Весна
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仁和寺にきくのはなめしける時にうたそへてたてまつれとおほせられけれは、よみてたてまつりける

平さたふん
仁和寺にきくのはなめしける時にうたそへてたてまつれとおほせられけれは、よみてたてまつりける

平さたふん
Сложил в ответ на повеление сочинить песню, дабы преподнести ее с цветами хризантем прежнему Государю в храме Ниннадзи

Тайра-но Садафун
153. Прежний Государь — ушедший в монашество, по обычаю, Государь-инок, бывший император Уда.
Храм Ниннадзи в Хэйан служил временной резиденцией императора Уда.
幼くより出家して、仁和寺の僧正の御かしづきものにておはしますめり。



この大夫の御子ぞかし、今の仁和寺の別当、律師尋清の君。



父宮は出家せさせ給ひて、仁和寺におはしまししかば、六条殿、修理大夫にておはしまししほどなれば、仁和寺へ参らせ給ふゆき帰りの道を、一度は、東の大宮より上らせ給ひて、一条より西ざまにおはしまし、また一度は、西の大宮より下らせ給ひて、二条より東ざまなどに過ぎさせ給ひつつ、内裏を御覧じて、破れたる所あれば、修理せさせ給ひげり。



仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつつ數知らず死ぬることを悲しみて、聖を數多語らひつつ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなむせられける。

Преподобный Рюгё из храма Ниннадзи, скорбя о том, что люди так умирают без счёта, совершал вместе с многочисленными священнослужителями повсюду, где только виднелись мертвые, написанье на челе у них буквы «а» и этим приобщал их к жизни вечной.
* Ниннадзи — храм секты Сингон («Истинного Слова»), расположен в нынешнем Киото.
* ...к жизни вечной — Первая буква санскритского алфавита, по учению Сингон, являет образ истока, начала начал. Само её созерцание освобождает от страданий, выводит на путь, в конце которого можно стать буддой, достичь нирваны — чистого блаженства, существующего в бесконечности.
仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。

Один монах преклонных лет из храма Ниннадзи ни разу не был на поклонении в святилище Ивасимидзу, и это доставляло ему много огорчений. Однажды, наконец решившись, он в полном одиночестве отправился на поклонение.

これも仁和寺の法師、童の法師になりたらんとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔ひて興に入るあまり、かたはらなる足鼎を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻を押し平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。

А вот еще о монахе из храма Ниннадзи. Во время всеобщего веселья по случаю пострижения одного отрока этот монах опьянел и так разошелся, что схватил стоявший рядом котел-треножник и с силой нахлобучил его себе на голову – расплющил нос, сдавил лицо, а когда в таком виде пустился в пляс, удовольствию присутствующих не было границ.

「かかることは文にも見えず、伝へたる教へもなし。」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんともおぼえず。

– О подобных недугах мне не доводилось ни в книгах читать, – сказал на это лекарь, – ни получать устных наставлений. И монаху пришлось ни с чем вернуться в храм Ниннадзи. У его изголовья столпились друзья, пришла старуха мать, все горевали и плакали, но бедняга даже не слышал их.


仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に狐三つ飛びかかりて食ひつきければ、刀を抜きてこれを防ぐ間、狐二匹を突く。

В храме Ниннадзи однажды ночью к служителю низшего ранга, что проходил мимо центрального храма, подскочили три лисы и вцепились в него зубами. Тогда он выхватил меч и, защищаясь, ударил им лис.

今は昔、遍照寺僧正寛朝といふ人、仁和寺をもしりければ、仁和寺のやぶれたるところ修理せさすとて、番匠どもあまたつどひて作りけり。



京極の御やす所尼に成りて戒うけむとて仁和寺にわたりて侍りければ

あつみのみこ



題しらす

仁和寺法親王(守覚)
題しらす

仁和寺法親王(守覚)
Без названия

принц Сюкаку из храма Ниннадзи

夜思山花といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
夜思山花といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
принц Какусё из храма Ниннадзи

卯花の歌とてよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
卯花の歌とてよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
Сочинил про цветы унохана

принц Какусё из храма Ниннадзи

仁和寺のみこのもとにて、郭公の歌五首よみ侍りける時、よめる

按察使公通
仁和寺のみこのもとにて、郭公の歌五首よみ侍りける時、よめる

按察使公通
Фудзивара Кинмити

暮天郭公といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
暮天郭公といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
принц Сюкаку из храма Ниннадзи

