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これも今は昔、御堂關白殿、法成寺を建立し給ひて後は、日ごとに、御堂へ参らせ給ひけるに、白き犬を愛してなん飼せ給ひければ、いつも御身をはなれず御供しけり。

В старые времена, когда строительство храма Ходзёдзи было завершено, стал туда ежедневно хаживать сам регент Фудзивара Митинага. В те времена держал он белого пса, в котором души не чаял, и куда бы он ни ходил — повсюду брал его с собой.
(пер. Д. Кикнадзе)
Текст воспроизведен по изданию: «Рассказы, собранные в Удзи» («Удзи сюи моногатари»), XIII в. // Письменные памятники Востока, № 1 (14). 2011

* Регент при малолетних императорах, выдающаяся фигура в истории Японии.
この顕光公は、死後に怨霊となりて、御堂殿辺へはたたりをなされけり。

После смерти князь Акимицу перевоплотился в мстительного духа и насылал бедствия в окрестностях храма Ходзёдзи.

即以亥剋、出結城郡法城寺之當路、打著之程、有將門一人當千之兵。

В час свиньи [войско Ёсканэ] вышло на дорогу около храма Ходзёдзи в уезде Юки. Возле храма их ожидал один из воинов Масакадо, стоивший тысячи [людей],
* час свиньи — 21.00-23.00.
* храм Ходзёдзи — вероятно, имеется в виду храм Кэссёдзи, располагавшийся у села Яхата к югу от совр. г. Юки, преф. Ибараки.
花のさかりに法成寺にまゐりて、金堂のまへの花のちりけるをみてよめる

皇太后宮大夫俊成
花のさかりに法成寺にまゐりて、金堂のまへの花のちりけるをみてよめる

皇太后宮大夫俊成
Сюндзэй

尼になりぬと聞きける人に、装束つかはすとて

法成寺入道前摂政太政大臣(藤原道長)
尼になりぬと聞きける人に、装束つかはすとて

法成寺入道前摂政太政大臣(藤原道長)
Митинага

法成寺入道前太政大臣、女郎花を折りて、歌をよむべき由侍りければ

紫式部
法成寺入道前太政大臣、女郎花を折りて、歌をよむべき由侍りければ

紫式部
Мурасаки Сикибу

法成寺入道前攝政の家の歌合に

祭主輔親

Сукэтика

法成寺にまゐりてよみ侍りける

かたのゝ尼



家の屏風に

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政長月の比、宇治にまかれりけるに伴て紅葉を折て、都なる人のもとに送つかはすとて

従一位倫子



人々に廿八品の歌よませ侍ける時、勧持品

法成寺入道前摂政太政大臣



久しく音せさりける人につかはしける

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政家屏風に

藤原長能



後一条院春日行幸日、上東門院へ奉りける

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政なかきねをつかはしたりける返事に

堀河右大臣母



法成寺入道前摂政にはしめて御文たまはせたりける御返事に、君そみつくきなかれてはみん、とよみて奏し侍けれは、又つかはされける

後朱雀院御歌



後一条院むまれさせ給ての御五十日の時、法成寺入道前摂政、歌よめと申侍けれは

紫式部



家の屏風に

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政長月の比、宇治にまかれりけるに伴て紅葉を折て、都なる人のもとに送つかはすとて

従一位倫子



人々に廿八品の歌よませ侍ける時、勧持品

法成寺入道前摂政太政大臣



久しく音せさりける人につかはしける

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政家屏風に

藤原長能



後一条院春日行幸日、上東門院へ奉りける

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政なかきねをつかはしたりける返事に

堀河右大臣母



法成寺入道前摂政にはしめて御文たまはせたりける御返事に、君そみつくきなかれてはみん、とよみて奏し侍けれは、又つかはされける

後朱雀院御歌



後一条院むまれさせ給ての御五十日の時、法成寺入道前摂政、歌よめと申侍けれは

紫式部



卯杖をよませ侍ける

法成寺入道前摂政太政大臣



長保五年、法成寺入道前摂政太政大臣家の歌に、水辺松といふことを

大江嘉言



清少納言清水にこもりて侍ける比、月いとあかき夜申つかはしけるに

法成寺入道前摂政太政大臣



上野に式部か下るに、宮より扇給はせける中に、かりやに旅ゐのかたある所にかき付侍ける

法成寺入道前摂政太政大臣



一条院かくれさせ給て後の春、人々御念仏に参りて月のいみしうすみのほりたるに、事果て出侍とて

法成寺入道前摂政太政大臣



わつらひ侍ける比、せうそこもなくておこたりて後、法成寺入道前摂政もとよりをとつれて侍けれは、よみてつかはしける

右近大将道綱母



法成寺入道前摂政太政大臣の許に、薬玉につけてつかはしける

枇杷皇太后宮



返し

法成寺入道前摂政太政大臣



七月七日女のもとにつかはしける

法成寺入道前摂政太政大臣



秋の夕くれ常よりも哀なりけるに、女のもとへいひつかはしける

法成寺入道前摂政太政大臣



法成寺入道前摂政、清水寺にこもりて侍けるにつかはされける

花山院御製



授記品の心を

法成寺入道前摂政太政大臣



宇治にまかりて、河の魚のためとて八講をこなひ経供養しなとし侍て

法成寺入道前摂政太政大臣



八月廿日あまり法成寺に参りたるに、有明の月くまなくて池のかゝみの様なるに、かきとゝめたる月いと面白く見えけるに

たけくまの尼