本よりかゝる御心ありけれど、ちゝおとゞ師輔おはしけるほどは、せいしきこえ給ければ、えおぼしたゝざりけれど、
うせ給てのち、はら〴〵のきみたち*はみなころと*おはしませば、おとどおはしまさねども、ことにものしき事もなし。
この齋宮の宮雅子の御はらの女ぎみ愛宮は、またともかくもなくておとゞのかしづき給ひしに、かゝりておはせしに、さもあらねば*、
たゞこの御せうとたちをむつまじきものにかたらひきこえ給て、世中のあはれなる事をおぼしゝ*をみたてまつり給ふを、かた時みたてまつらではえおはしますまじけれど、*
本よりかゝる御心有けるうちに、御めのと*おはしけれど、それもさとずみにてことなることもなくて、よろづのことこゝろぼそくおぼえ給まゝに、
たゞこのことのみ御心にいそがれ給ひつゝ、いで給たびごとには、女ぎみ重光卿女*に、
「ほふしになりに、やまへまかるぞ。」ときこえ給ければ、
「れいのこと。」とたはぶれにおぼしてなんきこえ給ける。
「れいのよさりはかへり給へらんをこそは、法師かへる*とは見め。」ときこえてわらひ給ければ、
女ぎみ、「『法師にならむ。』と侍は、我をいとひ給なめり。」とて、
哀れとも
思はぬ山に
君しいらば
麓の草の
露とけぬべし
あはれとも
おもはぬやまに
きみしいらば
ふもとのくさの
つゆとけぬべし
我いらむ山の端になほかゝり南思ないれそ露も忘れじと申給て、あい宮の御もとにま詣で給て、たちながらいで給へば、「ものきこえむ。」とのたまひければ、
なみだもいで給ければ、「いそぎものへまかる。」ときこえ給て、
ことなることもきこえ給はで、ひえにのぼりたまひて、御おとうとのおはしけるむろ*におはして、とうぜんじの君をめして、「かしらそれ。」との給ひければ、いとあさましくて、ぜんじの君、
「などかくはのたまふ。御心がはりやし給へる。」とて、のたまふまゝになき給。
阿闍梨もなきてうけ給はらざりければ、御もとゞりをてづからかうぞり剃刀してきりたまひにければ、「いかゞはせむ。
阿闍梨も、「いとあさましきわざかな。御はらからの君だちも、をのれをこその給はめ*ど、御せうそこをだにもきこえあへずなりぬる。」となく。
ぜんじのきみ、「かう〳〵なむ、いとにはかにあさましく。」と京の殿ばらにきこえたまひければ、いみじうあさましがりのゝしりければ、うちにてきこしめしおどろきてけり。
女房もなきまどひて、*物もおぼえ給はず、あさましきに、いさゝかなる物もまゐらでなき給ける。
宰相中將君謙徳公*をはじめたてまつりておどろきとぶらひきこえ給。
「*たまひたりける。」ときこゆる人ありければ、うちおき給て、見まゐらせ給てのたまふ、
哀なる
名にはおふとや
みつれ共
形は殊に
あればかひなし
あはれなる
なにはおふとや
みつれとも
かたちはことに
あればかひなし
「『かたちもことになり給へり。』ときけど、そのすぢにはあらねば、あはれにもあらず。」ときこえ給けるを*、そのきたの方みたまひて、
逢事の
形はことに
なれりとも
心だにゝは
哀れなりなん
あふことの
かたちはことに
なれりとも
こころだにには
あはれなりなん
もとむとも
かひやなからん
類なく
哀にありし
君が心に
もとむとも
かひやなからん
たぐいなく
あはれにありし
きみがこころに
との給ひつゝ、をりふしごとになき給を、うけ給はる*人ごとにあはれがる。
三月ばかり*ばかり、うぐひすなきければ、きたのかた、
我身にも
世を鶯と
なきけれど
君がみ山に
えこそ通はね
わがみにも
よをうぐひすと
なきけれど
きみがみやまに
えこそかよはね
此間恐有誤脱。*げにたれもおなじやうにしりたまはざらむをなむ、おなじ「うきよかは。」と思うたまふべき。
「うからねばこそのぼりおはすらめど、『山にても』*といふことあらば。」となむきこえまほしきを、
