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上東門院小少将身まかりて後、常にうちとけてかきかはしける文の、ものの中に侍りけるを見出でて、加賀少納言がもとへつかはしける

紫式部
上東門院小少将身まかりて後、常にうちとけてかきかはしける文の、ものの中に侍りけるを見出でて、加賀少納言がもとへつかはしける

紫式部
После кончины Косикибу-но найси достала ее письма и послала Кага-но Сёнагон, сопроводив песней

Мурасаки Сикибу
* Косикибу-но найси — дочь поэтессы Идзуми Сикибу. Кага-но Сёнагон — дочь придворного сановника Минамото Сукэёси, приятельница автора песни. Эта танка послана вместе с танка № 856.
御返し

上東門院
御返し

上東門院
Ответ

Дзётомонъин

御かへし

上東門院



一条院かくれ給ひにければ、その御事をのみ恋ひなげき給ひて、夢にほのかにみえ給ひければ

上東門院
一条院かくれ給ひにければ、その御事をのみ恋ひなげき給ひて、夢にほのかにみえ給ひければ

上東門院
После кончины сына государя-инока Итидзё, тоскуя об умершем, как-то увидела его во сне. тогда и сложила

Дзётомонъин

御返し

上東門院
御返し

上東門院
Ответ

Дзётомонъин

返し

上東門院
返し

上東門院
Ответ

Дзётомонъин

天王寺の亀井の水を御覧じて

上東門院
天王寺の亀井の水を御覧じて

上東門院
Сложила, глядя на воду источника Камэй возле храма Тэннодзи

Дзётомонъин

後一条院かくれさせ給うてのとし、郭公のなきけるによませ給うける

上東門院
後一条院かくれさせ給うてのとし、郭公のなきけるによませ給うける

上東門院
Дзётомонъин

御返事

上東門院
御返事

上東門院
Ответ

Дзётомонъин

後一条院の御時、はしめて春日社に行幸ありけるに、一条院御ときの例をおほしいてさせ給うて、よませ給うける

上東門院
後一条院の御時、はしめて春日社に行幸ありけるに、一条院御ときの例をおほしいてさせ給うて、よませ給うける

上東門院


是を御覽じてかたはらにかきつけさせ給ひける

上東門院

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Дзётомонъин

御かへし

上東門院

Ответ

Дзётомонъин

經輔卿つくしへくだり侍りけるにぐしてくだりけるに道より上東門院に侍りける人につかはしける

前太宰大貳長房朝臣

Сопровождая царедворца Цунэсукэ в Цукуси, по пути из столицы отправил Дзётомонъин

Бывший дайни Дадзайфу Нагафуса

上東門院にまゐりて侍りけるに、一条院の御ことなとおほしいてたる御けしきなりけるあしたに、たてまつりける

赤染衛門
上東門院にまゐりて侍りけるに、一条院の御ことなとおほしいてたる御けしきなりけるあしたに、たてまつりける

赤染衛門
Акадзомэ-эмон

後一条院四月にかくれさせたまひけるとしの九月に、中宮又かくれたまひにける、四十九日のすゑつかた、みやみや上東門院にわたり給ひける日、人人わかれををしみけるによみ侍りける

小弁命帰
後一条院四月にかくれさせたまひけるとしの九月に、中宮又かくれたまひにける、四十九日のすゑつかた、みやみや上東門院にわたり給ひける日、人人わかれををしみけるによみ侍りける

小弁命帰
Кобэн

後朱雀院隱れさせ給ひて後白河殿にかき籠らせ給ひて月日の行くもしらせ給はざりけるに今日は七月七日と人の申しける事を聞かせ給ひて

上東門院



今は昔、女院、内裏へはじめて入らせおはしましけるに、御屏風どもをせさせ給て、歌詠みどもに詠ませさせ給ひけるに、四月、藤の花面白く咲きたりけるひらを、四条大納言、あたりて詠み給けるに、その日になりて、人々歌ども持て参りたりけるに、大納言遅く参りければ、御使して、遅きよしをたびたび仰せられつかはす。


校訂本文
女院=上東門院・藤原彰子
内裏へはじめて=転倒記号あり
四条大納言=藤原公任

Кондзяку 24-33
上東門院



七月七日夜、小弁上東門院にまいりて、明る朝出けるにつかはしける

小式部内侍



和泉式部丹後国にくたりける時、ぬさなと給はすとてそへられたりけるあふきに書つけさせ給うける

上東門院



和泉式部はしめて参りて侍ける比、祭の日あふひにかゝせ給てたまはせける

上東門院



一品宮と申ける時、後冷泉院春宮におはしましけるに、参らせ給て藤つほにすませ給ける比、上東門院内にまいらせ給へりけるに、ひんあしくて御対面なかりけれは聞えさせ給うける

二条院



御返し

上東門院



後朱雀院の御事を思召歎きて白川殿におはしましける比、四月許に御前の花はちりはてゝ青葉なる梢を御覧して

上東門院



一条院失させ給て後、常におはしましける所に月のさし入たるを御覧して

上東門院



後一条院位におまし〳〵ける時、賀茂社に行幸ありける又の日の朝、選子内親王の御返事のついてに

上東門院



上東門院御さまかはりて後、八講行はれける棒物てうして奉るとて

右近大将道綱母



命婦乳母遠き所へまかりけるに、鏡を給はすとて

上東門院



雪のふりける日、鶯のなきけるを

上東門院



上東門院に、花橘奉るとて

権大納言長家



御返し

上東門院



七月七日、東三条院に奉らせ給ける

上東門院



後一条院春日行幸日、上東門院へ奉りける

法成寺入道前摂政太政大臣



上東門院かさりおろさせ給ける時よめる

赤染衛門