氷室をよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
氷室をよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
принц Какусё из храма Ниннадзи

秋たつ日よみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
秋たつ日よみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Сочинил в первый день осени

Принц [Сюкаку] из храма Ниннадзи

野花露といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
野花露といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
принц Сюкаку из храма Ниннадзи

題しらす

(仁和寺)道性法親王
題しらす

(仁和寺)道性法親王
Без названия

Принц Досё из храма Ниннадзи

月前擣衣といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
月前擣衣といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
Об отбивании одежд при луне

Принц [Какусё], по воле государя вступивший на Путь, из храма Ниннадзи

紅葉のこころをよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
紅葉のこころをよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
Об осенних листьях

Принц Какусё из храма Ниннадзи

時雨のうたとてよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
時雨のうたとてよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

題しらす

仁和寺後入道法親王(覚性)
題しらす

仁和寺後入道法親王(覚性)
Без названия

Принц Какусё из храма Ниннадзи

遍照寺にて、池辺雪といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
遍照寺にて、池辺雪といへる心をよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Принц Сюкаку из храма Ниннадзи

旅宿のこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
旅宿のこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Принц Сюкаку из храма Ниннадзи

待賢門院かくれさせ給うてのち、法金削院にてほとときすのなき侍りけるに

仁和寺後入道法親王(覚性)
待賢門院かくれさせ給うてのち、法金削院にてほとときすのなき侍りけるに

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

仁和寺法親王(道性)蓮花心院にてかくれ侍りにけるのち、月忌の日、かの墓所にまかりけるに、山に雲かかりて心ほそく侍りけれはよめる

覚蓮法師(俗名隆行)
仁和寺法親王(道性)蓮花心院にてかくれ侍りにけるのち、月忌の日、かの墓所にまかりけるに、山に雲かかりて心ほそく侍りけれはよめる

覚蓮法師(俗名隆行)


暮恋故人といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
暮恋故人といへるこころを

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

月為友といへる心を

仁和寺後入道法親王(覚性)
月為友といへる心を

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

みのおの山寺にひころこもりて、いて侍りけるあかつき、月のおもしろく侍りけれは

仁和寺後入道法親王(覚性)
みのおの山寺にひころこもりて、いて侍りけるあかつき、月のおもしろく侍りけれは

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

落花のこころをよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
落花のこころをよみ侍りける

仁和寺後入道法親王(覚性)
Принц Какусё из храма Ниннадзи

一品聡子内親王、仁和寺にすみ侍りける冬ころ、かけひのこほりを三のみこのもとにおくられて侍りけれは、つかはしける

輔仁のみこ
一品聡子内親王、仁和寺にすみ侍りける冬ころ、かけひのこほりを三のみこのもとにおくられて侍りけれは、つかはしける

輔仁のみこ


高野にまうて侍りける時、山路にてよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
高野にまうて侍りける時、山路にてよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Принц Сюкаку из храма Ниннадзи

述懐のこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
述懐のこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Принц Сюкаку из храма Ниннадзи

閑居水声といへるこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
閑居水声といへるこころをよみ侍りける

仁和寺法親王(守覚)
Принц Сюкаку из храма Ниннадзи

御返事

仁和寺後入道法親王(覚性)
御返事

仁和寺後入道法親王(覚性)
Ответ

Принц Какусё из храма Ниннадзи

五十首の歌よみ侍りける時

仁和寺二品法親王守覺



仁和寺の御室にて、山家閑居見雪と云ふ事をよませ給ひけるに



ある人、さまかへて仁和寺のおくなるところにすむとききて、まかりてたづねければ、あからさまに京にとききてかへりにけり、そののち人つかはしてかくなんまゐりたりしと申したりける返事に