このかみ*も、「このよをそむきて、あはれなる人のすみ給らむよかは*をわたりて、御かげをだにみるまじくとも、猶そむきてもおこなひ侍まほしきを、宮安子*にもしかに又おぼしめすなる。『御ともにも。』と參き。」*
流れても
君住べしと
水の上に
浮よかはとも
誰か問べき
ながれても
きみぬしべしと
みづのうへに
うきよかはとも
たれかとふべき
つねにこのふた所*、かなしうあはれなることをなんきこえかはし給ける。
かくて、かのもゝぞのの權中納言殿師氏の中將のきみまゐり、中宮安子よりはじめたてまつりて、おどろきとぶらひきこえ給なかに、御めのととあい宮となむ、ものもきこしめさずなきまどひ給ける。
あい宮の御もとになん、つねにかなしきことをもかよはし給ける。
あまにも、こゝにもとなむおもひたまふる。ひとたびに*なり給へ。
あまにはたれもなるとも、おなじやまにはいらざらむこそかひなけれど、「よかはのふもとまでだに。」とおもうたまふるに、それもかたくや。
いづくにも
かく淺ましき
浮よかは
あな覺束な
誰に問まし
いづくにも
かくあさましき
うきよかは
あなおぼつかな
たれにとはまし
山ぢしる
鳥に我身を
なしてしか
君かくこふと
泣てつぐべく
やまぢしる
とりにわがみを
なしてしか
きみかくこふと
なきてつぐべく
なぞもかく
いける世をへて
物を思ふ
駿河のふじの
煙絶えせぬ
なぞもかく
いけるよをへて
ものをおもふ
するがのふじの
けぶりたえせぬ
「あはれ〳〵。そこにもいかに。」となむ思ひ聞ゆる。
ゆめにもやまのきみのみえ給をりは、さめてくやしくなむ。
物思ひは
我もさこそは
駿河なる
田子の浦浪
立やまずして
ものおもひは
われもさこそは
するがなる
たごのうらなみ
たちやまずして
たれも〳〵御はらからの君だち、このあい宮のなきかなしびたまふをきゝ給ひて、あはれがりきこえ給も衍歟、ものをきこえておはしふる。とき〴〵く歟、故式部卿重明のきたのかた登子は、時々*とぶらひきこえ給ひける。四月ばかりに、うの花につけて、
君のみか
われもさこそは
世中を
あな卯花と
なく時鳥
きみのみか
われもさこそは
よのなかを
あなうのはなと
なくほととぎす
卯花の
さけるかきねに
時鳥
我はまさりて
なくとしら南
うのはなの
さけるかきねに
ほととぎす
われはまさりて
なくとしらみなん
やまよりもいかにつきせずおぼすらむ。ゆめもあらば、
憐なる
こと語らひて
郭公
もろ聲にこそ
なかまほしけれ
あはれなる
ことかたらひて
ほととぎす
もろこゑにこそ
なかまほしけれ
いとも〳〵うれしく、かくつねにとはせ給ふことなむ、つきせぬ。ことには、いでや〳〵、すべて〳〵、ただおしはからで、まことや、
かたらはぬ
さきより鳴つ
時鳥
物の憐を
しれりと思へば
かたらはぬ
さきよりなつ
ほととぎす
もののあはれを
しれりとおもへば
かくてあぜちの大納言どの高明のきたのかた師輔公三女、あいみやの御もとに、
あやしうものさはがしくおもうたまへられてなむ、しばしもきこえぬ。
しのびてもいても*、おほむもとにはかたらひきこえ給へかし。
女のかよふ所ならば、さてかよはまほしくなむおもへど、いまこそあはれなれ脱歟。
いかに、そこにも、世中こゝろにかなはぬをりは、やまへいりぬべきをりあれど、えやはよのなかをそむく。
まが〳〵しく、「あまにならむ。」との給ふなる、まことか。
恨こし
そむかまほしき
世也共
みるめかつかぬ
あまになるなよ
うらみこし
そむかまほしき
よなりとも
みるめかつかぬ
あまになるなよ
いとうれしうとはせたまへるなん、つれ〴〵なるに、これよりこそきこえまほしけれど、つねにさはがしうおはしますらむに、とぶらはせ給をよろこびて、そなたにもまゐらまほしきを、あけくれのながめに袖ひぢつゝ、ものおもはぬになむ。
