Весна
0
Лето
0
Осень
0
Зима
0
Любовь
0
Благопожелания
0
Странствия
0
Разлука
0
Скорбь
0
Буддийское
0
Синтоистское
0
Разное
0
Иное
0
一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、

Всю жизнь он хранил чистоту и читал сутры. А жил он вместе с храмовым монахом Энъи-содзё. В годы Бумпо, когда храм Миидэра сгорел, Корэцугу сказал монаху:

文保元年正月雪ふり侍りける日御方たがへに西園寺へ御幸侍りて次の年の正月同じく行幸侍りけるに又雪の降りければ去年をおぼしめし出でさせ給ひて入道前太政大臣のもとにつかはされける



文保三年百首の歌奉りけるに

前大納言爲世



文保の百首の歌に

二品親王覺助



文保三年奉りける百首の歌に

前大納言爲世



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

前大納言爲世



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

後西園寺入道前太政大臣



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

前大納言爲世



文保三年後宇多院へ奉りける百首の歌の中に

民部卿爲藤



文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時、夏の歌

後西園寺入道前太政大臣



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

權中納言公雄



文保三年奉りける百首に

後山本前左大臣



文保三年後宇多院より召されける百首の歌の中に

民部卿爲藤



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

今出川前右大臣



文保三年、百首の歌に

二品法親王覺助



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

前中納言爲相



文保の百首の歌奉りし時

民部卿爲定



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

芬陀利花院前關白内大臣



文保の百首の歌の中に

前大納言爲世



文保の百首の歌奉りける時、冬の歌

民部卿爲定



文保三年後宇多院へ召されける百首の歌の中に

二品法親王覺助



文保三年後宇多院へ奉りける百首の歌の中に

前大納言爲世



文保三年後宇多院へ召されける百首の歌の中に

民部卿爲藤



文保の百首の歌の中に

權中納言公雄



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

後醍醐院少將内侍



文保三年後宇多院へ召されける百首の歌に

二品法親王覺助



文保三年後宇多院に召されける百首の歌の中に

民部卿爲藤



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

權中納言公雄



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

權中納言公雄



文保三年、百首の歌の中に

後西園寺入道前太政大臣



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

後花山院前内大臣



文保の百首の歌に

芬陀利花院前關白内大臣



文保の百首の歌に

芬陀利花院前關白内大臣



文保三年百首の歌召されける時

民部卿爲定



文保の比つかさ解けて籠り居て侍りける比、山里にて

藤原爲基朝臣



文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に

權中納言公雄



文保三年、百首の歌の中に

民部卿爲定



文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時

後西園寺入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

三條入道前太政大臣



文保の百首の歌奉りける時

芬陀利花院前關白内大臣



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲世



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言俊光



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保の百首の歌奉りける時

後照念院關白太政大臣



文保の百首の歌奉りける時

忠房親王



文保の百首の歌奉りける時

六條内大臣



文保二年白河殿にて人々題を探りて七百首の歌仕うまつりけるついでに、曉花

後嵯峨院御製



文保二年八月常磐井仙洞に行幸の時人々題を探りて歌仕うまつりけるに、暮春

前大納言實教



文保の百首の歌奉りける時

中納言爲藤



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

中納言爲藤



文保の百首の歌奉りける時

後西園寺入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

中納言爲藤



文保三年百首の歌奉りける時

中宮大夫公宗母



文保の百首の歌の中に

後西園寺入道前太政大臣



文保の百首の歌奉りける時

法印定爲



文保の百首の歌奉りける時

正二位隆教



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲世



文保三年百首の歌奉りける時

前中納言實任



文保三年百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保の百首の歌奉りける時

後光明照院前關白左大臣



文保の百首の歌奉りける時

芬陀利花院前關白内大臣



文保三年百首の歌奉りけるに

六條内大臣



文保の百首の歌奉りける時

三條入道前太政大臣



文保の百首の歌奉りける時

前中納言雅孝



文保二年八月常磐井の仙洞に行幸の時人々題を探りて歌仕うまつりけるに、千鳥

正二位隆教



文保の百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

從二位宣子



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

六條内大臣



文保の百首の歌奉りける時

花山院内大臣



文保の百首の歌奉りける時

津守國冬



文保の千首の歌奉りし時

前大納言俊光



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

前大納言經繼



文保の百首の歌奉りける時

從二位宣子



文保の百首の歌に

忠房親王



文保の百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

正二位隆教



文保三年百首の歌奉りける時

芬陀利花院前關白内大臣



文保の百首の歌奉りけるに

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

津守國冬



文保の百首の歌奉りける時

前中納言雅孝



文保の百首の歌奉りし時

中宮大夫公宗母



文保三年百首の歌奉りける時



文保三年百首の歌奉りける時

前參議爲實



文保の百首の歌奉りける時

前大納言實教



文保の百首の歌に

後醍醐院少將内侍



文保の百首の歌奉りし時

二品法親王覺助



文保三年百首の歌奉りけるに

中納言爲藤



文保の百首の歌の中に

後光明照院前關白左大臣



文保三年百首の歌奉りける時

中納言爲藤



文保の百首の歌奉りし時

後西園寺入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲世



文保三年百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時

民部卿爲藤



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りけるに

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

民部卿爲藤



文保の百首の歌奉りける時

前參議爲實



文保三年奉りける百首の歌に

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

後三條入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りけるに

芬陀利花前關白内大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前中納言實任



文保の百首の歌奉りけるに

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

後西園寺入道前太政大臣



文保の百首の歌奉りける時

後山本前左大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前中納言爲相



文保三年百首の歌奉りけるに

後西園寺入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌に

前大納言俊光



文保三年百首の歌奉りけるに

後光明照院前關白左大臣



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保の百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

權中納言公雄



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りけるに

前大納言爲定



文保の百首の歌に

後三條入道前太政大臣



文保三年百首の歌奉りけるに

法印定爲



文保三年百首の歌奉りけるに

二品法親王覺助



文保三年百首の歌奉りけるに

前參議爲實



文保の百首の歌奉りけるとき

後三條入道前太政大臣



文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時、夏の歌

忠房親王



文保三年百首の歌奉りけるに

前大納言爲世



文保三年、百首の歌に

後花山院内大臣



文保三年百首の歌奉りけるに

後西園寺入道前太政大臣



文保の百首の歌奉りけるに

民部卿爲藤



文保の百首の歌に

六條内大臣



文保三年百首の歌奉りける時

前大納言爲定



文保三年百首の歌奉りけるに

權中納言公雄



文保三年、百首の歌に

前大納言爲定



文保の百首の歌に

前大納言經繼



文保三年百首の歌奉りけるに

後山本前左大臣



文保三年百首の歌奉りけるに

民部卿爲藤



文保三年、百首の歌に

前大納言爲定



文保の百首の歌に

法印定爲



文保の百首の歌に

中宮大夫公宗母



文保の百首の歌に

前權僧正雲雅



文保の百首の歌に

前大納言實教



文保の百首の歌奉りける時

法印定爲