いづれの御門のおほん時にや、近江の国伊香郡の司なる人に、いみじうゆたけき者ありけり。

При правлении какого-то императора жил правитель уезда Икаго провинции Оми, был он очень богат.

其の妻かたち世に竝びなきのみならず、心優しく情ありて、花紅葉に心を寄せ、四季折々のながめに大和歌を口ずさみ、糸竹をもてあそび、手なんどをかしく書きて、績み縫ふ業までおろかならず、そのわたりの人思ひかけざるはなけれど、心正しく貞婦の道を守り、五つの徳を修めて、いさゝかざれたる由もなければ、皆人類なき事に言ひわたりけり。



其の国の守変る事に伝へ聞きて、いかにもして此の女を得まほしく思ひて、いはでの森のいはでやはと、真間の継橋ふみ通はぬ事もなければ、善きにもあしきにも重ねそめにし末ならで、又異人にまみえず、手にだに触れぬ玉章のくちやみぬる事となりぬ。



このたびの国守もみぬめの浦の思ひ深く、波の立居に心をめぐらし、言にいでては叶ふべきやうにも有らざりければ、いかにもして此の女を取りてむと、一つの謀をぞ工みける。



まづ国守の御館に宣はす事ありと、人をして召し寄せける。



郡司の夫何事の仰せにやと、急ぎまゐりければ、しか/゛\の由申して奥に召し入れけるに、常に参るより事厳かにいとをしくもあひしらはず、心も空なるに国守出で合ひていふやう、「此の国の内に人多かれども、物すべ知りたらむ人とは汝をこそと思ひ侍る、然れば何事につけても心裏なく昔今の事ども問ひ聞かむ料に呼びいでぬる。」とて、珍らかなる果物を初め、酒肴もてなして、いかめしければ、夫よろこびよゝと飲みつ、昔今の事心ゆくかぎり打語りて、国の内の面目身に余りてなど酔ひ泣きしてめで惑ふ。



かく打解けたる時国の寺曰く、「何事につけてもわが言ひいでむ事承り届けつべきや。」と。



男の曰く、「こは仰せとも覚えぬ事かな、時の御門の命をうけて此の国にあるとしある事どもを、心に任せて計らひ給へとの事なり、しからば守の宣ふ事を否み申さば、御門の旨に忤ふことわりなれば、国法を背きて何れの所にか足をとゞめむ、何事にても申させ給へ。」といふ。



「然らば汝と我いみに争ひせむ、必ず我を憚らず計らふべし、汝勝ちたらば我が国の所領以下を半分ちてしらしむべし。



其の上は心の儘に計らへ、われ勝ちたらむにおいては善きも悪しきも知らね、汝が妻を我に得さすべし」とて、文机にある沃懸地の硯とりよせ、何やらむ書き認めて上に封じて、梨地に松の群立ちて、千鳥の騒ぐ方に捨小舟の蒔絵かきたる文筥に入れ、上にも封つけ印押して差出し、「これをいとも開くべからず、此の内には和歌の本なん書きてあるぞ、此の末を同じ心に詠み合はせよ、汝が家にもて帰り開かずして、これに添へ七日といふにもて参るべし、和歌の上下付合ひたらば、速かに此の国をわけてしらしむべし、都方の事は我に仕すべし、もし歌の心ことに様あしくば、汝が妻を進らすべし。」と言へば、夫ふと胸打騒ぎ、心の内に、いかで我、神にもあらぬ身の草深き鄙の土に生ひたちて、早苗とり籾打つ歌ならでは言ひいでむ言の葉もなし、たとひあらはに見聞くとも何程の事かいふべき、まして堅く封じて見せも聞かせもするにこそ、よしなき酔ひの上に心よく口かためて、年月馴れたる一日片時もえさらぬ中の蘆垣を、人のために押隔つべきかはと思ひて、「我ら賤しき心にて和歌の文字の数をだに知らず、何しに君に勝つことあらむ。」と、とかく言ひてすまひけれども、「さればとよ、とくより言ひ定めしものを、上を軽しむるにや。」など、むつかしげに言ひて、駟も舌に及ばず。



