Весна
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Лето
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Осень
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Зима
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Любовь
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Благопожелания
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Странствия
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Разлука
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Скорбь
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Буддийское
1
Синтоистское
0
Разное
4
Иное
0
経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
経堂きょうどう三将さんしょうぞうをのこし、光堂ひかりどう三代さんだいひつぎおさめ、三尊さんぞんほとけ安置あんちす。
В Зале Сутр сохранились статуи трех военачальников, а в Зале Света находятся усыпальницы трех поколений и три образа будд.
* В Зале Сутр сохранились статуи трех военачальников... — о каких военачальниках идет речь, неизвестно. На самом деле в этом здании находятся статуи бодхисаттвы Мондзю (санск. Манд-жушри), царя Удэна (санскр. Удаяна) и отрока Дзэндзай. В «Дневнике Сора», кстати, говорится о том, что, когда они пришли в монастырь Тюсондзи, там не было сторожа, и никто не смог открыть здания двух храмов.
* ...усыпальницы трех поколений... — речь идет о трех поколениях северной ветви рода Фудзивара: основоположником ее был Фудзивара Киёхира (1056—1128), вельможа родом из Муцу, сумевший захватить власть над шестью уездами провинций Муцу и Дэва. фудзивара Мотохира (годы жизни неизвестны) — сын Киёхира, правил десятью уездами северных провинций, имея главную резиденцию в Хираидзуми, и Фудзивара Хидэхира (?—1187) — сын Мотохира (см. примеч. 195).
* ...три образа будд — будды Амида, Каннон и Сэйси.
今世、安置吉野比蘇寺、而放光阿彌陀之像是也。

Статуя Амиды, которая в нынешнее правление испускает сияние и находится в храме Хисодэра, что в Ёсино, - [одна из этих статуй].

河內國石川郡八多寺、有阿彌陀畫像。

В храме Хата, что в уезде Исикава провинции Кавати, есть рисованное изображение Амида.
河內國-провинция Кавати
石川郡-уезд Исикава
天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる所の屋のつまの庭に、阿弥陀仏立ち給へり。

Лишь одно даёт мне надежду — тринадцатого числа десятого месяца, на третий год Тэнки, я увидела во сне Будду Амида[130], стоящего в саду перед нашим домом.
[130] …тринадцатого числа десятого месяца, на третий год Тэнки, я увидела во сне Будду Амида… — Амида (Amitabha), по представлениям буддистов, после смерти забирает в свой Западный Рай тех, кто при жизни в него верил и многократно повторял его имя. Сон точно датирован третьим годом эры Тэнки (1055 г.), и это единственный подобный пример в дневнике, что говорит о значимости события для автора.
いま日野山の奧に跡をかくして後、南に假の日がくしをさし出して、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、中うちには西の垣に添へて阿彌陀の畫像を安置し奉り、落日を受けて眉間のひかりとす。

Теперь, сокрыв стопы свои в глуши гор Хинояма, на южной стороне жилища я построил легкий навес от солнца и настлал там настилку из бамбука, на западе которой устроил полку для воды священной. В хижине самой у западной стены установил изображение Амида, и когда я наблюдал на нем лучи клонящегося солнца, мне представлялось, что этот свет — с его чела.
* ...изображение Амида... — Будда Амида (Амитабха — «Неизмеримое сияние») — верховное божество в стране блаженства, которая, по буддийской мифологии, находится на западе — там, куда уходит солнце.
請有緣處、勸人集物、雕造阿彌陀佛、

Он доставил [бревно] в подходящее место, созвал людей, собрал пожертвования и [заказал резчикам] изваять статуи будды Амида,

ある人、法然上人に、「念仏の時、眠りにをかされて行を怠り侍ること、いかがして、この障りをやめはべらむ。」と申しければ、「目のさめたらむほど、念仏し給へ。」と答へられたりける、いと尊かりけり。

Некий человек пожаловался как-то высокомудрому Хонэну:
— Во время молитвы «Поклоняюсь будде Амитабха» меня клонит ко сну, и я пренебрегаю молитвой. Как мне от этого избавиться?
— Как проснешься, твори молитву, — ответил ему святейший.
Ответ, достойный уважения.