堀河の局、仁和寺にすみけるに、まゐるべきよし申したりけれども、まぎるる事ありて程へにけり、月の比、まへをすぎけるをききていひおくりける



仁和寺御室にて、道心逐年深と云ふ事をよまさせ給ひけるに



あざり源賢、よをのがれて高野にすみ侍りける、あからさまに仁和寺へいでて、かへりもまゐらぬことにて、僧都になりぬとききて、いひつかはしける



世の中に大事いできて、新院あらぬさまにならせおはしまして、御ぐしおろして、仁和寺の北院におはしましけるにまゐりて、けんげんあざりいであひたり、月あかくてよみける



題志らず

仁和寺二品親王守覺



仁和寺にすませ給ひける頃いつまでさてはなどみやこより人のたづね申したりければよませ給へる

三宮



堀河院の御時殿上人あまたぐして花見ありきけるに仁和寺に行宗の朝臣ありときゝて懷紙やあると尋ねて侍りければつかはすとてうへにかきつけ侍りける歌

源行宗朝臣

Минамото Юкимунэ

花の歌の中に

仁和寺二品法親王守覺



仁和寺二品法親王守覺



仁和寺よりあからさまに京へ御幸ありて九月十三夜、山家月を

院御歌



法印澄憲建久元年日吉の大宮の千僧供養の導師の賞を仁和寺の海惠にゆづりて律師になり侍りにけり。かの海惠、律師になりなば日吉へ參るべき由申しながら年月を送り侍りけるに示し給ひけるとなむ。



田家曉月と云へる事を

仁和寺二品法親王守覺



題志らず

仁和寺二品法親王守覺



殿の上、讃岐と、宰相の君、くらの命婦、御几帳の内に、仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君も、召し入れたり。

Итак, во внутренней галерее находились: государыня, госпожа Сайсё и Кура-но Мёбу. За занавески пригласили также настоятеля храма Ниннадзи и посланника государя в храме Миидэра.


仁和寺に渡りて、思ひ乱るる南面に、梅花いみじう咲きたるに、鶯の鳴きしかば、
仁和寺に渡りて、思ひ乱るる南面みなみおもてに、梅花いみじう咲きたるに、鶯の鳴きしかば、


仁和寺仁和寺と申すも参らせ給へるに、宇治殿、「良き人あまた候ひ給ふほどに、しばし」と召せば、参り給ひぬる。
仁和寺にわじの宮と申すも参らせ給へるに、宇治殿、「良き人あまた候ひ給ふほどに、しばし」と召せば、参り給ひぬる。

仁和寺の宮=性信法親王。三条天皇皇子師明親王。大御室ともいわれる。
思ひわびて、仁和寺の律師のもとに、
思ひわびて、仁和寺の律師りしのもとに、


「これらにあるほどに迎へよ」とやありけん、正月つごもりの日、仁和寺より車おこせて、迎へに賜ふ。
「これらにあるほどに迎へよ」とやありけん、正月つごもりの日、仁和寺にわじより車おこせて、迎へに賜ふ。


「仁和寺へまかるぞ」と書きて、



からうじて、起き上がりて見れば、仁和寺の前に、梅の、木にこぼるばかり咲きたり。
からうじて、起き上がりて見れば、仁和寺にわじの前に、梅の、木にこぼるばかり咲きたり。


この仁和寺の松風、ときはにのみ吹きて、いとどものあはれにのみぞ。
この仁和寺にわじの松風、ときはにのみ吹きて、いとどものあはれにのみぞ。


岩倉を出でて、仁和寺へ渡りし折のことは、みな書きとどめて侍れど、なほ飽かず思えて。
岩倉を出でて、仁和寺にわじへ渡りし折のことは、みな書きとどめて侍れど、なほ飽かず思えて。


「仁和寺の居どころ、人離れておぼつかなし」とて、夜な夜なは宿直に人おこせ給ふを、「京より来むにはいとほし」など、人々言ひて、そそのかして、律師も、「さは、出でよ」と、のたまふ。
「仁和寺の居どころ、人離れておぼつかなし」とて、夜な夜なは宿直とのゐに人おこせ給ふを、「京より来むにはいとほし」など、人々言ひて、そそのかして、律師も、「さは、出でよ」と、のたまふ。


とのみ、独りごちつつ、明かし暮せど、かの正月のつごもりの日、仁和寺に渡りし折りのみ、ただ今のやうに思えて、別れ悲しく、
とのみ、独りごちつつ、明かし暮せど、かの正月のつごもりの日、仁和寺にわじに渡りし折りのみ、ただ今のやうに思えて、別れ悲しく、


