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製盂蘭瓫大般若心般若等經疏、為諸學生、讀傳佛教。

Он составил толкования к сутрам “Урабонкё:”, “Дайханнякё:”, “Синханнякё:”, читал и рассказывал ученикам об учении Будды.

忍勝為欲寫大般若經、發願集物、

Поскольку Осикацу хотел переписать сутру “Дайханнякё:”, он принес обет и стал собирать пожертвования.

唯欲寫大般若經六百卷、故先發願而未書寫。』

Хоть я и принес обет переписать шестьсот свитков "Дайханняке:", но переписать не успел".

大般若經云

В “Дайханнякё:” говорится в подтверждение:

この生には御数珠とらせ給ふ事はなくてただ毎日、「南無八幡大菩薩、南無金峯山金剛蔵王、南無大般若波羅蜜多心経」と、冬の御扇を数にとりて、一百遍づつぞ念じ申させ給ひける。



六十人の貴僧を召して、大般若経読ましめ給ひけるに、僧ども、黒煙を立てて、験現さんと祈りけれども、いたくのみ晴れまさりて、日強く照りければ、帝を始めて、大臣、公卿、百姓人民、この一事より外の嘆きなかりけり。



これも今は昔、堀河院の御時、奈良の僧どもを召して、大般若の御読経行はれけるに、明暹この中に参る。



長保の末にあたりて、當國の守にて下りけるに、大般若を書きてこの宮にて供養をとげける願文に、



今昔、震旦の唐の玄宗*の代に、玄奘三蔵、大般若経を翻訳し給ふ。


* 高宗とあるべきところ。
此の日、大般若経を請じ迎へて、粛成殿より嘉寿殿に行き、大きに斎会を設て、経を講じ読て、供養し給ふ。



其の時に、大般若経、光を放て、遠く近く照し、天より妙なる花下て、常に非ざる香気有り。



此れ、大般若経を供養し奉る初め也。



王、此れを聞て、城の内に還り入て、一巻の書を検へて、亦、門に出でて、歓喜して、我れに語て宣はく、『汝ぢ、高宗の勅命に依て、大般若経十巻を書写せり。



其の後、所有の財宝を棄てて、大般若経百巻を書写し奉れり。



其の時に、寺の衆僧、驚き出でて、神母が邪見なるを哀ぶが故に、各、「南無大般若波羅蜜多経」と称す。



水の辺に臨て、耳を洗て云く、「我れ、今日、不祥の事を聞きつ。所謂る、『南無大般若波羅蜜多経』也」と嗔て、三度此の言を称して、家に還ぬ。



廿歳に至る時、大般若経二百巻を諳に誦し、残りをば思えずして、誦する事無し。



而る間、僧智、心の内に思はく、「我れ、大般若経二百巻を諳に誦して、残りを思えざる、其の故を知らず。然れば、祈念して、此の故を知らむ」と思ふ。



其の時に、僧智、夢に一人の沙門来て、告て云く、「汝ぢ、前世に弊き牛の身を受たりき。其の牛の主有て、大般若経二百巻を其の牛に負せて、寺へ持行くに、深き泥を踏て、蹶き行きき。此の功徳に依て、汝ぢ、人間に生れて、沙門と成て、大般若経二百巻を諳に誦する事を得たり。残りは、結縁せざる故に、諳に思ゆる事無し。汝ぢ、此の身より、雷音寺の国に生まるべし」と告ぐと見て、夢覚ぬ。



亦、大般若経を書写する事、万巻に満てり。



而るに、常慜、道俊に、「専に大般若経を書写せよ」と教ゆ。



道俊が云く、「我れ、偏に念仏を修して、全く余の暇無し。何か大般若経を書写せむや」と。



常慜の云く、「般若経は、此れ菩提直道往生の要須也。然れば、汝ぢ、猶此れを写すべし」と勧むと云へども、道俊、惣じて此の事を受けずして云く、「大般若を書写せずと云へども、浄土に生れむ事、自然の□□しなむ」と。



其の後、驚き悔て、衣鉢を捨てて、大般若経を書写し奉て、心を至して供養す。



大般若経の二十万偈を収め奉り。



即ち、像の中より光を放て、観自在菩薩*、自ら身を現じて、霊運に告て宣はく、「汝が三の願、皆成就しぬ。汝ぢ、速に鉄塔に入て、大般若経を読誦し、経の在す地を踏まば、必ず三悪趣を免るる事を得む。若し、心を至して此の地を踏む事有らむ人は、歩ばむに随て、罪を滅して、仏道を得む。我れ、昔、般若を修行して、不退の地を得たり。若し、人有て、此の経を受持し書写せむ者は、必ず求むる所、満足せしめむ」と。


* 観世音菩薩
「此れ、観音の助け、大般若経の力也」と、霊運、帰て語るを聞て、語り伝へたるとや。



或は、伊豆の国の桂谷の山寺にして、自ら虚空に向て、大般若の魔事品を□□□□□□□□□□□□□間、延暦十□□と云ふ年、勤操僧正、使を□□□□□□□□□槙尾山寺に頭を剃て十戒を授く。



而る間、忍勝、願を発して、「大般若経を書写し奉らむ」と思ふに依て、物を集む。



而る間、五日を経て、忍勝、活て墓より出でて、親しき族に語て云く、「我れ、死し時、使五人、我れを召て将行く。道の辺に甚だ峻しき坂有り。坂の上に登り立て見れば、三の大なる道有り。一は直くして広し。一は草生て荒たり。一は薮にして塞れり。衢の中に王の使有て、召す由を告ぐ。王、平かなる道を示して、『此より将行け』と行ふ。然れば、五人の使、衢に行く。道の末に大なる釜有り。湯の気有り。炎ほ、涌き上る浪の立て鳴が如し。雷の響の如し。即ち、忍勝を取て、彼の釜に投入るに、釜冷しく破れ裂て、四に破れぬ。其の時、三人の僧出来て、忍勝に問て云く、『汝ぢ、何なる善根をか造れる』と。忍勝答て云く、『我れ善を造る事無し。只、大般若経六百巻を書写し奉らむと思ふに依て、先づ願を発して、未だ遂げず』と。其の時に、三の鉄*の口*を出して勘ふるに、忍勝が申す所の如し。僧、忍勝に告て云く、『汝ぢ、実に願を発せり。亦、出家して仏道を修す。此れ善根也と云へども、寺の物を用ふるが故に、汝が身を砕ける也。汝ぢ、人間に返て、速に願を遂げ、寺の物を犯せる事を償のへ』と云て、放返せるに、前の三の大道を過て、坂を下ると思へば、活へる也」と語る。


* 「鉄」底本異体字、「䥫」
* 底本頭注「口ハ札ノ誤カ」
彼の良門は金泥の大般若経一部を書写供養せる者也。



また曰く、「その事となき法師の近付かん、あやし。心経・大般若なども誦むべし。祈りせさするやうにもてなさん」と言ふに、言ふに従ひて誦みつ。

И снова [девочка] говорит: "И если ко мне придёт монах без нужных знаний, будет подозрительно. Надо бы выучить сутру сердца и Дайханнё. Давай придёшь помолиться."