かしらそりたまへ*らむすがたのみ見たまへまほしきに、みえ給はぬが、
「さてもなほよの中にこそおもひかへりこめ。」とおもうたまふれば、まだおもひたゝずなむ。
海士ならで
夫にも汐は
たるれ共
うきめ被くと
又は成べき
あまならで
それにもしほは
たるれとも
うきめ被くと
またはなるべき
出てこし
人の家ぢも
思ほえず
我深山こそ
住よかりけれ
いでてこし
ひとのいへぢも
おもほえず
われみやまこそ
すみよかりけれ
かくて、あい宮の御もとに、右衞門のすけおはして、少將のきみおはしつるやう*、かたりきこえ給へば、
「わればかりうき身はなし。をとこはおはし、かよひたぶ。」と、
山の井の
麓に出て
流れなん
戀しき人の
かげをだにみん
やまのゐの
ふもとにいでて
ながれなん
こひしきひとの
かげをだにみん
君がすむ
山がは水の
淺ましく
うき世中に
ながれ出にし
きみがすむ
やまがはみづの
あさましく
うきよのなかに
ながれいでにし
さて、かのもゝぞののひめぎみ*、少將の御そでに涙のかゝりぬれたりければ、
ほの〴〵と
あけの衣を
けさみれば
草葉か袖は
露のかゝれる
ほのぼのと
あけのころもを
けさみれば
くさばかそでは
つゆのかかれる
はき給し御はかしのまくらがみなるをみたまひてもなき給ふ。
さぶらふ人々、上下「かの御身よりなみだのながれいでぬる。」ときこえ給ければ、ひめぎみ、
つの國の
ほりえに深く
物思へ
ばみより涙
も出る成らん
つのくにの
ほりえにふかく
ものおもへ
ばみよりなみだ
もいづるならん
ひと〴〵きたの*後出「中納言どの師氏の北の方」か。
ともすれば
涙を流す
君は猶
みをすみがまの
こまもたえせぬ
ともすれば
なみだをながす
きみはなほ
みをすみがまの
こまもたえせぬ
又、少將のつねに見たまひし御かゞみをひめぎみ見たまひて、「ほふしはかゞみはみぬか。」とて、かはしき*皮籠の底敷か。
常にみし
鏡の山は
いかゞある
と形かはれる
影もみよかし
つねにみし
かがみのやまは
いかがある
とかたかはれる
かげもみよかし
やまにもてまゐりたる御ふみに、いとあはれおほかる御かへりに
鏡山
君が影もや
そひたると
みれば形は
ことにぞ有ける
かがみやま
きみがかげもや
そひたると
みればかたちは
ことにぞあける
たれ〴〵もかのひめ君の御なげきをあはれがりたまひけり。
もゝぞののことにきこゆるに、をとこ君つねにおはしてあはれがり給。
「世のなか心うし。あまになりなん。」とのたまふをきゝて、少將のきみ、
尼にても
同じ山には
えしもあらじ
猶世中を
恨てそへむ
あまにても
おなじやまには
えしもあらじ
なほよのなかを
うらみてそへむ
袖の浦に
みをうしほやく
蜑なれば
みるめがつかで
あらむ物かは
そでのうらに
みをうしほやく
あまなれば
みるめがつかで
あらむものかは
さて、このひめぎみ、「山のきみのおこなひたまふらむ。
われいを魚くはんこそゆゝしけれ。」とて、御さうじ精進をぞなほしたまひける。
山のきみきこしめして、「あはれ。」とおぼして、こゝかしこよりをかしきさうじ物まゐらせたるは、時々たてまつり、おふ歟くろにかひ*におきひ歟たるめ*をはじめていれたり。
又、四月つごもりばかりに、うぐひすのす三つばかり、むめすぢ*数条か。
頼みなく
はかなくみゆる
我故に
君が詠めを
思ひやる哉
たのみなく
はかなくみゆる
わがゆゑに
きみがながめを
おもひやるかな
*後出「しのびきこゆるかひもありけるかな。」がこれに続くか。
しほうらこえぬ山なれど、こゝろざしありて、おひいでたるめぞや。
わがすみか
君は床しく
思ほえず
あな鶯の
すの内をみよ
わがすみか
きみはとこしく
おもほえず
あなうぐひすの
すのうちをみよ
鶯の
すの内見ても
ねをぞなく
