人の花山にまうてきて、ゆふさりつかたかへりなむとしける時によめる

僧正遍昭
人の花山にまうてきて、ゆふさりつかたかへりなむとしける時によめる

僧正遍昭
Сложил, когда гость, пришедший на «Цветочную гору» Кадзан, вновь двинулся в путь под вечер

Хэндзё

花山院おりゐ給ひてまたの年、御仏名に作り付けてし申し侍りける

前大納言公任(四条大納言藤原公任)
花山院おりゐ給ひてまたの年、御仏名に作り付けてし申し侍りける

前大納言公任(四条大納言藤原公任)
Сложена по случаю отречения императора Кадзана

Кинто

大鏡 > 上巻 六十五代 花山院 師貞 (ШЕСТЬДЕСЯТ ПЯТОЕ ПРАВЛЕНИЕ [ИМПЕРАТОР КАДЗАН])
次の帝、花山院天皇と申しき。

Следующего государя называли императором Кадзаном.

大鏡 > 上巻 六十五代 花山院 師貞 (ШЕСТЬДЕСЯТ ПЯТОЕ ПРАВЛЕНИЕ [ИМПЕРАТОР КАДЗАН])
寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく候ひし事は、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。

В ночь на двадцать второй день шестой луны второго года Канна (986 г.), в год старшего брата огня и собаки произошло постыдное событие: никого не известив, он тайно отправился в храм Ханаямадэра и постригся в монахи,

112. Храм Ханаямадэра, другое название Кадзан-дзи — буддийский храм секты Тэндай — Гангё:-дзи, основанный в 877 г.
大鏡 > 上巻 六十五代 花山院 師貞 (ШЕСТЬДЕСЯТ ПЯТОЕ ПРАВЛЕНИЕ [ИМПЕРАТОР КАДЗАН])
花山寺におはしまし着きて、御髪おろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は、「まかり出でて、おとどにも、かはらぬ姿、いま一度見え、かくと案内申して、かならず参り侍らむ」と申し給ひければ、「朕をば謀るなりけり」とてこそ泣かせ給ひけれ。

Прибыв в храм Ханаямадэра, государь принял постриг, и после этого господин Авата сказал:
— Дайте мне немного времени, я хочу показаться своему отцу, министру, в последний раз в прежнем виде и рассказать ему обо всем. Я непременно вернусь.
— Ты обманул меня, — промолвил государь и заплакал.

119. ...показаться [своему отцу] министру — то есть регенту и канцлеру Канэиэ.
大鏡 > 上巻 太政大臣頼忠 廉義公 (ВЕЛИКИЙ МИНИСТР ЁРИТАДА [РЭНГИКО:])
いま一所の姫君、花山院の御時の女御にて、四条宮に尼にておはしますめり。

Другая дочь [Ёритада — Сиси] была высочайшей наложницей нё:го во времена монаха-императора Кадзана, она, кажется, живет монахиней у императрицы Сидзё:-но мия.

式部卿の宮、わが御身の口惜しく本意なきを、思しくづほれてもおはしまさで、なほ末の世に、花山院の帝は、冷泉院の皇子におはしませば、御甥ぞかし、その御時に、御女奉り給ひて、御みづからもつねに参りなどし給ひけるこそ、「さらでもありぬべけれ」と、世の人もいみじう謗り申しけり。



女君一人は、冷泉院の御寺の女御にて、花山院の御母、贈皇后宮にならせ給ひにき。



また、花山院の御妹の女一の宮は失せ給ひにき。



また、一条摂政殿の御男子、花山院の御時、帝の御舅にて、義懐の中納言と聞えし、少将たちの同じ腹よ。



その御時は、いみじうはなやぎ給ひしに、帝の出家せさせ給ひてしかば、やがて、われも、遅れ奉らじとて、花山まで尋ね参りて、一日をはさめて、法師になり給ひにき。



その中納言、文盲にこそおはせしかど、御心魂いとかしこく、有識におはしまして、花山院の御時の政は、ただこの殿と惟成の弁として行ひ給ひければ、いといみじかりしぞかし。



されば源民部卿は、「冷泉院の狂ひよりは、花山院の狂ひは術なきものなれ」と申し給ひければ、入道殿は、「いと不便なることをも申さるるかな」と仰せられながら、いといみじう笑はせ給ひけり。



あてまた、花山院の、ひととせ、祭のかへさ御覧ぜし御有様は、誰も見奉り給ひけむな。



この花山院は、風流者にさへおはしましけるこそ。



その御腹に、男君三人、女君のかかやくごとくなるおはせし、花山院の御時参らせ給ひて、一月ばかりいみじうときめかせ給ひしを、いかにしけることにかありけむ、まう上り給ふこともとどまり、帝もわたらせ給ふこと絶えて、御文だに見え聞えずなりにしかば、一二月候ひわびてこそは、出でさせ給ひにしか。