見れば、三十余ばかりなる僧の、細やかなる目をも、人に見合はせず、ねぶり目にて、時々阿弥陀仏を申す。

На вид отшельнику можно было дать лет тридцать с лишним, был он худощав глаза его были полуприкрыты, поскольку не желал ни на кого глядеть, губы же время от времени шевелились, возглашая имя будды Амиды.

阿弥陀仏より外の事知らず、他事なく念仏申してぞ年経にける。

Свои дни он проводил не в трудах, а лишь в молитве будде Амиде, поскольку ни о чем другом отродясь и слыхом не слыхивал.

「阿弥陀仏、我を殺す人あり。をうをう」とぞ叫びける。

тот вскричал: “О, будда Амида, этот человек хочет меня убить! На помощь, на помощь!” –

いまぞこれ
入り日を見ても
思ひこし
弥陀の御国の
夕暮れの空
いまぞこれ
いりひをみても
おもひこし
みだのみくにの
ゆふぐれのそら
Глядя на заходящее солнце,
Представляю себе лишь одно:
Закат солнца
В небе страны
Амибудды.

昔より
阿弥陀ほとけの
ちかひにて
煮ゆるものをば
すくふとぞ知る
むかしより
あみだほとけの
ちかひにて
にゆるものをば
すくふとぞしる


南無阿弥陀
ほとけの御手に
かくる糸の
をはり乱れぬ
心ともがな
なもあみだ
ほとけのみてに
かくるいとの
をはりみだれぬ
こころともがな
О Будда Амитабха!
Надеюсь и верю, что нить,
Протянутая твоею рукою,
Не оборвется
И удержит мое сердце!

あみだ佛と
いふなる聲に
夢さめて
西へ傾ぶく
月を社みれ
あみだぶと
いふなるこゑに
ゆめさめて
にしへかたぶく
つきをこそみれ


極樂の
彌陀の誓に
救はれて
洩るべき人も
あらじとぞ思ふ
ごくらくの
あみのちかひに
すくはれて
もるべきひとも
あらじとぞおもふ


依釋迦遺教念阿彌陀といふ事をよめる

皇后宮肥後

Хиго

たゆみなく
心をかくる
彌陀ぼとけ
人遣ならぬ
誓たがふな
たゆみなく
こころをかくる
みだぼとけ
ひとやりならぬ
ちかひたがふな


阿彌陀佛と
唱ふる聲を
楫にてや
苦しき海を
漕ぎ離るらむ
あみたふと
となふるこゑを
かちにてや
くるしきうみを
こぎはなるらむ


依釋迦遺教念彌陀といふ心をよみ侍りける

京極前關白家肥後

Хиго

闇路をば
彌陀の御法に
まかせつゝ
春の半の
月は入りにき
やみぢをば
あみのみのりに
まかせつつ
はるのなかばの
つきはいりにき


阿彌陀經、歡喜信受の心を

天台座主道玄



阿彌陀を

式子内親王



彌陀他力の心をよみける

信生法師



阿彌陀經、常作天樂の心を

俊頼朝臣



急げ人
彌陀の御舟の
通ふ世に
のり後れなば
いつか渡らむ
いそげひと
あみのみふねの
かよふよに
のりおくれなば
いつかわたらむ


般舟讃、一到彌陀安養國元來是我法王家の心を

雙救上人



夏衣
ひとへに西を
思ふかな
うらなく彌陀を
頼む身なれば
なつころも
ひとへににしを
おもふかな
うらなくあみを
たのむみなれば


觀經釋文、釋迦此方發遺彌陀即彼國來迎

前大納言爲家



畫像の阿彌陀佛をかけ奉りて、淨土の法文などを書けり。



そのほか、由井の浦といふ所に、阿彌陀の大佛を作り奉るよし語る人あり。



この阿彌陀は、八丈の御長なれば、かの大佛のなかばよりもすすめり。



人、といふとも、かくいふとも、ただ阿彌陀佛にたゆみなく經をならひ侍らん。

Что бы люди там ни говорили, а я решила все помыслы обратить к будде Амиде и сутрам.

