聞書集の奧にこれ書き具して參らせよとて、人に申しつけて候へば、使の急ぎけるとて、書きも具し候はざりけると聞き候て、人に書かせて參らせ候。
必ず書きぐして、申し候ひし人の許へ傳へられ候べし。
申し候ひし人と申し候は、きたこうぢみぶ卿のことに候。
そこより又ほかへもやまからむずらむと思ひ候へば、まからぬさきにとくと思ひ候。
三笠山
春をおとにて
知らせけり
こほりをたたく
うぐひすの瀧
みかさやま
はるをおとにて
しらせけり
こほりをたたく
うぐひすのたき
春雨に
花のみぞれの
散りけるを
消えでつもれる
雪と見たれば
はるさめに
はなのみぞれの
ちりけるを
きえでつもれる
ゆきとみたれば
ひとかたに
うつつ思はぬ
夢ならば
又もや聞くと
まどろみなまし
ひとかたに
うつつおもはぬ
ゆめならば
またもやきくと
まどろみなまし
誰がかたに
心ざすらむ
杜鵑
さかひの松の
うれに啼くなり
たがかたに
こころざすらむ
ほととぎす
さかひのまつの
うれになくなり
待つやどに
來つつかたらへ
杜鵑
身をうのはなの
垣根きらはで
まつやどに
きつつかたらへ
ほととぎす
みをうのはなの
かきねきらはで
聞かずとも
ここをせにせむ
ほととぎす
山田の原の
杉のむら立
きかずとも
ここをせにせむ
ほととぎす
やまだのはらの
すぎのむらたち
たちばなの
にほふ梢に
さみだれて
山時鳥
こゑかをるなり
たちばなの
にほふこずゑに
さみだれて
やまほととぎす
こゑかをるなり
杜鵑
さつきの雨を
わづらひて
尾上のくきの
杉に鳴くなり
ほととぎす
さつきのあめを
わづらひて
おのえのくきの
すぎになくなり
あやめ葺く
軒ににほへる
たちばなに
來て聲ぐせよ
山ほととぎす
あやめふく
のきににほへる
たちばなに
きてこゑぐせよ
やまほととぎす
ほととぎす
聲に植女の
はやされて
山田のさなへ
たゆまでぞとる
ほととぎす
こゑにうゑめの
はやされて
やまだのさなへ
たゆまでぞとる
芦の家の
ひまもる月の
かげまてば
あやなく袖に
時雨もりけり
あしのいへの
ひまもるつきの
かげまてば
あやなくそでに
しぐれもりけり
吾が戀は
三島が沖に
こぎいでて
なごろわづらふ
あまの釣舟
わがこひは
みしまがおきに
こぎいでて
なごろわづらふ
あまのつりぶね
爲忠がときはに爲業侍りけるに、西住・寂爲まかりて、太秦に籠りたりけるに、かくと申したりければ、まかりたりけり。有明と申す題をよみけるに
こよひこそ
心のくまは
知られぬれ
入らで明けぬる
月をながめて
こよひこそ
こころのくまは
しられぬれ
いらであけぬる
つきをながめて
かくて靜空・寂昭なんど侍りければ、もの語り申しつつ連歌しけり。秋のことにて肌寒かりければ、寂然まできてせなかをあはせてゐて、連歌にしけり
思ふにも
うしろあはせに
なりにけり
おもふにも
うしろあはせに
なりにけり
うらがへりつる
人の心は
うらがへりつる
ひとのこころは
後の世のものがたり各々申しけるに、人並々にその道には入りながら思ふやうならぬよし申して
靜空
人まねの
熊野まうでの
わが身かな
ひとまねの
くまのまうでの
わがみかな
そりといはるる
名ばかりはして
そりといはるる
なばかりはして
雨の降りければ、ひがさみのを着てまで來たりけるを、高欄にかけたりけるを見て
西住
ひがさきる
みのありさまぞ
哀れなる
ひがさきる
みのありさまぞ
あはれなる
雨しづくとも
なきぬばかりに
あめしづくとも
なきぬばかりに
さて明けにければ、各々山寺へ歸りけるに、後會いつと知らずと申す題、寂然いだしてよみけるに
歸り行くも
とどまる人も
思ふらむ
又逢ふことの
定めなの世や
かへりゆくも
とどまるひとも
おもふらむ
またあふことの
さだめなのよや
大原にをはりの尼上と申す智者のもとにまかりて、兩三日物語申して歸りけるに、寂然庭に立ちいでて、名殘多かる由申しければ、やすらはれて
歸る身に
そはで心の
とまるかな
かへるみに
そはでこころの
とまるかな
おくる思ひに
かふるなるべし
おくるおもひに
かふるなるべし
かく申して良暹が、まだすみがまもならはねばと申しけむ跡、かかるついでに見にまからむと申して、人々具してまかりて、各々思ひのべてつま戸に書きけるに