仁和寺より帰りてのち、三月二十日ばかり、雨降り暗して、いとつれづれなるを、
仁和寺にわじより帰りてのち、三月二十日ばかり、雨降り暗して、いとつれづれなるを、


秋日過仁和寺



萩を

仁和寺二品親王守覺



正月になりても、「この月のつごもりぞかし、岩倉より仁和寺へ渡りしは」と思ひ出づるに、「三年になりにける」と、いとあはれなるにも、「おぼつかなく隔てける年かな」とぞ、
正月になりても、「この月のつごもりぞかし、岩倉より仁和寺にわじへ渡りしは」と思ひ出づるに、「三年になりにける」と、いとあはれなるにも、「おぼつかなく隔てける年かな」とぞ、


亦、僧共の見ければ、下に入道殿の御ます上つ方に、香染の法服着したる僧の居たれば、「彼れは誰そ、仁和寺の済信大僧正の在す也けり」と思て、皆僧共歩び行くに、漸く近く成る程に、此の人見えず成ぬ。



今昔、仁和寺の東に香隆寺と云ふ寺有り。



今昔、仁和寺に観峰威儀師と云ふ者有けり。



而るに、此の童、仁和寺の西に鳴滝と云ふ所に行て、河に水を浴みて、小松原の有る所に行て、薄を苅集て、小き庵を造て、庵の内に入り居て、西に向て掌を合せて、音を挙て、「南無阿弥陀仏」と、十・廿度許唱ふるに、其の辺の馬牛飼ふ童部、此の音を聞て、「滝丸は何事為るぞ」と思て、寄て立ち並て見るに、此の如く念仏を唱へて、念仏の音止ぬれば、頸を打垂ひて死ぬ。



童部、此れを見て、驚て、人に告れば、仁和寺の人、員知らず集来て、此れを見て、「奇異の事也」と貴びて皆返にけり。



仁和寺の池上の平救阿闍梨と云ふ人の弟子也。



今昔、仁和寺に成典僧正と云ふ人有けり。



然れば、其の人、仁和寺に行ひて居たる。



同仁和寺の内の辰巳の角に、円堂と云ふ寺有り。



其の人の広沢に住給けるに、亦仁和寺の別当にても御ければ、「彼の寺の壊たる所を修理せむ」とて、麻柱を結て、日毎に工共数来て修理しけるに、日暮て、工共各返て後、僧正、「工の今日の所作は何か許したると見む」と思給て、中結にして、高足駄を履て、杖を突て、只独り寺の許に歩み出て、麻柱共結たる中に立廻て見給ける程に、黒く装ぞきたる男の、烏帽子を引垂れて、夕暮方なれば、顔は慥に見へずして、僧正の前に出来て突居たり。



近来、仁和寺に有る僧共は、彼の僧正の流れ也となむ語り伝へたるとや。



然て、其の枕を打破つ、仁和寺の東の辺に有る弥勒寺と云ふ寺をば造たる也けり。



此て、常に参り行く程に、内より罷出て、一条より仁和寺へ行とて、西の大宮を行く程に、袙袴着たる女の童の穢気無き、寛蓮が童子を一人呼び取て物を云ふ。



物云ふべき方も思はぬに、女、少し咲たる音にて、「亦や」と云へば、寛蓮、「此る者には、亦物云はぬぞ吉き」と思て、尻切も履敢へず逃て、車に乗て散じて、仁和寺に返て、院に参て「然々の事なむ候つる」と申ければ、院も「誰にか有らむ」と不審がらせ給て、次の日、彼の所に人を遣して、尋ねられけるに、其の家に人一人も無し。



今昔、仁和寺の東に高陽川と云ふ川有り。



近き世のことにや、仁和寺の奥に、同じさまなる聖二人ありけり。



正治百首歌奉りける時

仁和寺二品法親王守覚



やまふにわつらひけるかすこしをこたりて侍けれは、そのよし人につけたる文を後に見いてて、つねならぬ世のさためなさも今更に思ひしられてよめる

仁和寺二品法親王守覚



題しらす

仁和寺二品法親王守覚



仁和寺に年久しく篭居侍けるか、都にうつり住侍ける秋、月をみて

邦世親王



徳大寺左大臣かくれ侍にける比、仁和寺にてよみ侍ける

後徳大寺左大臣



寛平法皇受灌頂於此宗後、仁和寺最多王胤。
寛平法皇灌頂を於この宗に受けて後、仁和寺最も王胤多し。