「悲しきことと言ひながら、今さらにさま悪しき声も聞かせじ。ただ、われ失せて別れぬるなり」、阿弥陀仏に、「救ひ給へ」と念じて、車にかき乗せらるるほどの心地、推し量るべし。



日ごろになるにも、心地の弱く、苦しくなりて、「さは、今は、言ひ置き給ひし阿弥陀仏は、九品蓮台に迎へ給へ。



阿弥陀仏の
絶え間苦しき
海人はただ
いを安くこそ
寝られざりけれ
あみだぶの
たえまくるしき
あまはただ
いをやすくこそ
ねられざりけれ


阿弥陀仏と
思ひて行けば
凉しくて
すみ渡るなる
そこよりぞ
九品にて
蓮葉を
生ひのほかなる
上葉こそ
露のわが身を
置きてむと
思ふ心し
深ければ
この世につらき
ことも歎かぬ
あみだぶと
おもひてゆけば
すずしくて
すみわたるなる
そこよりぞ
ここのしなにて
はちすはを
おひのほかなる
うはばこそ
つゆのわがみを
おきてむと
おもふこころし
ふかければ
このよにつらき
こともなげかぬ

生ひのほかなる=冷泉家本「生ひのぼるなる」らしい
小阿弥陀経



「いかなる月日出で来たるにか」とも、この折、知るべき人のあらばこそ、人も責め、阿弥陀仏ばかりこそは頼み参らするままに思へど、「いらへせさせ給はばこそは」と心のわびしきままに思ひわびて、律師の見え給ふに、愁へ聞こゆるに、「われもそのことを思ふなり。
「いかなる月日出で来たるにか」とも、この折、知るべき人のあらばこそ、人も責め、阿弥陀仏ばかりこそは頼み参らするままに思へど、「いらへせさせ給はばこそは」と心のわびしきままに思ひわびて、律師りしの見え給ふに、愁へ聞こゆるに、「われもそのことを思ふなり。

律師=成尋阿闍梨母のもう一人の子。
八月十一日の夢に、阿闍梨おはして、阿弥陀の讃と申すものの、古きを書きあらためて、「これを見よ」とて、取らせ給へりと見る。
八月十一日の夢に、阿闍梨あざりおはして、阿弥陀の讃と申すものの、古きを書きあらためて、「これを見よ」とて、取らせ給へりと見る。


なにとなく
物そかなしき
あきかせの
みにしむよはの
たひのねさめは
なにとなく
ものそかなしき
あきかせの
みにしむよはの
たひのねさめは

なもあみた
誹諧歌:阿弥陀の小呪のもしをうたのかみにおきて、十首よみ侍りける時、おくにかきつけ侍りける

源俊頼朝臣
誹諧歌:阿弥陀の小呪のもしをうたのかみにおきて、十首よみ侍りける時、おくにかきつけ侍りける

源俊頼朝臣
Минамото Тосиёри

阿弥陀の十二光仏の御名をよみ侍りけるなかに、智恵光仏の心をよめる

源俊頼朝臣
阿弥陀の十二光仏の御名をよみ侍りけるなかに、智恵光仏の心をよめる

源俊頼朝臣
Минамото Тосиёри

阿弥陀経の心をよめる

平康頼
阿弥陀経の心をよめる

平康頼


阿彌陀の光願にまかせて、重業障のものをきらはず、地獄をてらしたまふにより、地獄のかなへの湯、淸冷の池になりて、はちすひらけたるところを、かきあらはせるを見て



三尺の阿弥陀仏に向かひ参らせさせ給ひて、法華経を明け暮れ読ませ給けりと、人申し伝へたり。

Люди передают, что она, обратившись лицом к изваянию будды Амида читала сутру Лотоса с утра до ночи.

