千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人、これを始められけり。
Нэмбуцу в Сэмбонском храме начал высокомудрый Нёрин в годы Бунъэй.
文永二年七月白河殿にて人々題を探りて七百首の歌つかうまつりける時、橋霞を
前大納言爲家
文永七年八月十五夜内裏の三首の歌に、海月と云ふことを
文永元年十月後嵯峨院本社に御幸ありける日雪のふりければよみ侍りける
祝部成良
文永十二年七月七日内裏に七首の歌奉りし時
前大納言爲家
文永二年九月十三夜の歌合に、絶戀
從二位行家
На поэтическом состязании в тринадцатую ночь девятого месяца второго года бунъэй, о прервавшейся любви
Юкииэ
文永七年八月十五夜内裏の五首の歌に、海月
前大納言具房
文永七年八月十五夜内裏の五首の歌合に、海月
從二位行家
文永七年八月十五夜五首の歌召されし序でに野月をよませ給うける
法皇御製
文永七年冬の比内裏にて寒の御祈の爲に如法佛眼の法修じ侍りける時雪の降りて侍りければ承元の昔の跡を思ひて奏させ侍りける
天台座主道玄
文永七年九月盡、内裏の三首の歌に、契戀
前大納言爲氏
文永二年九月十三夜五首の歌合に、絶戀
近衛關白左大臣
文永五年九月十三夜、白河殿の五首の歌合に、河水澄月
後嵯峨院御製
文永五年九月十三夜、白河殿の五首の歌合に、暮山紅葉
後嵯峨院御製
文永四年内裏の詩歌を合せられ侍りし時、春日望山
前大納言爲氏
文永二年七月白河殿にて人々題をさぐりて七百首の歌つかうまつりける時、瀧霞を
山階入道左大臣
文永四年内裏の詩歌合に春日望山
前大納言良教
На поэтическом состязании во дворце в четвёртом году бунъэй, о пейзаже весеннего дня
Бывший дайнагон Ёсинори
文永二年七月白河殿にて人々題をさぐりて七百首の歌つかうまつりける時、花留人と云ふことを
藤原光俊朝臣
文永二年七月白河殿にて人々題をさぐりて七百首の歌つかうまつりけるついでに、浦春月
後嵯峨院御製
文永五年九月十三夜白河殿の五首歌合に、河水澄月
前大納言爲氏
文永五年八月十五夜内裏の歌合に、河月似氷
典侍親子朝臣
文永五年八月十五夜内裏の歌合に、田家見月
從二位行家
文永五年九月十三夜白河殿の五首歌合に、紅暮山葉
後嵯峨院宮内卿
文永八年七月院忍びて鷲尾に御幸し侍りける時女房の中より、君すめば心ありてや末遠く千世まつむしの聲聞ゆらむと侍りける返事に
兵部卿隆親
文永五年八月十五夜内裏の歌合に、田家見月
前中納言資宣
文永三年三月、續古今集の竟宴の歌
後花山院入道前太政大臣
文永七年八月十五夜内裏の三首の歌に、忍戀
藤原爲世朝臣
Когда слагали по три песни во дворце в пятнадцатую ночь восьмого месяца седьмого года бунъэй, о тайной любви
Фудзивара Тамэё
文永二年七月白河殿の七百首の歌に、寄網戀
前中納言雅言
文永二年九月十三夜五首の歌合に、不逢戀
從二位行家
文永五年九月十三夜白河殿の歌合に、深夜待戀
權大納言經任
文永五年九月十三夜白河殿の歌合に、根不逢戀
權中納言公雄
文永二年九月十三夜五首の歌合に、絶戀
後嵯峨院御製
文永二年九月十三夜五首の歌合に、絶戀
前關白左大臣一條
文永二年九月十三夜五首の歌合におなじ心を
入道内大臣源道成公
文永八年七夕、白川殿にて人々題をさぐりて百首の歌よみ侍りける時、蚊遣火
前大納言爲家
文永二年七月白河殿にて人々題をさぐりて七百首の歌つかうまつりける時、湊夕立といふ事を
前大納言爲氏
文永の頃西山へ入る由申し遣して侍りければ出京いつ頃ぞと申して侍りける人の返事に
前大僧正道玄
文永八年正月叙位に一級ゆるされ侍りけるに内裏にて、禁庭松久といふ事を講ぜられけるによみ侍りける
從二位隆博
文永二年白河殿にて人々題を探りて七百首の歌仕うまつりけるとき、挿頭花と云ふ事を
前大納言爲家
文永二年四月後嵯峨院に奉りける三十首の歌の中に、恨戀
信實朝臣
文永二年二月二所に詣でける時伊豆のみ山に奉りける三十首の歌の中に
中務卿宗尊親王
文永七年閏九月、内裏の三首の歌に、寄菊久戀
大藏卿隆博
文永九年二月十七日後嵯峨院隱れ給ひぬと聞きて急ぎ參る道にて思ひつゞけ侍りける
中務卿宗尊親王
文永十年内裏にて七夕の七首の歌講ぜられけるに
前參議隆康
文永二年九月十三夜龜山殿の五首の歌合に、不逢戀
普光園入道前關白左大臣
文永二年八月十五夜五首の歌合に、未出月といふ事を
權中納言公雄
文永二年内裏の十首の歌に、落花似雪といふ事を
前大納言爲氏
文永七年八月十五夜、内裏の五首の歌に、恨戀