大原や
まだすみがまも
ならはずと
いひけむ人を
今あらせばや
おほはらや
まだすみがまも
ならはずと
いひけむひとを
いまあらせばや
人に具して修學院にこもりたりけるに、小野殿見に人々まかりけるに具してまかりて見けり。その折までは釣殿かたばかりやぶれ殘りて、池の橋わたされたりけること、から繪にかきたるやうに見ゆ。きせいが石たて瀧おとしたるところぞかしと思ひて、瀧おとしたりけるところ、目たてて見れば、皆うづもれたるやうになりて見わかれず。木高くなりたる松のおとのみぞ身にしみける
瀧おちし
水のながれも
あとたえて
昔かたるは
松のかぜのみ
たきおちし
みづのながれも
あとたえて
むかしかたるは
まつのかぜのみ
この里は
人すだきけむ
昔もや
さびたることは
變らざりけむ
このさとは
ひとすだきけむ
むかしもや
さびたることは
かはらざりけむ
いまだ世遁れざりけるそのかみ、西住具して法輪にまゐりたりけるに、空仁法師經おぼゆとて庵室にこもりたりけるに、ものがたり申して歸りけるに、舟のわたりのところへ、空仁まで來て名殘惜しみけるに、筏のくだりけるをみて
空仁
はやくいかだは
ここに來にけり
はやくいかだは
ここにきにけり
薄らかなる柿の衣着て、かく申して立ちたりける。優に覺えけり
大井川
かみに井堰や
なかりつる
おほゐかは
かみにゐせきや
なかりつる
かくてさし離れて渡りけるに、故ある聲のかれたるやうなるにて大智德勇健、化度無量衆よみいだしたりける、いと尊く哀れなり
流にさをを
さすここちして
ながれにさをを
さすここちして
心に思ふことありてかくつけけるなるべし。名殘はなれがたくて、さし返して、松の下におりゐて思ひのべけるに
大井川
君が名殘の
したはれて
井堰の波の
そでにかかれる
おほゐかは
きみがなごりの
したはれて
ゐせきのなみの
そでにかかれる
かく申しつつさし離れてかへりけるに、「いつまで籠りたるべきぞ」と申しければ、「思ひ定めたる事も侍らず、ほかへまかることもや」と申しける、あはれにおぼえて
いつか又
めぐり逢ふべき
法の輪の
嵐の山を
君しいでなば
いつかまた
めぐりあふべき
のりのえの
あらしのやまを
きみしいでなば
かへりごと申さむと思ひけめども、井堰のせきにかかりて下りにければ、本意なく覺え侍りけむ京より手箱にとき料を入れて、中に文をこめて庵室にさし置かせたりける。返り事を連歌にして遣したりける
空仁
むすびこめたる
文とこそ見れ
むすびこめたる
ふみとこそみれ
このかへりごと、法輪へまゐりける人に付けてさし置かせける
さとくよむ
ことをば人に
聞かれじと
さとくよむ
ことをばひとに
きかれじと
申しつづくべくもなき事なれども、空仁が優なりしことを思ひ出でてとぞ。この頃は昔のこころ忘れたるらめども、歌はかはらずとぞ承る。あやまりて昔には思ひあがりてもや
題なき歌
うき世には
ほかなかりけり
秋の月
ながむるままに
物ぞ悲しき
うきよには
ほかなかりけり
あきのつき
ながむるままに
ものぞかなしき
山の端に
いづるも入るも
秋の月
うれしくつらき
人のこころか
やまのはに
いづるもいるも
あきのつき
うれしくつらき
ひとのこころか
いかなれば
空なるかげは
ひとつにて
よろづの水に
月宿るらむ
いかなれば
そらなるかげは
ひとつにて
よろづのみづに
つきやどるらむ
北白河の基家の三位のもとに、行蓮法師に逢ひにまかりたりけるに、心にかなはざる戀といふことを、人々よみけるにまかりあひて
物思ひて
結ぶたすきの
おひめより
ほどけやすなる
君ならなくに
ものおもひて
むすぶたすきの
おひめより
ほどけやすなる
きみならなくに
忠盛の八條の泉にて、高野の人々佛かきたてまつることの侍りけるにまかりて、月あかかりけるに池に蛙の鳴きけるをききて
さ夜ふけて
月にかはづの
聲きけば
みぎはもすずし
池のうきくさ
さよふけて
つきにかはづの
こゑきけば
みぎはもすずし
いけのうきくさ
さらにまた
そり橋わたす
心地して
をぶさかかれる
かつらぎの嶺
さらにまた
そりはしわたす
ここちして
をぶさかかれる
かつらぎのみね