君が住家は
是かと思へば
うぐひすの
すのうちみても
ねをぞなく
きみがすいへは
これかとおもへば
さて、中納言どの師氏ゝ北の方、このきみの御そうぞく、けさよりはじめて、ひとくだりせさせ給て、これやまへたてまつりければ、*山へたてまつり給ふ。この御ぞどものいとあはれなれば、「わすれてはたれがことぞ。」とおぼめかれつる。
君がきし
きぬにしあらねば
墨染の
覺束なさに
なきて立つる
きみがきし
きぬにしあらねば
すみぞめの
おぼつかなさに
なきてたちつる
奧山の
苔の衣に
くらべみよ
いづれか露の
おきは勝ると
おくやまの
こけのころもに
くらべみよ
いづれかつゆの
おきはまさると
やまぶしは、こけのころもなどのみこそ身にはそひたれ。
これはみにもあはぬものどもなれど、御こゝろざしあるものどもにてなむたまはりぬる。
むかしのきものにもあらねばや、おぼめいたまひつらむ。
わいても、こと人のころもがえやしたまふらむ、あたらしくそでぬれぬ。
まことや、すみぞめのきぬはきたまふなればにや、いとゞぬれまさりてなん。
侘ぬれば
くものよそ〳〵
墨染の
衣の裾ぞ
露けかりける
わびぬれば
くものよそよそ
すみぞめの
ころものすそぞ
つゆけかりける
露霜は
あした夕に
おく山の
苔のころもは
風もとまらず
つゆしもは
あしたゆふべに
おくやまの
こけのころもは
かぜもとまらず
となんありける。「さらに京にいでじ。」とぞの給ひける。
これを、このひめぎみ・あいみや、おぼつかながりたまふ。
はゝ君・ちゝおとゞをなむ、いと〳〵よくこひたてまつりたまひける。
あいみやの御もとに、もゝぞののおほひめ君のたてまつり給ける。
物思ひ
のやむよも無て
程經れば
忘るゝ事も
しゐのわかきか
ものおもひ
のやむよも無て
ほどへれば
わするることも
しゐのわかきか
たちはきたるをみれば、ゑにかきたるさへなむかなしう侍ける。
けふの御かたちはしらず、むかしのみおも影には見え給。
つれ〴〵の御すまひなればにこそ*、おもひすてられける。
獨のみ
眺むる宿の
つまごとに
忍ぶの草ぞ
生まさりける
ひとりのみ
ながむるやどの
つまごとに
しのぶのくさぞ
おひまさりける
これよりも聞えむとおもう給ふれど、袖ぬらすながめにあかしくらすほどに、おこたり侍にける。
おやたちにおくれたてまつりたるに、ましてかゝるものおもひのそひて侍ば、おぼしやれ。
よもぎのしげきやどにたちより給ひて、あはれとの給ひし御すがたの見えねば、月日のふるまゝにいとあはれに侍。
かたちことになり給へらむ御すがたを、時々見えたまはゞ、なぐさむよを「ねたし。」*
茂ります
しのぶの上に
置そふる
我み一つは
露の程にぞ
しげります
しのぶのうへに
おきそふる
われみひとつは
つゆのほどにぞ
さて、此ひめぎみにはやうよりこゝろがけきこえたりし人もとぶらひけり。
などか、このきみをやまにいり給ふべくみたまひぬべきことはあらせたてまつり給し。
まろこそ、むかし「やまずみはせん。」とおもひしか。
「まめやかにやまにすみ給よりも、とまりてひとりねしたまふこそ、いかにねぶたからずおぼすらむ。」と思ひたてまつりて、
聲たかく
哀といはゞ
山彦の
あひ答へずは
あらじとぞ思
こゑたかく
あはれといはば
やまびこの
あひこたへずは
あらじとぞおも
山となる
耳無山の
山彦は
よべどもさらず
あひも答へず
やまとなる
耳無やまの
やまびこは
よべどもさらず
あひもこたへず
そこにはおぼすらむをおもひたてまつりて、「あまにならん。」とさへの給ふなる。
「こゝにぞ、うきよをばそむきはてなん。」と、いさや、よのなかにないしかみのぬし*といふなれば、「かしらおろしては、かうぶりとられなむ。」と人のものすればなむ、いさゝかうしろのこして侍。
