Сын: 藤原守正
Весна
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Лето
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Осень
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Зима
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Любовь
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Благопожелания
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Странствия
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Разлука
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Скорбь
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Буддийское
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Синтоистское
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Разное
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Иное
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おほえのちふるか、こしへまかりけるむまのはなむけによめる

藤原かねすけの朝臣
おほえのちふるか、こしへまかりけるむまのはなむけによめる

藤原かねすけの朝臣
Сложено на прощальном пиршестве по случаю отъезда Оэ-но Тифуру в Северный край Коси

Фудзивара-но Канэсукэ

たしまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうへけるに、ともにありける人人のうたよみけるついてによめる

ふちはらのかねすけ
たしまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうへけるに、ともにありける人人のうたよみけるついてによめる

ふちはらのかねすけ
Сложено Канэсукэ во время путешествия к горячему источнику в краю Тадзима после того, как он выслушал стихи, сочиненные его спутниками за ужином на привале близ бухты Футами

Фудзивара-но Канэсукэ
210. Тадзима — ныне часть префектуры Хёго.
題しらす

藤原かねすけの朝臣
題しらす

藤原かねすけの朝臣
Без названия

Фудзивара-но Канэсукэ

誹諧歌:七月六日たなはたの心をよみける

藤原かねすけの朝臣
誹諧歌:七月六日たなはたの心をよみける

藤原かねすけの朝臣
Песня, сложенная к празднику Танабата в шестой день седьмой луны

Фудзивара-но Канэсукэ

題しらず

中納言兼輔
題しらず

中納言兼輔
Без названия

Канэсукэ

中納言兼輔
ちゅうなごんかねすけ
Тюнагон Канэсукэ
(Фудзивара-но Канэсукэ, 877—933) покровительствовал созданному по указу Дайго комитету составителей ант. «Кокинсю». Известный поэт. Сохранилось собрание его стихотворений.
故宮の内侍に兼輔朝臣志のびてかよはし侍りける文をとりてかきつけて内侍に遣はしける



かへし

兼輔朝臣

Ответ

Фудзивара Канэсукэ


かへし

兼輔朝臣

Ответ

Канэсукэ

夏の夜深養父が琴ひくを聞きて

藤原兼輔朝臣

Услыхал, как Фукаябу играет на кото летней ночью

Фудзивара Канэсукэ

中納言兼輔家屏風に

紀貫之
中納言兼輔家屏風に

紀貫之
Цураюки

中納言兼輔家の屏風に

紀貫之
中納言兼輔家の屏風に

紀貫之
Цураюки

中納言兼輔
中納言兼輔
Канэсукэ

延喜十四年、尚侍藤原満子に菊宴給はせける時

中納言兼輔
延喜十四年、尚侍藤原満子に菊宴給はせける時

中納言兼輔
Канэсукэ

醍醐の帝かくれ給ひて後、弥生のつごもりに、三条右大臣につかはしける

中納言兼輔
醍醐の帝かくれ給ひて後、弥生のつごもりに、三条右大臣につかはしける

中納言兼輔
Канэсукэ
三条右大臣=藤原定方
思ひにて人の家に宿れりけるを、その家に忘れ草の多く侍りければ、主につかはしける

中納言兼輔
思ひにて人の家に宿れりけるを、その家に忘れ草の多く侍りければ、主につかはしける

中納言兼輔
Когда был в трауре и сильно тосковал, остановился в доме некоего человека, в саду которого во множестве росли дневные лилии — трава забвенья. Тут сложил и отдал хозяину

Канэсукэ

逢坂の関近きわたりに住み侍りけるに、遠き所にまかりける人に餞し侍るとて

中納言兼輔
逢坂の関近きわたりに住み侍りけるに、遠き所にまかりける人に餞し侍るとて

中納言兼輔
В то время жил неподалеку от заставы «Гора встреч» и, провожая знакомого в дальнюю дорогу, сложил

