Весна
0
Лето
0
Осень
0
Зима
0
Любовь
0
Благопожелания
0
Странствия
0
Разлука
0
Скорбь
0
Буддийское
0
Синтоистское
0
Разное
0
Иное
0
後嵯峨院の御代より始まれり。

Подобный обычай был введен во времена правления императора Госага.

後嵯峨院に三首の歌奉けるに河郭公

前大納言資季

Среди трёх вака, поднесённых государю-иноку Го-Сага, о кукушке на реке

Прежний старший советник Сукэсуэ

後嵯峨院御製



太上天皇御製


後嵯峨院
太上天皇御製


後嵯峨院
太上天皇御製


後嵯峨院
太上天皇


後嵯峨院
寛元四年正月廿九日、とみのこうぢどのにて御譲位なり。


寛元4(1246)
御譲位〔後嵯峨〕
後嵯峨院御製



後嵯峨院御製



後嵯峨院御製



後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めされけるついてに、春月

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めされけるついてに、春月

後嵯峨院御製



宝治百首歌めしけるついてに、早苗

後嵯峨院御製



宝治百首歌めしけるついてに、早苗

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされけるついてに、積雪

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされけるついてに、積雪

後嵯峨院御製



文永八年七月白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、不逢恋

後嵯峨院御製



文永八年七月白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、不逢恋

後嵯峨院御製



宝治百首歌めしけるついてに、寄草恋

後嵯峨院御製



宝治百首歌めしけるついてに、寄草恋

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされける時、寄雲恋

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされける時、寄雲恋

後嵯峨院御製



絶恋を

後嵯峨院御製



絶恋を

後嵯峨院御製



文永八年七月七日白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりける次に

後嵯峨院御製



文永八年七月七日白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりける次に

後嵯峨院御製



文永八年白河殿にて、人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに

後嵯峨院御製



文永八年白河殿にて、人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



神祇の歌とてよませ給うける

後嵯峨院御製



神祇の歌とてよませ給うける

後嵯峨院御製



建長六年三首歌合に

後嵯峨院御製



建長六年三首歌合に

後嵯峨院御製



文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、七夕橋

後嵯峨院御製



文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、七夕橋

後嵯峨院御製



亀山殿にて、山家草花といへることを

後嵯峨院御製



亀山殿にて、山家草花といへることを

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めしけるついてに、夜鹿

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めしけるついてに、夜鹿

後嵯峨院御製



もみちの歌とてよませ給うける

後嵯峨院御製



もみちの歌とてよませ給うける

後嵯峨院御製



後嵯峨院御製



後嵯峨院御製



文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、旅泊の心をよませ給うける

後嵯峨院御製



文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、旅泊の心をよませ給うける

後嵯峨院御製



豊明をよそにきこしめしける年、くら給はすとて

後嵯峨院御製



豊明をよそにきこしめしける年、くら給はすとて

後嵯峨院御製



祝部成茂七十賀し侍るよし聞えけれは、おほしめしやりてよませ給うける

後嵯峨院御製



祝部成茂七十賀し侍るよし聞えけれは、おほしめしやりてよませ給うける

後嵯峨院御製



文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、野花といふことをよませ給うける

後嵯峨院御製



文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、野花といふことをよませ給うける

後嵯峨院御製



文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、浦藤をよませ給ける

後嵯峨院御製



文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、浦藤をよませ給ける

後嵯峨院御製



深夜鵜河といへる心を

後嵯峨院御製



深夜鵜河といへる心を

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めされけるついてに、湖月といへることをよませ給うける

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めされけるついてに、湖月といへることをよませ給うける