さうじをさへし給ふなれば、「わかき人だに、ふかくものをおぼえずなれば、こゝにはまして水風のいもひ*をせまし。」となむ。
船流す
程久しと
云なるを
あまと成ても
ながめかるてふ
ふねながす
ほどひさしと
いふなるを
あまとなりても
ながめかるてふ
いとうれしう、つねにとはせ給へるをなん、みづからまうさまほしうおもうたまふれど、このごろみだり心地、れいよりもまさりてあやしうはべりてなむ、ながめ侍。
あまとても
みをし隱さぬ
物なれば
我からとても
うきめかる也
あまとても
みをしかくさぬ
ものなれば
われからとても
うきめかるなり
又、右衞門佐、中納言どのにつたへたまへりけるついでに、大ひめぎみの御方につたへ給へりけり。
忘ても
嬉しかりける
君かとて
黄昏時は
まとはれぞする
わすれても
うれしかりける
きみかとて
たそがれどきは
まとはれぞする
「あやしけれども、いそぎて内へまゐり侍ればなん。いかに。」とて、
「いかによのなかをたちはきたるさまをも見たまふ。」とてなむ、きこえたまへる。
いとうれしう、たちより給へるを、いそぎたまへばなむ。
つれ〴〵のながめに、すまひさへかはりたれば、あの人のかげもみえねば、こゝろぼそきをとはせたまへるなん。
「たちはきたるすがたも見給ん。」とあれば、ゑりくゞつにてもさぶらはむ。
のこのかみのとのにて人たまへるついでに、ようさりつがた、月のほのかなるにたちよりたまへり。
足引の
山より出ん
山びこの
そまやま水に
音まさらなん
あしびきの
やまよりいでん
やまびこの
そまやまみづに
おとまさらなん
いとうれしくたちよりて、とはせ給へるを、はじめはうれしかりつれども、のちの御ことばにさしあやまちて*、いとゞしくさまもみえて。
ことこ*のきむだちは、しばしはこそあはれがり給しか。
「われなくては、いかゞせん。」とおぼして、やまにきこえ給ふ。
「世をのがれだになくはいかゞせむ。」とおもふに、すこしつゆのいのちをもとめいづる。
きみやうゑし
我やおふしゝ
なでしこの
ふたばみつ葉に
おひたるを
かぜにあてじと
おもひつゝ
花のさかりに
なるまでに
いかでおほさむと
おもへども
つゆのいのちや
あへざらむ
いまもけぬべき
こゝちのみ
つねにみだるゝ
たまのをも
たえぬばかりぞ
おもほゆる
もののかずにも
あらぬ身を
たゞひとへにて
あさましく
あまたのことを
おもひいでゝ
きみをのみよに
しのぶぐさ
やまにしげくぞ
おいのよに
こひてふことも
しらぬ身も
しのぶることの
うちはへて
きてねし人も
なきとこの
まくらがみをぞ
おもほしき
ことかたらはん
ほとゝぎす
きてもなかなん
よをうしと
君がいりにし
やま川の
水のながれて
おとにだに
きかまほしきを
ほだされて
よにすみのえの
みづのはに
むすべることの
なかりせば
つねにおもひを
たきものゝ
ひとり〴〵も
もえいでなまし
きみやうゑし
われやおふしし
なでしこの
ふたばみつはに
おひたるを
かぜにあてじと
おもひつつ
はなのさかりに
なるまでに
いかでおほさむと
おもへども
つゆのいのちや
あへざらむ
いまもけぬべき
ここちのみ
つねにみだるる
たまのをも
たえぬばかりぞ
おもほゆる
もののかずにも
あらぬみを
ただひとへにて
あさましく
あまたのことを
おもひいでて
きみをのみよに
しのぶぐさ
やまにしげくぞ
おいのよに
こひてふことも
しらぬみも
しのぶることの
うちはへて
きてねしひとも
なきとこの
まくらがみをぞ
おもほしき
ことかたらはん
ほととぎす
きてもなかなん
よをうしと
きみがいりにし
やまかはの
みづのながれて
おとにだに
きかまほしきを
ほだされて
よにすみのえの
みづのはに
むすべることの
なかりせば
つねにおもひを
たきものの
ひとりびとりも
もえいでなまし
