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盜人捕彌勒菩薩銅像、以石破之。
盗人弥勒菩薩の銅の像を捕り、石を以ちて破っく。
как вор разбивал камнем похищенную им бронзовую статую бодхисаттвы Мироку.

其柴枝皮上、忽然化生彌勒菩薩像。

Вдруг на его коре явился лик бодхисаттвы Мироку.

彌勒菩薩之脅士也。

Это были статуи сопровождающих будды Мироку.

その瀧にて、不動尊の申し給はく、「我を負ひて、都卒の内院、弥勒菩薩の御許に率て行き給へ」と、あながちに申しければ、「極めてかたき事なれど、強ひて申す事なれば、率てゆくべし。



彌勒佛、觀音菩薩等像。

будды Мироку и бодхисаттвы Каннон.

次甲賀臣從百濟持度來石彌勒菩薩像。
次に甲賀臣こうがのおみ、百濟より石の彌勒菩薩像を持ち度り來たり。
Затем Кога-но оми привез из Пэкче каменное изваяние Майтрейи.

明日早起、見堂內、其彌勒丈六佛像頸、斷落在土。

На следующий день он поднялся рано, осмотрел молельню и увидел, что голова статуи Мироку высотой в один дзё и шесть сяку отвалилась и лежала на земле.

かくたのしき弥勒の世にこそあひて侍れや。



舎利弗尊者に値て、阿羅漢果を証して、終に悪道に堕ちず、弥勒の出世の時生れて、仏の記別に預て、衆生を利益すべし。



夜は兜率天に昇て、弥勒の御許に参て、大乗の法を習ひ奉り、昼は閻浮提に下て、衆生の為に法を弘む。



護法菩薩の宣はく、「此の事の諍ひ、誰か此の実否を判つべき。然れば、弥勒に問奉るべき也。速に兜率天に昇て、問奉るべし」と。



清弁菩薩の宣はく、「弥勒は未だ菩薩の位に在せば、猶一念の□□*有り。然れば、問奉るべからず。今、成道の時に問奉るべし」とて、其の諍ひ止まず。


* 底本頭注「有リノ上一本思ニ作リ又一本無明ニ作ル」
其の後、清弁、観世音の像の前にして、水を浴み穀を断て、随心陀羅尼を誦して、誓て、申して申さく、「我れ、此の身乍ら留て、弥勒の出世に値ひ奉らむ」と、三箇年の間だ祈念す。



清弁、答て云く、「我れ願くは、此の身を留めて、弥勒を待ち奉らむと思ふ」と。



清弁、答て云く、「我れ、本より思ふ所二つ無し。猶、此の身を留めて、弥勒を待ち奉らむと思ふ」と。



清弁、答て云く、「我れ、願ふ所は、『此の身乍ら留て、弥勒を待ち奉らむ』と思ふに、観世音の示し給へるに依て也」と。



執金剛神、語て云く、「此の巌の内に、阿素洛宮と云ふ所有り。法の如く祈請せば、自然ら石の壁開なむ。其れに入りなば、此の身乍ら弥勒を待ち奉てむ」と。



執金剛神の云く、「弥勒、世に出給はば、我れ来て告ぐべし」と。



清弁、其の戸に跨りて、多の人に告て云く、「我れ、久く祈請して、此の穴に入て、弥勒を待ち奉るべし。若し、其の志有らむ人は、共に入るべし」と。



其の中に、木像の弥勒在ます。



羅漢、此の像に向て申さく、「釈迦大師、滅後の御弟子等を、皆弥勒に付属し給へり。然れば、弥勒の出世の時、三会に得脱せらむ者は、此れ釈迦の遺法の中に一度南無と称し、一摶の食を施したる輩也。其れに、弥勒は都率天昇り給ひぬ。衆生、何にしてか弥勒を見奉らむ。但し、此の造り奉れる像は、真の形には似給はじ。此れに依て、神通の力を以て、我れ、兜率天に昇て、面り弥勒を見奉る事三返して、後に弥勒を造り奉らむ」と。



其の時に、弥勒、末田地に告て宣はく、「我れ、天眼を以て、三千大千世界を見るに、其の中の衆生有て、我が形像を造らむ者有らば、我れ、其の功を資て、必ず悪趣に堕ちしめじ。我れ、成道の時、其の造らむ像を前導として、我が所に来たるべし」。