Канэсукэ

女のもとより帰り侍りけるに、ほどもなく雪のいみじう降り侍りければ

中納言兼輔
女のもとより帰り侍りけるに、ほどもなく雪のいみじう降り侍りければ

中納言兼輔
Едва успел вернуться от возлюбленной, как пошел сильный снег

Канэсукэ

童部がたちのほどの、いとものぎたなうも候はざりけるにや、やむごとなき君達も御覧じいれて、兼輔の中納言、良峯衆樹の宰相の御文なども持ちて侍るめり。



兼輔の中納言、衆樹の宰相も、今まであとかはねだにいませず、いかがし侍らまし。



前栽に紅梅を植ゑて又の春遲くさきければ

中納言兼輔朝臣

Посадил в саду розовую сливу, а на следующую весну она не зацвела

Тюнагон Канэсукэ
Тема: перевод А.С.
兼輔朝臣のねやの前に紅梅を植ゑて侍りけるを三とせばかりの後花さきなどしけるを女どもその枝を折りてみすのうちよりこれはいかゞといだして侍れば



前栽に山吹あるところにて

兼輔朝臣

Канэсукэ

三月の下の十日計に三條の右大臣兼輔の朝臣の家にまかり渡りて侍りけるに藤の花さける遣水のほとりにてかれこれ大みきたうべけるついでに

三條右大臣

Сандзё-но Удайдзин

兼輔朝臣

Канэсукэ

兼輔朝臣

Канэсукэ

七月八日のあしたに

兼輔朝臣

Канэсукэ

兼輔の朝臣左近少將に侍りける時武藏の御馬むかへにまかりたつ日俄にさはる事ありてかはりに同じつかさの少將にてむかへにまかりて逢坂より隨身を返して言ひ送り侍りける

藤原忠房朝臣

Фудзивара-но Тадафуса

おのれを思ひ隔てたる心ありといへる女の返事に遣はしける

兼輔朝臣

Канэсукэ

兼輔朝臣にあひはじめて常にしもあはざりける程に

清正母

мать Киётада

からうじてあへりける女につゝむ事侍りて又えあはず侍りければ遣はしける

兼輔朝臣

Канэсукэ

女の許にまかりたりけるよ門をさしてあけざりければまかり歸りて旦に遣しける

兼輔朝臣

Канэсукэ

かへし

兼輔朝臣

Ответ

Канэсукэ

女の恨むる事ありて親の許にまかり渡りて侍りけるに雪の深く降りて侍りければあしたに女の迎ひに車遣はしける消息にくはへて遣はしける

兼輔朝臣

Канэсукэ

外吏に志ば/\まかりありきて殿上おりて侍りける時兼輔の朝臣の許に遣はしける

平なかき



太政大臣の左大將にてすまひのかへりあるじ志侍りける日中將にてまかりて事をはりてこれかれ罷りあかれけるにやんごとなき人二三人ばかりとゞめてまらうどあるじ酒あまたゝびの後醉にのりて子共のうへなど申しけるついでに

兼輔朝臣

Великий министр угощал в своем доме победителей состязаний в сумо, когда же пиршество закончилось, гости разошлись, но двое или трое из них остались и долго еще пили вино. Захмелев же, стали говорить о детях. Тут господин Канэсукэ и сказал