女君一所は、花山院の御時の女御、いみじう時におはせしほどに、失せ給ひにき。



頭になりておどろきよろこび給ふべきならねど、あるべきことにてあるに、「粟田殿、花山院すかしおろし奉り、左衛門督、小一条院すかしおろし奉り給へり。



花山院の御時に、五月下つ闇に、五月雨も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、帝、さうざうしとや思し召しけむ、殿上に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々、物語など申し給ひて、昔恐ろしかりける事どもなどに申しなり給へるに、「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。



さてまた、多くの見物し侍りし中にも、花山院の御時の石清水の臨時の祭、円融院の御覧ぜしばかり、興あること候はざりき。



しかよりかへりけるをうなともの花山にいりてふちの花のもとにたちよりてかへりけるに、よみておくりける

僧正遍昭
しかよりかへりけるをうなともの花山にいりてふちの花のもとにたちよりてかへりけるに、よみておくりける

僧正遍昭
Увидев, как женщины, возвращавшиеся из Сига с богомолья, по дороге зашли в храм Кадзан полюбоваться цветущей глицинией, посвятил им песню

Хэндзё

又其次に妹の紫蘭の姫御輿より下り給ふ見給へば、花山吹の上に、薄紅梅の袿、紅の袴踏みしだき、是れも顔容姿美しさ類少なき装ひなり。



かくてうせにける大徳なむ僧正までなりて、花山といふ御寺にすみ給ひける。

Этот пропавший священник достиг самого высокого духовного сана – содзё – и поселился в храме Ханаяма.

花山にて道俗酒たうべける折に

素性法師

Сосэй-хоси

花山にまかりて侍りけるに、こまひきの御むまをつかはしたりけれは

素性法師
花山にまかりて侍りけるに、こまひきの御むまをつかはしたりけれは

素性法師
Сосэй-хоси

春花山に亭子法皇おはしまして、かへらせたまひけれは

僧正遍昭
春花山に亭子法皇おはしまして、かへらせたまひけれは

僧正遍昭


寛和二年花山院の歌合によみ侍りける

大中臣能宣朝臣

Онакатоми Ёсинобу

花山院の歌合に霞をよみ侍りける

藤原長能

Фудзивара Нагаёси

花山院東宮と申しける時閑院におはしまして秋の月をもてあそび給ひけるによみ侍りける

大貳高遠

Такато

花山院歌合せさせ給はむとしけるに留まり侍りにけれど歌をば奉りけるに秋風を詠る

藤原長能

Фудзивара Нагаёси

花山院歌よませ給ひけるによみ侍ひける

藤原長能

Фудзивара Нагаёси

祭主輔親ゐなかへまかり下らむとしけるに野の花山の紅葉などは誰とか見むとするといひてつかはしける

惠慶法師

Эгё-хоси

花山院の御ともに熊野へまゐり侍りけるみちに住吉にてよみ侍りける

惠慶法師

Эгё-хоси

その日逢坂こえて尋ね侍りけるに花山のほどに誰ともしらぬ女車の花を折りかざして侍りける道のかたはらに立ちて上達部の車にさしいれさせ侍りける

讀人志らず

Автор неизвестен

花山院花御覽ぜられける御ともにまゐりて尋花といへる心を人々讀み侍りける時

前大納言公任



弘長元年十二月内裏の三首の歌に、河氷

後花山院入道前太政大臣



文永三年三月、續古今集の竟宴の歌

後花山院入道前太政大臣



花山院御製



慶政上人住み侍りける法花山寺にて人々歌よみ侍りけるに

前内大臣



題志らず

花山院御製



寳治の百首の歌奉りける時、寄風戀

花山院内大臣



寳治の百首の歌奉りける時、寄虫戀

花山院内大臣



寳治の百首の歌の中に、寄月戀

花山院前内大臣



寳治の百首の歌に、寄玉戀

花山院前内大臣



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

後花山院前内大臣



折花といふ事を

花山院御製



百寺の金口うたせ給はむとて夜深き道に出でさせ給ふとて詠ませ給うける

花山院御製



寛和元年八月十日殿上に出でさせ給うて歌合せさせ給うけるに

花山院御製



文保の百首の歌奉りける時

花山院内大臣



弘安元年百首の歌奉りける時

花山院前内大臣



前大納言爲家日吉の社にて八講おこなひ侍りける時、人々に一品經の歌すゝめけるに、方便品

花山院入道前太政大臣



譬喩品

花山院前内大臣



文保三年、百首の歌に

後花山院内大臣