もろともに
なでゝおふしゝ
なでしこの
つゆにもあてじと
思ひしを
あなおぼつかな
めにみえぬ
花の風にや
あたるらむと
おもへばいとぞ
あはれなる
今も見てしかと
おもひつゝ
ぬるよのゆめに
みゆやとて
うちまどろめど
みえぬかな
めのうつゝまに
かぎりなく
こひしきをりは
おもかげに
みえても心
なぐさみぬ
かたみにさこそ
みやこをば
おもひわするゝ
ときやはある
はるけきやまに
すまへども
つかまわすれず
思やる
くもゐながらも
あしがきの
まぢかゝりしに
おとらずぞ
あはれあはれと
まこもかる
よとゝもにこそ
しのび草
わがみやまにも
ふもとまで
おふとしらなむ
しらかはの
ふちもしらずは
ひたぶるに
きみがたにのみ
うきよかは
うれしきせをぞ
ながれてはみむ
もろともに
なでておふしし
なでしこの
つゆにもあてじと
おもひしを
あなおぼつかな
めにみえぬ
はなのかぜにや
あたるらむと
おもへばいとぞ
あはれなる
いまもみてしかと
おもひつつ
ぬるよのゆめに
みゆやとて
うちまどろめど
みえぬかな
めのうつつまに
かぎりなく
こひしきをりは
おもかげに
みえてもこころ
なぐさみぬ
かたみにさこそ
みやこをば
おもひわするる
ときやはある
はるけきやまに
すまへども
つかまわすれず
おもひやる
くもゐながらも
あしがきの
まぢかかりしに
おとらずぞ
あはれあはれと
まこもかる
よとともにこそ
しのびくさ
わがみやまにも
ふもとまで
おふとしらなむ
しらかはの
ふちもしらずは
ひたぶるに
きみがたにのみ
うきよかは
うれしきせをぞ
ながれてはみむ
五月ついたちに、御はらからのきみたち、わりごぐしておはしたりけるに、あめふりたりければ、いしをぎみ、
かゝりてふ
よ河ともへと
さみだれて
いとゞ涙に
水まさりぬる
かかりてふ
よかはともへと
さみだれて
いとどなみだに
みづまさりぬる
君がすむ
横河の水や
まさる覽
涙の雨の
やむよなければ
きみがすむ
よこかはのみや
まさるらん
なみだのあめの
やむよなければ
草深き
山ぢを分て
とふ人を
哀と思へど
あとふりにけり
くさふかき
やまぢをわけて
とふひとを
あはれとおもへど
あとふりにけり
何くへも
雨のうちより
離れなば
横河にすめば
袖ぞ濡ます
なにくへも
あめのうちより
はなれなば
よこかはにすめば
そでぞぬれます
となむ。とみのこうぢ*のきみたち、わりごしつつまで給へり。
よのなかこゝろうければ、「おのれこそかしらそらん。山へいらむ。」とおもうたまへしかど、
「おとゞのきみのかくしたまはでうせたまひにしかば、つみふかくなる。」とおもへ*たまへて、おもはぬやま〳〵にありくこと、
いまに思ひ侍れど、「きみのおはすれば、御でしにもやなりなまし。」と思たまふる。
とのたまへば、ぜじのきみ*、「でしまさりにこそあなれ。」ときこえ給ば、六らうぎみ、
「でしまさりとおぼさば、これよりふかからむやまにこそいり侍らめ。いづくならむ。」とて、六らうぎみ、
都へも
さらに歸らじ
わがごとく
つみ深き山
いづこ成覽
みやこへも
さらにかへらじ
わがごとく
つみふかきやま
いづこなるらん
是よりも
深き山べに
君いらば
あさましからむ
山河の水
これよりも
ふかきやまべに
きみいらば
あさましからむ
やまかはのみづ
君をなほ
浦山しとぞ
思らむ
思はぬ山に
こゝろいるめり
きみをなほ
うらやましとぞ
おもふらむ
おもはぬやまに
こころいるめり
君がすむ
山ぢに露や
茂るらん
分つる人の
袖のぬれぬる
きみがすむ
やまぢにつゆや
しげるらん
わけつるひとの
そでのぬれぬる
苔の衣
身さへぞ我は
そぼちぬる
君は袖こそ
露にぬるなれ
こけのきぬ
みさへぞわれは
そぼちぬる
きみはそでこそ
つゆにぬるなれ
昔より
山水にこそ