むくつけき顔の鬚さへあれば、見あぐるも恐ろしくて、我にもあらぬ心地して泣く/\家路に帰りぬ。



女房はかくとも知らず、常にもあらず国守に召されて、程過ぐるまで遅き事よと心もとなくて、更けゆく夜半も春なれば、さなきだに霞める月に浮雲の、かゝる隈さへ怨めしく慰むかたのなきまゝに、枕に近き琴を掻き鳴らし調ぶるからに、中の緒のたへがたきすさみも由なしと置きて、



春の夜の
ならひに霞む
月影も
いとゞ涙に
曇りはてぬる
はるのよの
ならひにかすむ
つきかげも
いとどなみだに
くもりはてぬる
Лунный свет
Весенней ночи, в тумане
тающий и так легко,
Нынче ж за слезами
Его и вовсе стало не видать.

Примерный перевод

あなうたてやと衣うちきて臥しぬ。

Вздохнув, расстелила одежды и легла.

むかひの寺の鐘の音も夜半過ぐる頃、男は帰りて寝屋の外にたゝずみて、言もいでず片手には蒔絵の文筥をもち、片手には面にさし当て、さめざめと泣く。



女房は呆れはてて、こは何事ぞやと胸うち騒ぎしが、もて鎮めたるけはひにて、「やゝ言ふ事あらば申しもし給はで、只泣きに泣き給ふは、啼沢女の神にやおそはれ給ふらむ、怪しきに疾く語り給へ。」といへば、男は知らぬこととて、「何をか宣ふ、此の年月そこをば片時去らず馴れむつれて、憂きも喜びもうらなく語り慰み、あはれと思ふ節々も月にそひてまさり草、まさる思ひのうらがれて、見もし見られむ事も、今五六日と思ふが悲しければ、泣かるゝなり。」といふ言葉のあやも続かず、只妻の顔を守りつゝ、又雨雫と泣く。



女房は思ひよらぬ事なれば興さめて、「何の為にしかあらむ、事の様聞きて後、とありかかりとわきても答へめ、疾く語り給へ。」といへば、泣く〳〵国の守のもてなしより始めて、しか/゛\の由語れば、女房とばかりためらひて申す、「さはよく聞き給へ、かかる難題にあたり、国の守に命を召し取らるべきしぎに成るとも、それ猶前世の宿業なり、今更悔むべきにあらず、さりとて免るべき難をそのまゝに過して、おろかなる名を取るベきや、つら〳〵思ふに我が国の歌は、素盞嗚尊の八雲を始め、三十一文字の数はかぞへて知るとも、六くさの深き道に尋ね入る事は更なり、まかして見ぬ本歌に叶ふべき末をつがむこと、敷島の道に名高き雲の上人にもあるべき道理かは、昔物語に又逢坂の関と書きしに、かち人の渡れど濡れぬと、觴の底に続松の炭して書きつけしは、見たりし歌の上下にこそあれ、とにかくに国の守へ我を召捕らむ謀に陥り給ひしこそせむ方なくうたてけれ、かかる事を愚かなる人の心をもてめぐらすとも甲斐あるべき事かは、仏菩薩こそ一切衆生を憐み渡れる心に誠を発して頼み申せば、宿業をも転じ給ふとなり、中にも大悲観世音は救世の誓ひ深くして、もろ〳〵の苦を抜き楽を与へ給ふ、然れば遠く外に求むべからず、此の国の内にまします石山寺の観世音こそ殊に霊験いちじるし、誠にもて頼み給へ、もし宿因深く験なき時は、憂き事繁き此の国に住まぬばかり、われ〳〵諸共にいづちの山の奥、谷の隈にも影を隠し、身こそわぴしき住ひならめ、朽ちぬ契りは心の中に変らじものを、諌むべき夫の諫められ給ふは、余りにいふ甲斐なき迷ひざまかな。」と、いと面なげに恥かしめられて、夫はやう〳〵に人心出で来て、暫く涙を押へける。



