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往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時、日光と改給ふ。千歳未来をさとり給ふにや。
往昔そのかみこの御山おやま二荒山ふたらさんかきしを、空海大師くうかいだいし開基かいきの時、日光とあらためたまふ。千歳未来せんざいみらいをさとりたまふにや。
Когда-то в древности эту гору называли Футара — гора Двойного Запустения, но когда великий учитель Кукай основал здесь монастырь, он изволил изменить ее название на Никко — гора Солнечного света. Верно, прозрел он грядущее, удаленное от него на тысячу лет:
...когда великий учитель Кукай основал здесь монастырь... — Кукай (или Кобо-дайси, 774—835) — ученый и поэт, основатель буддийской секты Сингон. На самом деле храм был основан преподобным Седо в годы Энряку (782—806).
奥ニ弘法大師・行基菩薩堂有。



七言,南山中,新羅適者見過 一首 釋空海



七言,過金山寺 一首 釋空海



七言,留別青龍寺義操阿闍梨 一首 釋空海



七言,在唐觀昶法和尚小山 一首 釋空海



雜言,入山興 一首 釋空海



七言,現果詩 一首 釋空海



七言,過因詩 一首 釋空海



七言,秋山望雲雨以憶此心 一首 釋空海



かかれば、あるいは聖徳太子の生れ給へると申し、あるいは弘法大師の仏法興隆のために生れ給へるとも申すめり。



弘法大師高野山ニいりて、勝地をもとめたまふ時、一人のおきなあり。



土佐國室戸といふ所にて

弘法大師



眞如親王おとづれて侍りける返事に

弘法大師



高野の奥の院へ參る道に玉川と云ふ河の水上に毒虫の多かりければ此の流を飮むまじき由を示し置きて後よみ侍りける

弘法大師



弘法大師の法験事、国史にみゆる事あらは、しるしてと申ける人に

中原師光



弘法大師の法験事、国史にみゆる事あらは、しるしてと申ける人に

中原師光



弘法大師、諱空海、讃岐國人也。
弘法大師は、諱空海、讃岐の國の人なり。

Часть 1
大師於唐朝、投一鈴杵、卜本朝勝地、一墜東寺、一落紀伊國高野山、一落土佐國室生戸山。
大師の唐朝に於て、一鈴杵を投げ、本朝の勝地を卜するに、一は東寺に墜ち、一は紀伊の國高野山に落ち、一は土佐の國室生戸山に落つ。


大師頗得其心曰、有竊法之者。
大師頗るその心を得て曰く、竊法の之者有りと。


及大師歸朝、常以相挑。
大師歸朝するに及び、常にもつて相挑む。


大師陽死。
大師陽りて死す。


大師更行調伏法七日、修因頓受瘡而死。
大師更に調伏の法を行ふこと七日、修因頓に瘡を受けて死す。


大師又行懺悔法七日、降三世顯於鑪壇曰、我是修因也。
大師又懺悔の法を行ふこと七日、降三世於鑪壇に顯はれ曰く、我はこれ修因なり。


大師兼善草法。
大師兼ねて草法をよくす。

Часть 3
帝都南面三門竝應天門額大師所書也。
帝都の南面の三門竝びに應天門の額は大師の書く所なり。


夢有人、來稱弘法大師使、踏其首。
夢に人有り、來りて弘法大師の使ひと稱し、その首を踏む。


令寮官請額於大師。
寮官をして額を於大師に請はしむ。


使違期不能謁大師。
使ひ期を違へ大師に謁すること能はず。


仍祈念曰、大師大權之人也。
仍て祈念して曰く、大師は大權の之人なり。


殆如大師之自書。
殆んど大師の之自書のごとし。


大師覺其心、請阿耨達池善如龍王。
大師その心を覺り、阿耨達池の善如龍王を請ず。


大師之心行、多見於遺告廿二章。
大師の之心行、多く於遺告廿二章に見ゆ。


或曰、大師已得證究竟大覺位。
或ひと曰く、大師已に證を得究竟大覺の位なり。

Часть 6
大師曰、有兩鉢之咎。
大師曰く、兩鉢の之咎有り。


送書於大師曰、雖多明師、不過大師。
書を於大師に送つて曰く、明師多しといへども、大師に過ぎず。