後嵯峨院御製



白河殿七百首歌に、維摩会をよませ給うける

後嵯峨院御製



白河殿七百首歌に、維摩会をよませ給うける

後嵯峨院御製



三心具足の三仏を

後嵯峨院御製



三心具足の三仏を

後嵯峨院御製



建長二年三首歌めされけるついてに、恋の心をよませ給ける

後嵯峨院御製



建長二年三首歌めされけるついてに、恋の心をよませ給ける

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



建長二年、詩歌合に江上春望といふ心をよませ給うける

後嵯峨院御製

Во втором году кэнтё, о весеннем пейзаже над бухтой

Государь Го-Сага
1250?
建長二年、詩歌合に江上春望といふ心をよませ給うける

後嵯峨院御製

Во втором году кэнтё, о весеннем пейзаже над бухтой

Государь Го-Сага
1250?
宝治二年、人々に百首歌めされけるついてに、行路柳をよませ給うける

後嵯峨院御製



宝治二年、人々に百首歌めされけるついてに、行路柳をよませ給うける

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされける時、萩露を

後嵯峨院御製



宝治百首歌めされける時、萩露を

後嵯峨院御製



山時雨といふ事をよませ給うける

後嵯峨院御製



山時雨といふ事をよませ給うける

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めしけるついてに、瀉千鳥

後嵯峨院御製



宝治二年百首歌めしけるついてに、瀉千鳥

後嵯峨院御製



雪をよませ給うける

後嵯峨院御製



雪をよませ給うける

後嵯峨院御製



後深草院位御時、花のさかりに上達部殿上人鞠つかうまつりけるを御覧せられけるよしきこしめして、松枝にまりつけて奉らせ給とてむすひつけさせ給うける

後嵯峨院御製



後深草院位御時、花のさかりに上達部殿上人鞠つかうまつりけるを御覧せられけるよしきこしめして、松枝にまりつけて奉らせ給とてむすひつけさせ給うける

後嵯峨院御製



文永三年三月、続古今集竟宴をこなはせ給とてよませ給うける

後嵯峨院御製



文永三年三月、続古今集竟宴をこなはせ給とてよませ給うける

後嵯峨院御製



浄金剛院にてよませ給うける

後嵯峨院御製



浄金剛院にてよませ給うける

後嵯峨院御製



三首御歌の中に、竹を

後嵯峨院御製



三首御歌の中に、竹を

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



題しらす

後嵯峨院御製



宝治二年、後嵯峨院に百首歌奉りける時、春雪

山階入道前左大臣



後嵯峨院御時、八月十五夜の歌合に

冷泉前太政大臣



紅葉御覧せらるへしとて侍ける日、さしあふ事ありてのひにけれは、後嵯峨院へよみて奉らせ給うける

月花門院



春の比山里に久しくおはしまして、後嵯峨院へ奉られける

月花門院



後嵯峨院失させ給にける年、世をそむきて九月尽に

中務卿宗尊親王



後嵯峨院御くしおろさせ給ける時、出家し侍とてよみ侍ける

和気種成朝臣



後嵯峨院御出家の時、御戒師に参りて侍ける、又後深草院御くしおろさせ給けるに、おなしやうに参りて思つゝけける

二品法親王尊助



弘長元年、後嵯峨院に百首歌奉りけるに

後九条前内大臣



三日、法皇の御幸、この御所へなるに、この衣を着たれば、大納言、「なべてならず、色も匂ひも見ゆるは。御所より賜はりたるか」と言ふも、胸騒がしく思えながら、「常磐井の准后より」とぞ、つれなくいらへ侍りし。
三日、法皇の御幸、この御所へなるに、このきぬを着たれば、大納言、「なべてならず、色も匂ひも見ゆるは。御所より賜はりたるか」と言ふも、胸騒がしく思えながら、「常磐井ときはい准后じゆごうより」とぞ、つれなくいらへ侍りし。
Я надела эти одежды в третий день нового года, когда стало известно, что к нам, во дворец Томикодзи, пожалует государь-инок Го-Сага, отец нашего государя.
— И цвет, и блеск ткани на диво хороши! Это государь Го-Фукакуса подарил тебе такой наряд? — спросил мой отец, дайнагон. Я невольно смутилась и ответила самым небрежным тоном: «Нет, это подарок бабушки, госпожи Китаямы...»
4. Государь-инок Го-Сага — 88-й император Японии, отец императоров Го-Фукакусы и Камэямы. Вступив на престол в 1243 г., он уже в 1247 г. «уступил» престол своему четырехлетнему сыну. По традиции, после отречения постригся в монахи и стал именоваться «государем-иноком».

法皇=後嵯峨法皇
このたびは姫宮にてはわたらせ給へども、法皇、ことにもてなしまいらせて、五夜・七夜などことに侍りしに、七夜の夜、ことども果てて、院の御方の常の御所にて御物語あるに、丑の時ばかりに、橘の御局に、大風の吹く折りに、荒き磯に波の立つやうなる音、おびたたしくするを、「何事ぞ、見よ」と仰せあり。
このたびは姫宮にてはわたらせ給へども、法皇、ことにもてなしまいらせて、五夜・七夜などことに侍りしに、七夜の、ことども果てて、院の御方の常の御所にて御物語あるに、丑の時ばかりに、橘の御局つぼねに、大風の吹く折りに、荒き磯に波の立つやうなる音、おびたたしくするを、「何事ぞ、見よ」と仰せあり。

姫宮=後の遊義門院・姈子内親王
法皇=後嵯峨法皇