前大納言爲世
文永二年七月、白河にて人々に七百首歌よませ侍しに
前左大臣
文永元年内裏に奉りける百首に、庭上落花を
大納言良教
文永二年七月七日、題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、島款冬を
藤原光俊朝臣
文永二年七月七日、題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、卯花を
大納言為家
文永二年九月十三夜、亀山の仙洞にて歌合侍しに、川月を
大納言通成
文永二年八月、をのことも詩をつくりて歌にあはせ侍しに、水郷秋望といふことを
太上天皇
文永二年八月十五夜、内宮の御はしらたてにあたりて侍けれはよめる
荒木田延季
文永元年九月斎宮群行のとき、たき物たてまつるとて
月花門院
文永元年内裏にて五首歌講せられけるに、寄木恋を
侍従行家
文永二年七月七日白河にて題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、年中立春といふことを
太上天皇
文永二年七月、白河にて人々に七百首歌よませ侍しに
前左大臣
文永元年内裏に奉りける百首に、庭上落花を
大納言良教
文永二年七月七日、題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、島款冬を
藤原光俊朝臣
文永二年七月七日、題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、卯花を
大納言為家
文永二年九月十三夜、亀山の仙洞にて歌合侍しに、川月を
大納言通成
文永二年八月、をのことも詩をつくりて歌にあはせ侍しに、水郷秋望といふことを
太上天皇
文永二年八月十五夜、内宮の御はしらたてにあたりて侍けれはよめる
荒木田延季
文永元年九月斎宮群行のとき、たき物たてまつるとて
月花門院
文永元年内裏にて五首歌講せられけるに、寄木恋を
侍従行家
文永二年七月七日白河にて題をさくりて七百首歌人々によませ侍しに、年中立春といふことを
太上天皇
文永八年七月白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、不逢恋
後嵯峨院御製
文永五年九月十三夜白河殿歌合に、恨不逢恋
前参議隆康
文永八年七月七日白河殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりける次に
後嵯峨院御製
文永八年白河殿にて、人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに
後嵯峨院御製
文永四年内裏詩歌合に、禁中佳趣といへる事を
従二位行家
文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、七夕橋
後嵯峨院御製
文永七年八月十五夜、内裏五首歌に、海月
山本入道前太政大臣
文永二年九月十三夜、仙洞五首歌合に、河月を
山階入道前左大臣
文永八年七月七日、白川殿にて人々題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、旅泊の心をよませ給うける
後嵯峨院御製
文永七年八月、内裏にて人々五首歌つかうまつりける時、忍恋を
山本入道前太政大臣
文永二年九月十三夜、仙洞五首歌合に、不逢恋
常磐井入道前太政大臣
文永二年九月十三夜、仙洞五首歌合に、絶恋
前大納言為家
文永十一年七月七日、仙洞にて人々題をさくりて歌合し侍けるに、月
前大納言為氏
文永三年十一月二日、雪いとふかくふりて侍けるあしたに、山階入道前左大臣のもとへ申をくりける
前大納言為氏
文永九年の春、後嵯峨院の御前僧にて侍けるに、嘉元三年の秋、又亀山院かくれさせ給うける比よみ侍ける
前大僧正禅助
文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるに、深更帰雁といふ事を
前大納言経任
文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、野花といふことをよませ給うける
後嵯峨院御製
文永二年、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、浦藤をよませ給ける
後嵯峨院御製
文永二年、白河殿にて、題をさくりて七百首歌つかうまつりけるに、御斎会を
花山院前内大臣
文永二年七月、白河殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるに、餞別欲夜と云ことを
藤原資有
文永二年九月十三夜亀山殿歌合に、同し心を
按察使資平
文永二年九月十三夜亀山殿歌合に、絶恋を
冷泉前太政大臣
文永二年九月十三夜亀山殿歌合に、絶恋
福光園入道前関白左大臣
文永三年三月、続古今集竟宴をこなはせ給とてよませ給うける
後嵯峨院御製