「さらばそこの計らひに従ひてむ。」とて、今日より家の内清まはりて、下人はしたに至るまで、精進うちし、石山の方に向ひ観世音を念じて、夜昼となく額づきぬ。



さて三日といふ日に、男夜の程よりゆするして明けたつともに立ちいでて、世は安からぬ野洲川にすむとて人の渡りかね、曇るか影の鏡山、長き思ひの勢多の橋、かけし願ひを見ぬ歌のあふ事かたき石山寺、大悲の誓ひ過たず、験をあらはし給へ、救世のぼさち施無畏の徳を施し給はば、歌の本末を示し、恐ろしき国守の悪さげなる面ばせを解き、われに半国をしらしめ、後の世は仏の国に生れ、ぼさちに逢ひ見奉るまで、朽ちぬ契りの妻諸共に、此の世後の世助けさせ給へと、涙を袖にしたてて念願し、其の夜は内陣に通夜しける。



此の頃の物思ひ、習はぬいもひの心づくしに、道の疲れさへ添ひて、前後の分ちもなく打臥して、更けゆく鐘の響、暁の鈴の音にも目を醒さず寝入りたりしが、ゆふつけ鳥の鳴くまでも仏の告げはなくて、あまつさへ国の守に襲はれ妻を奪ひとられ、我が身も痛く責まれて追ひ払はれつゝ、せむ方なさにをう/\と、わが泣く声の我が耳に入りて夢は覚めぬ。



こは何の験ぞや、身は汗雫になり、われかの気色に呆れ果てたり。



かなたにはからからと鳴る花皿の音して、樒閼伽奉る法師ばらの、をのこのねおぴれたる顔を見て、笑ふが恥かしさに、やをら這ひいでて、怨めしきに物言ひもやらず、堂を下りて家に帰るに、参る人も多く、出づる人もある中に、怪しむ人は差寄りて、「何を歎く人ぞ。」と問ふに、「何をか歎かむ。」と答へつゝ、楼門にさしかゝる程、いと気高き上臈の面は白く光るやうにて、まみのあたり打ちけぶりたるが、紫苑色の衣に紫の綾ひき重ね、濃き袙白ききぬ被きて、市女笠著たるに供の女三たり四たり後に下りて歩みくる。



かの夫を見て、「何を歎くぞ。」と問はせたるに、「はげしかれとは言はまほしけれど、何を歎かむ、伊香郡より参りたるに。」と答ふ。



「猶思ふ事あらむに申さしめ給へ。」と、頻りに問ふにこそ、ふと心づきて、仏智不思議の方便は順逆の量り難く、三十三応の身はいづれにか託し給はざらむ、よしそれならずとも道の巷に行きかふ袖の追風、そよと身にしむも宿世の縁なり、ましてあはれと思へばこそ問はせもし給ふらめと、「しか/゛\の事ありて歎く事を祈りしに、菩薩の誓ひにもれて、せむ方なさに帰るなり。」と語りければ、彼の上臈する/\と立寄りて、「そればかりの事はいと易かりけるものを、疾く語らざりける人かな。



其の和歌の末は、



みるめもなきに
人の恋しき
みるめもなきに
ひとのこひしき


と言ひやるべし。」と宣はすを聞くに、嬉しき事限りなし。



「さるにても君はいづこにおはする御方、御名は何と申すぞ、承りてこそ重ねてよろこぴも申さめ。」といへば、「武蔵野のゆかりの草も仮初の名なれば、いかでそれと打出でむ、折節は御堂の東のつまに住むぞ、能くこそ問ひける。」と打笑み給ふ顔の光、衣のにほひ移る許りに芳しくて、堂のかたへ歩み給ひしが、立隔たる朝霧に隠れて見失ひぬ。



