仕夜叉神。
東寺の僧長生を求め、夜叉神に仕ふ。


慕白日昇天、仙神可許。
白日昇天を慕ひ、仙神も許すべし。


告諸人云、其日將歩虚。
諸人に告げて云く、その日まさに虚に歩かんとすと。


貴賤上下、軒騎滿溢。
貴賤上下、軒騎滿溢す。


僧整法服、持香爐、觀念而居。
僧法服を整へ、香爐を持し、觀念して居る。


夜叉負之。
夜叉これを負ふ。


漸漸昇天。
漸漸として昇天す。


不見夜叉、只見僧昇。
夜叉を見ず、只僧の昇るを見る。


既入雲霄、眇然不見。
既に雲霄に入り、眇然として見えず。


緇素感歎、撞鐘諷誦。
緇素感歎し、鐘を撞いて諷誦す。


頃之香爐忽落。
頃くして之香爐忽ち落つ。


次此僧又降自九霄。
次いでこの僧又九霄より降る。


頭足宛轉、墮地而碎。
頭足宛轉し、地に墮ちて碎く。


啻曰、逢四天王來下、夜叉棄我而去。
ただ曰く、四天王の來下するに逢ひ、夜叉我を棄てて去ると。


沙門日藏者、不知何國人。
沙門日藏は、何れの國の人なるかを知らず。


始止住東寺、後住於大和國宇多郡寶生山龍門寺。
始め東寺に止住し、後於大和の國宇多郡寶生山龍門寺に住む。


學究眞言、神驗無極。
眞言を學び究め、神驗極まりなし。


後堀土、得前身所瘞之鈴杵。
後土を堀り、前身瘞む所の之鈴杵を得。


便是二生之人也。
すなはちこれ二生の之人なり。


到此山、足腫不能行歩。
この山に到り、足腫れて行歩すること能はず。


山神爲不令他所行臻。
山神の他所には行き臻らしめざらんが爲めなり。


而仁海僧正爲習密敎、到日藏廬。
而れば仁海僧正密敎を習はんがために、日藏の廬に到る。


日藏曰、可早歸。
日藏曰く、早く歸るべし。


莫逗留。
逗留することなかれ。


以我爲鑒誡。
我をもつて鑒誡と爲せと。


昔於金峰山、入深禪定。
昔金峰山に於て、入りて深く禪定す。


見金剛藏王幷菅丞相靈。
金剛藏王幷びに菅丞相の靈を見る。


事見於別記。
事は於別記に見ゆ。


長於聲明幷管絃。
於聲明幷びに管絃に長ず。


年及期頤、猶有少容。
年期頤きいに及び、なほ少き容有り。


人疑其數百歳之人。
人その數百歳の之人なるを疑ふ。


嘗詣松尾社、欲知其本覺。
嘗て松尾社に詣で、その本覺を知らんと欲す。

Часть 2
三七日夜、練行念誦。
三七日夜、練り行ひ念誦す。


及于竟日、雷電霹靂、暴風澍雨、日西沓冥。
于竟る日に及び、雷電霹靂、暴風澍雨、日西沓冥えうめいなり。


有一老父、來叱日藏、兼薙草。
一老父有り、來りて日藏を叱し、兼ねて草を薙ぐ。


而風振御殿戸、數十百歳飜。
而して風御殿の戸を振るひ、數十百歳飜る。


日藏屬耳而居。
日藏耳を屬して居る。


殿中有聲曰、毗婆尸佛。
殿中に聲有りて曰く、毗婆尸びばし佛と。


日藏驚見之。
日藏これを驚き見る。


便是前老父也。
すなはちこれ前の老父なり。


一旦歸泉。
一旦泉に歸す。


入棺之後、一無其屍。
入棺の之後、一もその屍なし。


或曰、尸解而去。
或いは曰く、尸解して去ると。


益信。
益信。


法皇。
法皇。


眞寂。
眞寂。


寛照。
寛照。


長隣。
長隣。


日藏。
日藏。


慈覺大師、諱圓仁、俗姓壬生、下野國人。
慈覺大師は、諱圓仁、俗姓壬生、下野の國の人なり。


生而神聽、長而侚雋。
生れて神聽、長じて侚雋なり。


止住延曆寺、師事傳敎大師。
延曆寺に止住し、傳敎大師に師事す。


後夢中依先師告、奏公家入大唐、究學眞言・止觀之道。
後夢中に先師の告ぐるに依りて、公家に奏して大唐に入り、眞言・止觀の之道を究學す。


逢七人聖僧、瀉瓶密敎。
七人の聖僧に逢ひ、密敎を瀉瓶しやびやうす。


逢會昌天子破滅佛法。
會昌の天子の破佛法を滅するに逢ふ。


大師逢此喪亂、還多得佛像經論、遂得歸朝。
大師この喪亂に逢ひ、還りて多く佛像經論を得、遂に歸朝することを得。


位到天台座主、帝王灌頂、公卿首。
位天台座主に到り、帝王の灌頂、公卿の首たり。


天性慈悲、遂不喜怒。
天性慈悲にして、遂に喜怒せず。


門跡大弘滿於天。
門跡大に弘まり於天に滿つ。


作兩界儀形、祈佛許否。
兩界の儀形を作り、佛の許すか否かを祈る。


夢射日中之、爰知應佛心。
夢に射日之に中り、爰に佛の心に應ずることを知る。


及其入滅之期、忽然而失、不知所在。
その入滅の之期に及び、忽然として失せ、在る所を知らず。


門弟相尋、落挿於如意山之谷、不見其餘。
門弟相尋ぬるに、挿を於如意山の之谷に落とし、その餘を見ず。


爰知大權之人。
爰に大權の之人なることを知る。


豈非神仙類乎。
豈に神仙の類にあらずや。


事詳別傳。
事の詳かなるは別に傳ふ。


今記大概。
今大概を記す。


已上。



慶安元年六月廿七日、以遍智院二品親王御本書寫。
慶安元年六月廿七日、遍智院二品親王御本をもつて書寫す。


僧正弘賢持參之本也。
僧正弘賢持參の之本なり。


餘傳記略之、抄出之。
餘の傳記はこれを略し、これを抄出す。


權律師深譽
權律師深譽


右本神仙拔萃一卷、以醍醐水本・報恩院本寫之。
右本神仙の拔萃一卷、醍醐水本・報恩院本をもつてこれを寫す。


延寶九年辛酉冬十月
延寶九年辛酉冬十月



右大江匡房本朝神仙傳、以侯爵前田家所藏古寫本傳寫一本再校之了。
右大江匡房の本朝神仙傳、侯爵前田家所藏の古寫本をもつて一本を傳寫しこれを再校し了おはんぬ。