昔より
阿弥陀仏の
ちかひにて
煮ゆるものをば
すくふとぞ知る
むかしより
あみだほたけの
ちかひにて
もゆるものをば
すくふとぞしる


今は昔、入道殿、京極殿の東に、阿弥陀堂を建てて、その内に丈六阿弥陀仏を造り据ゑ奉りて、三月の一日に供養し給ふ。
今は昔、入道殿、京極殿のひむがしに、阿弥陀堂を建てて、その内に丈六阿弥陀仏を造り据ゑ奉りて、三月の一日に供養し給ふ。
Давным-давно Господин, Вступивший на Путь, [Фудзивара Митинага]
入道殿=藤原道長
その日になりて、山・三井寺・奈良の僧、参り集まりて、阿弥陀経を誦むこと、山響くばかりなり。



阿弥陀経誦むこと、念仏申すこと、限りなし。
阿弥陀経誦むこと、念仏ねぶつ申すこと、限りなし。


阿弥陀経を読み、念仏を唱る事限無し。



その言葉にいはく、「弟子、敬つて、西方極楽化主阿弥陀如来・観音・勢至、諸々の聖衆を驚かして申す。われ、受けがたき人身を受けて、たまたま仏法に遇へりといへども、心、もとより愚痴にして、さらに勤め行ふことなし。いたづらに明かし暮らして、むなしく三途に帰りなんとす。しかるを、阿弥陀如来、われと縁深くおはしますに依つて、濁れる末の世の衆生を救はんがため、大願を発し給へることありき。その趣を尋ぬれば、『たとひ、四重五逆を作れる人なりとも、命終らん時、『わが国に生れん』と願ひ、『南無阿弥陀仏』と十度申さば、必ず迎へむ』と誓ひ給へり。今、この本願を頼むが故に、今日より後、命を限りにて、夕べごとに、西に向ひて、宝号を唱ふ。願はくは、今夜まどろめる中にも、命尽きなんことあらば、これを終りの十念として、本願あやまたず、極楽へ迎へ給へ。たとひ、残りの命あつて、今宵過ぎたりとも、終り願ひのごとくならずして、弥陀を唱へずは、日ごろの念仏をもつて、終りの十念とせむ。われ、罪重しといへども、いまだ五逆を作らず。功徳少なしといへども、深く極楽を願ふ。すなはち、本願にそむくことなし。必ず引接し給へ」と書けり。
その言葉にいはく、「弟子、敬つて、西方極楽化主阿弥陀如来・観音・勢至、諸々の聖衆を驚かして申す。われ、受けがたき人身を受けて、たまたま仏法に遇へりといへども、心、もとより愚痴にして、さらに勤め行ふことなし。いたづらに明かし暮らして、むなしく三途に帰りなんとす。しかるを、阿弥陀如来、われと縁深くおはしますに依つて、濁れる末の世の衆生を救はんがため、大願を発し給へることありき。そのおもむきを尋ぬれば、『たとひ、四重五逆を作れる人なりとも、命終らん時、『わが国に生れん』と願ひ、『南無阿弥陀仏』と十度申さば、必ず迎へむ』と誓ひ給へり。今、この本願を頼むがゆゑに、今日より後、命を限りにて、夕べごとに、西に向ひて、宝号を唱ふ。願はくは、今夜こんやまどろめる中にも、命尽きなんことあらば、これを終りの十念として、本願あやまたず、極楽へ迎へ給へ。たとひ、残りの命あつて、今宵過ぎたりとも、終り願ひのごとくならずして、弥陀を唱へずは、日ごろの念仏をもつて、終りの十念とせむ。われ、罪重しといへども、いまだ五逆を作らず。功徳少なしといへども、深く極楽を願ふ。すなはち、本願にそむくことなし。必ず引接いんぜうし給へ」と書けり。


弥陀仏の悲願を聞きながら、勤め行はずして、いたづらにあたら月日を過ごす。


阿弥陀如来
しかあれど、その師にも越えて、定のうちに、阿弥陀を見奉り、おぼつかなきことを問ひ奉り、証を得給へり。
しかあれど、その師にも越えて、ぢやうのうちに、阿弥陀を見奉り、おぼつかなきことを問ひ奉り、証を得給へり。