男はまさしく救世菩薩の我を助け給ふと、御堂の甍のかくるゝまでに顧みて、拝み/\口にはかの歌を誦しつゝ帰りけり。



家には女房心もとなさに湖の方を眺めやりて、南無観世音と唱へて、門に出でゐて待ち居けるが、夫の顔を見るより、「いかに験や。」といへば、仏を頼みてしるしなくて有らむや。」と、賢げにいらへて内に入りつゝ、しか/゛\の事共を語れば、女房余りの嬉しさに声を打上げて、さと泣きつゝ涙も更に堰きあへず、繰返し吟ずるに、言葉の続き長ありて頼もしげなれば、緑の薄様に筆のあや清げに書きて、上を包み封つけて推し戴き〳〵、浦島が子の玉手箱、明けてかひなき恨みはあらじと、うち任せたる仏の誓ひを力にて、夫に渡せば、七日といふ夕つかた、国の守の館に参り、「仰せのおもければ何の径路は知らねども、歌の下つけける。」と案内さすれば、守は遅し来れ、そのわたり名ある侍、家の子共ある限り召し集め、興あるあらがひに郡司が妻をとられむ不便さよ、よも歌の本末つゞくべきやと、喜びて待ち居たり。



程なく参れば、「よくぞ違へず参りたり。」と、「いかに人々も聞き給へ、此の歌心詞続きたらむにおいては、枯れに国を分ちてしらしむべし、続かぬ時は彼が妻を我に贈らるべきかためなり、必ず此のこと違ふべからず、其の証人にもなり候へかし。」と、髭おしなでて居たり。



男恐れ/\心の内には、なも観世音ぼさ/\と念じ、文筥をさし出せば、封を切りつつ改むるに、違ふことあらむやは。



さて我が方よりの歌を高く吟ずるに、近江なるいかごの海のいかなればとて、下の封を開きて読みあげたれば、



みるめもなきに
人の恋しき
みるめもなきに
ひとのこひしき


と吟ずるに、おのれも人々もはつと言ひて、暫く感ずることやまず。



守も余りの不思議さに男を近くよせて、「いかなればかく思ひ寄りしにや。」と、頻りに問ひ責むれば、せむ方なくて、「石山の観世音の教へに任せて付くる。」と答へければ、さしもあらみさきのかみの心もとけて、「仏の力ならでは及ぶべきかは。」と、人々の上に召し上す。



「今よりは国を分ち申すべし、兎も角も心に任せ給へ。」といへど、男は如何有らむと辿る許りなれば、武士の癖にて言ひ出でたる言の葉を違ふは道の恥辱なり、人の思はむも恥かしく、且は私に計らひ約を違へなば、観世音の咎めも恐ろしと、しるしの文に、いろ/\の絹五十匹、太刀、かたな、砂金百両、馬、鞍など、引出物に相添へて、「けふより半国を計らひ給ふべし。」と、杯とりて勧め、おのれも悦ぶ事限りなし。



男は面目を世にあらはし、家に帰りて妻を初め家の内上下悦ぶ事たぐひなし。



かくて横しまなくおきてし、民草豊けく家の内富み栄え賑はしく、あまさへ国のをの子姫一方生ひいでて、夫婦悦びを重ね、行末長き楽しみとなりにけり。



これひとへに賢き妻の諌めにより観世音に帰依し、信をもて祈れば、大悲無辺のあはれみを施し給ふ霊験、豈疑ふべけむや。



郡司は観世音の厚恩の報ぜむために、石山寺に一日の法会を行ひ、これを恒例として今にたえず、子孫相続いて勤めけり。



つら〳〵此の歌の心を案ずれば、所は近江の伊加胡郡なれば、それに擬へ、いかなればかく思ふにやと上にいひしにつけて、見る人ならばこそ、見もせぬ人の何しに恋しき道理あらむと咎め給ふ心にぞあらむ。



それをこゝは塩ならぬ海なれば、蜑の刈るみるふさわかめやうのたぐひも無きにといふ詞によそへて、みるめも無きにと続けたり。



此の歌の一ふしに鬼神の如くなる国守の心を柔げ、仏カの深きを解き、菩提の道に入る事誠に歴劫不思議にあらずや。



郡司も仏カを頼みて妹背の中絶えず、家ゆたかにして仏道を修し、二世安楽を得る。



あだなる迷ひのすぢを深き仏像に引きかけ、終に一大事の因縁と成就する事を思へば、いづれの門よりして真浄の道に入らざるべき、利生の方便量りがたし、仰いで尊ぷべし。