袖ひづれ
君がぬるらん
露はものかは
むかしより
やまみづにこそ
そでひづれ
きみがぬるらん
つゆはものかは
おとゞのきみ出家し給へりし御すがたにて、このよかはにおはしまして、なきてきこえ給ける。
「なにをうしとて、かくはなり給しにか。たふとさはいとたうとけれど、いとかなしくなむ。」*あはれにとひきこえ給へば、
「それにたすかることもあり。さはあれど、いとくちをしくなむある。」などの玉へば、なく〳〵きこえ給。
「いとあはれなるすまひし給けるを、あまがけりてもたづねとぶらはむ。
君がすむ
横河の水
し濁らず
は我なき魂は
常にみせてん
きみがすむ
よこかはのみづ
しにごらず
はわれなき魂は
つねにみせてん
いとゞしく
袖ぞひぢぬる
横河には
君が影みば
水も濁らじ
いとどしく
そでぞひぢぬる
よこかはには
きみがかげみば
みづもにごらじ
ときこえ給ほどに、やがてさめ給ひぬ。こひちかひ給て、御をとのきみにかたらひきこえたまひて、かくなき給。
さて、かの入道の君の御こは、たちはきたまへる人を見たまひては、「てゝ君か。」とのたまふに、「あらず。」とのたまへば、「はゝぎみこそ、てゝきにはあらず。
などか、てゝきのひさしく見えざらむ。」とてなき給へば、ひめぎみよゝとなき給。
御ぐしかきなでて、「きみはやまにぞおはする。」とてなき給を、おほぢぎみ師氏見たまひてのたまふ。
芦引の
山なる親を
こひてなく
鶴のこみれば
我ぞ悲しき
あしびきの
やまなるおやを
こひてなく
つるのこみれば
われぞかなしき
ひえにすむ
親こひてなく
子鶴ゆゑ
我涙こそ
河と流るれ
ひえにすむ
おやこひてなく
こつるゆゑ
われなみだこそ
かはとながるれ
澤水に
立影だにも
みえよかし
こゝち子鶴の
鳴て戀ふに
さはみづに
たちかげだにも
みえよかし
ここちこつるの
なきてこふに
「こはや。てゝき、などはしきのもとにおはせぬ。我をいだきたまはぬ。」とて、なげきたまへば、*
逢事の
難きもしらず
内になく
雛鶴みるぞ
悲しかりける
あふごとの
かたきもしらず
うちになく
ひなづるみるぞ
かなしかりける
逢事の
難く迚だに
慰まで
わらはなきにぞ
我もなかるゝ
あふごとの
かたくまでだに
なぐさまで
わらはなきにぞ
われもなかるる
かたにても
親ににたらば
こひなきに
なくをみるにぞ
我も悲き
かたにても
おやににたらば
こひなきに
なくをみるにぞ
われもかなしき
兵衞のすけのきみ爲光にぞたうの少將ぎみの御かはりに少將になり給て、よろこびにこの中納言どの師氏にまゐりたまへるを見給ても、*又せきやりがたき御けしきなり。
「なかのきみ少將は、やまのきみのかはりか。」とて、
たがはずや
同じみ笠の
山の井の
水にも袖を
濡しつる哉
たがはずや
おなじみかさの
やまのゐの
みづにもそでを
ぬらしつるかな
たがふ事
少きみには
哀なる
み笠の君が
かはりと思へば
たがふこと
すくなきみには
あはれなる
みかさのきみが
かはりとおもへば
このいかを少將も思ひいで給てなみだのこさでぞおはしましける。
「つかさも、ことにうれしからず。」とぞのたまひける。
「『あにぎみのなりいでたまはむしりにたちてありかむ。』とこそ思ひしか。よろこびにありかんことのかなしきこと。」との給ひけれど、いかゞはせんとぞありきたまひける。
かくて、近衞づかさの人きて、うたひのゝしれど、なにのうれしげもなくて、しほたれたまひける。
なにたてる
み笠の山に
入きても
涙の雨に
なほぬるゝ哉
なにたてる
みかさのやまに
いりきても
なみだのあめに
なほぬるるかな
みかさ山
雨はもらじを
古の
君がかざしの
露にぬるゝぞ
みかさやま
あめはもらじを
いにしへの
きみがかざしの
つゆにぬるるぞ