阿弥陀如来
「初めの七日は、地蔵・龍樹来たりて、迎へ給ふと見る。二七日には普賢・文殊迎へ給ふと見る。三七日には、阿弥陀如来、もろもろの菩薩とともに来たりて、迎へ給ふと見る」とぞ、書き置きたりける。



聖のいはく、「『それに乗らん』と思し召すべからず。なほなほ、ただ阿弥陀仏を念じ奉りて、『仏の迎ひにあづからん』と思せ」と教ふ。



聖の言ふやう、「阿弥陀仏の本願を強く念じて、名号をおこたらず唱へ給へ。五逆の人だに、善知識に会ひて、念仏十度申しつれば、極楽に生まる。いはんや、さほどの罪は、よも作り給はじ」と言ふ。
聖の言ふやう、「阿弥陀仏の本願を強く念じて、名号をおこたらず唱へ給へ。五逆の人だに、善知識に会ひて、念仏十度とたび申しつれば、極楽に生まる。いはんや、さほどの罪は、よも作り給はじ」と言ふ。


常に阿弥陀を唱へて歩き給ひければ、世の人、これを「阿弥陀聖」と言ふ。
常に阿弥陀を唱へてありき給ひければ、世の人、これを「阿弥陀聖」と言ふ。


すなはち、世を遁れのがれ、頭おろし、所々修行しける後には、飛鳥寺の辺に庵を結び、座禅・念仏して、さしたる勤めとては、小阿弥陀一遍を読みける。
すなはち、世をのがれのがれ、かしらおろし、所々修行しける後には、飛鳥寺のへんに庵を結び、座禅・念仏して、さしたる勤めとては、小阿弥陀一遍を読みける。

飛鳥寺.元興寺
小阿弥陀. 阿弥陀経
いささか頼もしきことの侍るは、ある記にいはく、「中ごろ、唐に朝夕念仏申す僧ありけり。その居所近く、鸚鵡といふ鳥のねぐらしめて棲むありけり。すなはち、念仏の声を聞き習ひて、かの鳥のくせなれば、口まねをしつつ、常に『阿弥陀仏』と鳴く。人、こぞりて、これをあはれみ讃むるほどに、この鳥、おのづから死ぬ。寺の僧ども、これを取りて掘り埋みたりけり。後、その所より、蓮花一本生ひたり。驚きながら掘りて見れば、かの鸚鵡の舌を根としてなむ生ひ出でたりける」。
いささか頼もしきことの侍るは、ある記にいはく、「中ごろ、もろこしに朝夕念仏申す僧ありけり。その居所近く、鸚鵡といふ鳥のねぐらしめて棲むありけり。すなはち、念仏の声を聞き習ひて、かの鳥のくせなれば、口まねをしつつ、常に『阿弥陀仏』と鳴く。人、こぞりて、これをあはれみ讃むるほどに、この鳥、おのづから死ぬ。寺の僧ども、これを取りて掘りうづみたりけり。後、その所より、蓮花一本ひともと生ひたり。驚きながら掘りて見れば、かの鸚鵡の舌を根としてなむ生ひ出でたりける」。


中にも、阿弥陀仏の悲願は、なほざりなることかは。


「ことかは」底本「コトハ」。諸本により訂正
阿弥陀四十八願の歌よみ侍けるに、聞名見仏

皇太后宮大夫俊成女



阿弥陀経、六方護念の心を

信生法師



阿弥陀四十八願の歌よみ侍けるに、聞名見仏

皇太后宮大夫俊成女



阿弥陀経、六方護念の心を

信生法師



手馴しけるわらはの、身まかりにける一回に、阿弥陀経、諸上善人倶会一処の心をよみ侍ける

法印定為



極楽へ
むまれんと思ふ
心にて
南無阿弥陀仏と
いふは三心
ごくらくへ
むまれんとおもふ
こころにて
なもあみだぶと
いふはみこころ

*1極楽にイ
*5いふそ三心イ
弥陀頼む
人は雨夜の
月なれや
雲晴ねとも
西にこそゆけ
みだたのむ
ひとはあめよの
つきなれや
くもはれねとも
にしにこそゆけ