近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かかる例はありけると聞けど、その世のありさまは知らず。
Слыхал я, что не так уже давно, в те годы, когда на престоле был Сутоку-ин, кажется в годы Тёдзё (1132— 1134), было нечто подобное. Я не знаю, как тогда все это происходило,
百首歌めしける時、くれの春のこころをよませたまひける
崇徳院御製
百首歌めしける時、くれの春のこころをよませたまひける
崇徳院御製
百首歌めしける時、花橘の歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、花橘の歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌の中に、鵜河の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌の中に、鵜河の心をよませ給うける
崇徳院御製
Среди ста песен, о ловле рыбы с бакланами на реке
Сутоку-ин
百首歌めしける時、神祇歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、神祇歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首のうたの中に、七夕の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首のうたの中に、七夕の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、月のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、月のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
題しらず
崇徳院御歌
題しらず
崇徳院御歌
Без названия
Сутоку-но ин
百首歌の中に
崇徳院御歌
百首歌の中に
崇徳院御歌
百首歌めしける時、春の歌
崇徳院御歌
百首歌めしける時、春の歌
崇徳院御歌
百首歌に、初秋の心を
崇徳院御歌
百首歌に、初秋の心を
崇徳院御歌
百首歌めしける時
崇徳院御歌
百首歌めしける時
崇徳院御歌
水渚常不満といふ心を
崇徳院御歌
水渚常不満といふ心を
崇徳院御歌
«Не вечен прилив...»
Сутоку-но ин
崇徳院御時、百首歌奉りけるに
清輔朝臣(藤原清輔)
崇徳院御時、百首歌奉りけるに
清輔朝臣(藤原清輔)
題志らず
新院御製
Тема неизвестна
Император Сутоку
題志らず
新院御製
Тема неизвестна
Государь Сутоку
三月盡日うへのをのこどもを御前にめして春の暮れぬる心をよませさせ給ひけるによませ給ひける
新院御製
九月十三夜に月照菊花といふ事をよませ給ひける
新院御製
Сложил тринадцатой ночью девятого месяца о цветах хризантем, освещённых луной
Император Сутоку
先照高山
(崇徳院)
先照高山
(崇徳院)
Сложил, читая сутру Кэгон, с такими словами: «Солнце сперва освещает высокие горы...»
Сутоку-но ин
崇徳院御時、百首歌めしけるに、萩を
大蔵卿行宗
崇徳院御時、百首歌めしけるに、萩を
大蔵卿行宗
崇徳院御時、百首歌めしけるに
左京大夫顕輔
崇徳院御時、百首歌めしけるに
左京大夫顕輔
崇徳院御時、十五首歌たてまつりけるとき、花の歌とてよめる
右兵衛督公行
崇徳院御時、十五首歌たてまつりけるとき、花の歌とてよめる
右兵衛督公行
崇徳院御時、十五首歌たてまつりける時、述懐の心をよめる
右兵衛督公行
崇徳院御時、十五首歌たてまつりける時、述懐の心をよめる
右兵衛督公行
崇徳院の御時うへのをのこども忍戀の歌つかうまつりけるに
皇太后宮大夫俊成
百首歌めしける時、むめの歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、むめの歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、春のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、春のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
近衛殿にわたらせたまひてかへらせ給ひける日、遠尋山花といへる心をよませ給うける
崇徳院御製
近衛殿にわたらせたまひてかへらせ給ひける日、遠尋山花といへる心をよませ給うける
崇徳院御製
暮尋草花といへる心をよませ給うける
崇徳院御製
暮尋草花といへる心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、九月尽の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、九月尽の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、初冬の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、初冬の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、よませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、よませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、氷のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、氷のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌の中に、雪のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌の中に、雪のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、旅歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、旅歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、旅歌とてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、旅歌とてよませ給うける
崇徳院御製
待賢門院かくれさせたまひてのち、御いみはててかたかたにかへらせたまひける日、よませ給うける
崇徳院御製
待賢門院かくれさせたまひてのち、御いみはててかたかたにかへらせたまひける日、よませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、祝のこころをよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、祝のこころをよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、恋のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、恋のうたとてよませ給うける
崇徳院御製
短歌:百首歌めしける時、よませ給うける
崇徳院御製
短歌:百首歌めしける時、よませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、普門品、弘誓深如海の心をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めしける時、普門品、弘誓深如海の心をよませ給うける
崇徳院御製
冬のころ、後入道法親王高野にこもりて侍りけるに、おくり給うける
崇徳院御製
冬のころ、後入道法親王高野にこもりて侍りけるに、おくり給うける
崇徳院御製
松山へおはしまして後都なる人の許に遣はさせ給ひける
崇徳院御歌
崇徳院の御時菊送多秋と云ふ事を仕うまつりける
大炊御門右大臣
久安六年、崇徳院に百首歌奉りける時、若菜をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
久安六年崇徳院に百首の歌奉りける時
大炊御門右大臣
崇徳院、松山におはしましけるに參りて、日數へて都へ歸りなむとしける曉よめる
寂然法師
位におはしましける時、月を御覧してよませ給ける
崇徳院御歌
安楽行品、於無量国中乃至名字不可得聞といふことを
崇徳院御歌
百首歌めしける次に、於無量国中乃至不可得聞の心を
崇徳院御歌
位におはしましける時、月を御覧してよませ給ける
崇徳院御歌
安楽行品、於無量国中乃至名字不可得聞といふことを
崇徳院御歌
百首歌めしける次に、於無量国中乃至不可得聞の心を
崇徳院御歌
久安百首歌めしけるついてに、しもつけの花
崇徳院御製
人々に百首歌めされけるついてに、菫菜をよませ給うける
崇徳院御製
百首歌めされけるついてに蓮をよませ給ける
崇徳院御製
讃岐国にてかくれさせ給とて、皇太后宮大夫俊成にみせよとて書をかせ給ける
崇徳院御製
崇徳院につき奉りて讃岐国に侍けるを、かくれさせ給にけれは都に帰のほりにける後、人のとふらひて侍ける返事に申つかはしける
兵衛佐
久安、崇徳院に百首歌奉りける中に、月を
前参議教長
崇徳院御時、六月朔更恋郭公と云心をよませ給ける時
皇太后宮大夫俊成
崇徳院の御時、法金剛院に行幸ありて、菊契千秋といふことを講せられ侍けるに
待賢門院堀川
Японии. Знаменитый поэт. Потерпел поражение в ожесточенной
борьбе за власть и был сослан в провинцию Сануки (о. Сикоку).