那爛陀寺にして弥勒の尊容、菩提樹の像を画ぬ。



亦、百済国より弥勒の石像を渡し奉たり。



百済国より渡り給へりし弥勒の石像は、今古京の元興寺の東に在す。



亦、和尚、本郷に返る日、高き岸に立て祈請て云く、「我が伝へ学べる所の秘密の教、流布相応して弥勒の出世まで持つべき地有らむ。其の所に落つべし」と云て、三鈷を以て日本の方に向て擲るに、三鈷、遥に飛て雲の中に入ぬ。



良弁、宣旨を承はりて、七日七夜祈り申すに、夢に僧来て告て云く、「此の山の金は弥勒菩薩の預け給へれば、弥勒の出世の時なむ弘むべき。其の前には分け難し。我れは只護る許也。近江の国志賀の郡田上と云ふ所に、離たる小山有り。其の山の東面をば椿崎となむ云ふ。様々の喬立る石共有り。其の中に昔釣りせし翁の、定て居ける石有り。其の石の上に、如意輪観音を造り居奉て、其の上に堂を造て、此の金の事を祈り申せ。然らば、祈請ふ所の金、自然ら思の如くに出来なむ」。



堂塔を起給て、金堂には□□丈の弥勒を安置し給ふ。



其の弥勒は此の朝にて造給へる仏には御さず。



童子の云く、「仏は十方に在ませども、是は当来補処の弥勒造り奉れる。第四兜率天の内院に在ます。一度此の仏を礼する人、必ず彼の天に生れて、仏を見奉る」と云ふ時に、仏、眉間より光を放給ふ。



但し、彼の弥勒は于今御ます。



弟子等、遺言に依て弥勒実号を唱ふ。



其の内に丈六の弥勒在ます。



老僧、大師に語て云く、「我れ、此の所に住して、既に百六十年を経たり。此の寺は、造て後□歳に成ぬ。弥勒の出世に至まで持べき寺也。然るに、此の寺持つべき人無かりつるに、今日幸に大師来給へり。然れば、此の寺を永く大師に譲り奉る。大師より外に持つべき人無し。我れ、年老て心細く思つる間、かく伝へ奉る事、喜ばしきかなや」と云て、泣々皈ぬ。



驚て、隣なる房に行て、此の事を問ふに、僧有て云く、「此の老僧をば、教代和尚となむ申す。人の夢には弥勒にてなむ見え給ふなる」と。



其の明る年の正月に、始めて大なる寺を起されて、丈六の弥勒の像を安置し奉る。



是、手に灯を捧て、弥勒に奉給ふ志を顕し給ふ也。



然れば、皇子、歎て云く、「若し此の所に座せば、山神等、我が命を助け給へ。然らば、此の巌の喬に弥勒の像を刻み奉らむ」と願を発すに、即ち其の験に、馬尻へ逆さまに退て、広所に立ぬ。



皇子、心に思ひ煩て、山の腹を指て、其の面に弥勒の像を彫り奉らむと為るに力無し。



其の時に、皇子、仰て巌の上を見給ふに、弥勒の像、其の形ち鮮にして彫り奉りたり。



僅に歩を運び、首を低けむ人、必ず覩率の内院に生れ、弥勒の出世に値む□□*殖つと頼むべき也。


* 底本頭注「値ムノ下一本種ヲバトアリ」
「此の寺は、弥勒彫顕し奉て後、程を経て、良弁僧正と云ふ人の見付け奉て、其の後より行ひ始たるぞ」と人云ふ。



広達、此れを見て、大に怖れて、此れを踏み奉けむ事を悔ひ悲むで、自ら浄き所に曳置て、木に向て泣々く礼拝恭敬して、誓を立て云く、「我れ、縁有るが故に、今日、此の橋を渡て、此の事を知れり。願くは必ず仏の像に造奉べし」と云て、即ち有縁の所に此の木を運び寄せて、人を勧め物を集めて、阿弥陀仏・弥勒・観音の三体の像を作り奉りつ。