もゝぞのの中納言のきみ師氏、しろがねのはながめをよつばかりつくりて、そのころのはなさして、やまにたてまつり給とて、
山のはゝ
かくしもあらじ
君が爲
都の花は
をれば袖ひづ
やまのはは
かくしもあらじ
きみがため
みやこのはなは
をればそでひづ
我ために
君がをりける
花みれば
すむ山端の
露に袖ぬる
われために
きみがをりける
はなみれば
すむやまのはの
つゆにそでぬる
さて、このはななど、きみたちみなきこえ給て、みなのぼりて見たまふ。
念佛堂には、このかめにはなたてゝなむおこなひたまひける。
殿上のきみ、「しか〴〵。」とにうだうのきみにかたりたまふ。
空にすむ
物と云共
君ともに
かめさへのぼる
み山也けり
そらにすむ
ものといふとも
きみともに
かめさへのぼる
みやまなりけり
横河て
ふなには立れど
今よりは
龜山と社
云べかりけれ
よこかはて
ふなにはたれど
いまよりは
かめやまとこそ
いふべかりけれ
哀なる
君が齡を
ゆづりてぞ
横河に龜も
たちのぼりける
あはれなる
きみがよはひを
ゆづりてぞ
よこかはにかめも
たちのぼりける
久しくも
なにか我身を
思ふべき
龜の命は
君にまかせん
ひさしくも
なにかわがみを
おもふべき
かめのいのちは
きみにまかせん
又、あぜちどの高明よりもゝぞののきたのかたの御もとに、あふみのきたのかたの御ふみ、
いかに世中をおぼしめしますらむに、をさなききみたちをみたてまつり給に、かなしくおぼすらむ。
されど、やまにだにおはしませば、たのもしくおぼしめすらん。
ここにこそ、人かずに侍らねど、ちゝなしごをもてわづらひぬれ。
まづかの山御すまひのあはれなるをなん、「さとへいで給まじ。」とあるはまことか。
あし引の
山に年へむと
思へども
都戀しく
ならば出なん
あしびきの
やまにとしへむと
おもへども
みやここひしく
ならばいでなん
たとふべきことにはあらねど、しでの山いりにしおきなどもの、としをふれどあふことなくはべれ*。
きたのかた、ひめぎみに「かくなん。」ときこえたまへれば、ひめぎみの御かへりきこえ給、
宮古をば
厭ひて山に
入ぬれど
戀しからねば
思ひ出じを
みやこをば
いとひてやまに
いりぬれど
こひしからねば
おもひいでじを
このぜじのきみ*の御はらからのきみたち、山はなつともさむかなるを、わたもの*ししたまふ。
中宮よりくるみのいろの御ひたゝれ・くちなしぞめのうちぎひとかさね・ふるきのかはのおほんぞ・あをにびのさしぬき・あはせのはかま、たてまつれたまふ。
大納言どののきたのかた*のたてまつれ給、いともきよげなるつむぎをあを色にそめて、山ぶきいろのうちぎひとかさね・あをにびのあやのさしぬき・あはせのはかまひとかさね、たてまつれたまふ。
式部卿重明のきたの方登子ひとりおはすれば、ことなることおはせねど、人のもののたまふに、思しりてもあらねど、ふすまたてまつり給、
かくて、*この中宮におはしますをみな人御ぞたてまつれ給。
「かならずわれもたてまつらむ。」とのたまひければ、
あをにびのうちぎひとかさね・おなじいろのはかまひとかさねなんたてまつれたまひける。
あい宮、「われなにわざをせん。」とて、きぬの御かたびらひとかさね・ぬののけうらなると、「御ゆどのしるからんに*。」とて、
これ*よりこそやますげのやうなりとも、御ぞはたてまつれまほしけれ。
「ゆかたびら、たゞのと、いかにせさせ給へらむ。」と。
袂より
ぬれ劒袖も
まだひぬに
みにもしみぬる
から衣哉
たもとより
ぬれけんそでも
まだひぬに
みにもしみぬる
からころもかな
わがきたの方には、「あふことのかたみにとこそみたてまつれ。」となむきこえたまへりける。
「いみじうあはれ。」となん、ことよりもあいみやのたてまつれたまへるを、とりわきてなき給ひける。
すべて〳〵、いひつくすべくもなく、いみじう憐になん。