Канэсукэ

兼輔朝臣宰相中將より中納言になりて又の年のり弓のかへりたちのあるじにまかりてこれかれ思をのぶるついでに

兼輔朝臣

Канэсукэ

淡路のまつりごと人の任はてゝのぼりまうできての頃兼輔朝臣の粟田の家にて

躬恒

Мицунэ

藤原さねきが藏人よりかうぶり賜はりてあす殿上まかりおりなむと志ける夜酒たうべけるついでに

兼輔朝臣

Канэсукэ

もとより友達に侍りければ貫之にあひ語らひて兼輔朝臣の家に名つきを傳へさせ侍りけるに其名附きに加へて貫之におくりける

躬恒

Мицунэ

粟田の家にて人に遣はしける

兼輔朝臣

Канэсукэ

十月ばかり面白かりし所なればとて北山のほとりにこれかれ遊び侍りける序でに

兼輔朝臣

Канэсукэ

かへし

兼輔朝臣

Ответ

Канэсукэ

かへし

兼輔朝臣

Ответ

Канэсукэ

めのみまかりて後すみ侍りける所の壁にかの侍りける時書きつけて侍りける手を見侍りて

兼輔朝臣

Канэсукэ

兼輔朝臣なくなりて後土左國よりまかりのぼりて彼の粟田の家にて

貫之

Цураюки

妻のみまかりての年の志はすのつごもりの日ふることいひ侍りけるに

兼輔朝臣

Канэсукэ

中納言兼輔、めなくなりて侍りける年のしはすに、つらゆきまかりて物いひ侍りけるついてに

つらゆき
中納言兼輔、めなくなりて侍りける年のしはすに、つらゆきまかりて物いひ侍りけるついてに

つらゆき
Цураюки

中納言兼輔に逢ひはじめける頃は未だ下臈に侍りければ、女は逢はむの心やなかりけむ、男も宮仕にひまなくて常にも逢はざりける頃詠める

三條右大臣女



勅使にて齋宮に參りてよみ侍りける

中納言兼輔

Будучи гонцом из дворца, отправился к сайгу и сложил

Тюнагон Канэсукэ

中納言兼輔

Тюнагон Канэсукэ

式部卿敦慶のみこかくれ侍りにける春よみ侍りける

中納言兼輔

Тюнагон Канэсукэ

亭子院大内山におはしましける時勅使にて參りて侍りけるに麓より雲の立ちのぼりけるをみてよみ侍りける

中納言兼輔

Тюнагон Канэсукэ

藤原兼輔

Канэсукэ

やよひのつごもりに中納言兼輔の京極の家におはしてやり、水のほとりに藤のはなさかりなみければ、あるじのたまへりける



交野におはしてかりとし給りけるに、兼輔中納言いそぐことありとて、さきたちてかへり侍けるが、みなせといふところに花おもしろく咲たりけるをおりて



中納言又そへてはべりける



かへし

中納言兼輔



兼輔の中納言、これを聞きて和しりける



あくる年の月の一日、をなじ人のもとにのたうびつかはしける



やよひのつごもりがたに、兼輔中納言のもとにつかはしける



式部卿のみこきさらぎの花ざかりにかくれ給へりける時、兼輔中納言のよみてきこえさせはべりける



かくてみかど九月廿九日かくれさせ給ひにけるをなげきて、中納言兼輔のもとにいひつかはし給へる



權中納言兼輔の家の屏風の歌

貫之

Цураюки

權中納言兼輔の家の屏風の歌

貫之

Цураюки

今は昔、堤中納言、御使にて、大内山に御門おはしましけるに、いとあはれなり。

Давным-давно, Цуцуми-тюнагон по повелению государя прибыл в Оутияма, где пребывал государь, и опечалился.
堤中納言=藤原兼輔
大内山に御門=宇多天皇
中納言兼輔

Средний советник двора [Фудзивара] Канэсукэ

紅梅を折て、中納言兼輔につかはしける

参議玄上



藤原のかねすけの中將さいさうになれるよろこひにいたりたるにはしめてさいたる紅はいをえおりてことしなんさきはしめたるといひいたしたるに



兼茂朝臣ものへゆくに兼輔朝臣餞する雨ふる日



雨のふる日兼茂朝臣ものへ行くに兼輔馬の餞する所にてよめる



かねすけの兵衞佐かもかはのほとりにて左衞門の官人みはるのありすけかひへゆくうまのはなむけによめる


イ:兵衞督
かねすけの中將のめのうせにけるとしのはすのつこもりにいたりて物かたりするついてにむかしをこひしのふるあひたによめる



中納言兼輔

Средний советник двора [Фудзивара] Канэсукэ

紅梅を折て、中納言兼輔につかはしける

参議玄上



父の思ひに侍ける比、さき立て同しさまなる人につかはしける

中納言兼輔



延長八年諒闇の比、母の服になりて、貫之かもとにつかはしける

中納言兼輔



あつまへまかりける人に

中納言兼輔



中納言兼輔

Средний советник двора [Фудзивара] Канэсукэ

紅梅を折て、中納言兼輔につかはしける

参議玄上



父の思ひに侍ける比、さき立て同しさまなる人につかはしける

中納言兼輔



延長八年諒闇の比、母の服になりて、貫之かもとにつかはしける

中納言兼輔



あつまへまかりける人に

中納言兼輔



題しらす

中納言兼輔



春雨のふる日、にこれる水に花の散かゝりたるをみてよめる

中納言兼輔



三条右大臣にともなひて花見侍けるに、いそく事有てかへるとてよみ侍ける

中納言兼輔



中納言兼輔につかはしける

読人しらす



返し

中納言兼輔



かたらひ侍ける女身まかりて後、かの住ける所を見て

中納言兼輔



式部卿敦慶のみこなくなりて、右衛門督兼輔とふらひて侍ける返事に

三条右大臣