此の寺の仏は、弥勒に坐ます。



而るに、其の仏堂共も壊れ、仏も朽ち失せ給ひにければ、人、「昔の関寺の跡」など云て、礎許を見て、知たる人も有り、知らぬ人も有るに、横川の源信僧都の、「此れ、何で本の如くに造り立てむ。止事無き仏の跡形も無くて坐するが、極て悲き也。就中に、此の如く関の畢に坐する仏なれば、諸の国に人、礼まぬ無し。『仏に向ひ奉て、暫くも首を低たる人そら、必ず仏に成るべき縁有り。何に況や、掌を合せて、一念の心を発して礼む人は、必ず当来の弥勒の世に生るべし』と釈迦仏説き置き給へる事なれば、仏の御法を信ぜむ人、此れを疑ふべきに非ず。此れ、至要の事也」と思給て、横川に□□と云て、道心有る聖人有り。



凡そ、此の寺の仏を国々の行き違ふ人、礼奉らぬ事無ければ、一度も心を懸て礼み奉らむ人、必ず弥勒の世に生まるべき業は造り固めつ。



此の人々、皆去ぬる後に、慶祐阿闍梨と云ふ人、独り許を留め置て、密に語て云く、「年来の間、我れ造る所の善根を以て、偏に極楽に廻向して、上品下生に生れむと願ふに、此に忽に二人の天童来て、告て云く、『我等は此れ都率天の弥勒の御使也。聖人、偏に法花を持して深く一乗の理を悟れり。此の功徳を以て、兜率天に生るべし。然れば、我等、聖人を迎へむが為に来れる也』と。我れ、天童に答て云く、『我れ兜率天に生れて、慈尊を礼奉らむ、限無き善根也と云へども、我れ、年来願ふ所は、極楽世界に生れて阿弥陀仏を礼し奉らむと思ふ。然れば、慈氏尊、願くは力を加へ給て、我れを極楽世界に送り給へ。我れ、極楽世界にして弥勒を礼奉るべし。天童、速に返り給て、此の由を以て慈氏尊に申し給へ』と答へつれば、天童返ぬ」と語る。



亦、兜率天に昇て弥勒を見奉て、亦余*の所々に行て聖者に近付く。


* 「余」は「餘」
夢に、失にし仁鏡聖人、手に法花経を捧て、虚空に昇て云く、「我れ、今兜率天の内院に生れて、弥勒を見奉らむとす」と告て昇りぬとぞ、見ける。



千観、夢に止事無き人来て云く、「汝ぢ、道心極て深し。豈に極楽の蓮花を隔てむや。善根量無し。定めて弥勒の下生の暁を期せむ」と告ぐと見て、夢覚て後、泣々く悲び貴びけり。



而るに、其の柴の皮の上に、忽に弥勒菩薩の像、化生し給ふ。



其の時に、此の人、此の弥勒菩薩の像を見奉て、柴を上を仰ぎ見て、貴び悲ぶ事限無し。



諸の人、亦此の事を伝へ聞て、集り来て、此の弥勒の像を見奉て、貴びて礼拝する間、或は稲を持来て奉り、或は米を持来て奉り、或は衣を持来て奉り、凡そ諸の財を供養す。



其の後、忽に此の弥勒の像、失せ給ひぬ。



此れを思ふに、弥勒菩薩は兜率天上に在ますと云へども、衆生利益の為には、苦縛の凡地に下て、形を現じ給ふ也けり。



然れば、世の人、専に信を発して弥勒を崇め奉るべしとなむ、語り伝へたるとや。



其の寺の弥勒菩薩の銅の像を盗取て、破り損ぜむと為る也けり。



然て、其の枕を打破つ、仁和寺の東の辺に有る弥勒寺と云ふ寺をば造たる也けり。



大きなる堂を建てて、弥勒を造り据ゑ奉りける。

Построили там большой зал, и поставили там изваяние Мироку.

この三井寺の仏は弥勒におはす。



いかにいはむや、左右の掌を合はせて、額に当てて、一善の心を起して拝む人は、当来の弥勒の世にかならず生まるべし。
いかにいはむや、左右のたなごころを合はせて、額に当てて、一善の心を起して拝む人は、当来の弥勒の世にかならず生まるべし。


一度も心をかけて拝む人は、かならず弥勒の世に生るべき業を作りかためつ、となむ。