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天王寺の西門にてよみ侍りける

郁芳門院安藝

Находясь в западных воротах храма Теннодзи

Икухомон-ин-но Аки

天王寺に参りけるに、難波の浦に泊まりて、よみ侍りける

肥後(藤原定成女)
天王寺に参りけるに、難波の浦に泊まりて、よみ侍りける

肥後(藤原定成女)
По пути на богомолье в храм Тэннодзи остановилась в бухте Нанива и сложила

Хиго

天王寺にまうて侍りけるに、なからにて、ここなんはしのあとと申すをききて、よみ侍りける

源俊頼朝臣
天王寺にまうて侍りけるに、なからにて、ここなんはしのあとと申すをききて、よみ侍りける

源俊頼朝臣
Минамото Тосиёри

天王寺の亀井の水を御覧じて

上東門院
天王寺の亀井の水を御覧じて

上東門院
Сложила, глядя на воду источника Камэй возле храма Тэннодзи

Дзётомонъин

依此即造難波四天王寺也。
依りてこれ即ち難波に四天王寺を造る。


天王寺へ詣で侍りけるに、俄に雨降りければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍りける

西行法師
天王寺へ詣で侍りけるに、俄に雨降りければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍りける

西行法師
Когда отправился в паломничество в храм Тэннодзи, в пути внезапно пошел дождь. Попросил пристанища в Эгути, но хозяин отказался принять. Тогда и сложил

Сайгё Хоси

難波の天王寺など、聖徳太子の御心に入れ造り給へれど、なほこの無量寿院まさり給へり。



「何事も、辺土はいやしく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず。」といふ。

Однажды я сказал музыкантам из храма Небесных Королей
— Что бы мы ни взяли, в провинции все грубо и неотёсанно, и только музыку, исполняемую в храме Небесных Королей во время ритуальных танцев, не стыдно сравнить со столичной.

天王寺の伶人の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。

– Мелодии в том храме, — ответили они, — хорошо сыгрываются по нотам, так что в смысле стройности и красоты звучания инструментов у нас даже лучше, чем у всех прочих.

天王寺にまゐりて、舎利ををかみたてまつりてよみ侍りける

瞻西上人
天王寺にまゐりて、舎利ををかみたてまつりてよみ侍りける

瞻西上人
Сэнсай Сёнин

天王寺御幸のとき、古寺忍昔といへるこころをよめる

藤原定長朝臣
天王寺御幸のとき、古寺忍昔といへるこころをよめる

藤原定長朝臣


天王寺にまゐりて、遺身舎利を礼してよみ侍りける

天台座主明雲
天王寺にまゐりて、遺身舎利を礼してよみ侍りける

天台座主明雲
Мёун

水東へながれたる事ハ、天王寺の亀井の水なり。



天王寺へまゐりけるに、あめのふりければ、江口と申す所にやどをかりけるに、かさざりければ



天王寺へまゐりたりけるに、松にさぎのゐたりけるを、月のひかりにみてよめる



天王寺別当宮の阿闍梨、この阿闍梨の御もとに、あはれなることども書きて、端書に、
天王寺別当べたう宮の阿闍梨、この阿闍梨の御もとに、あはれなることども書きて、端書はしがきに、

この阿闍梨=成尋
春の頃天王寺へ參りてよみ侍りける

寂然法師

Дзякурэн-хоси

今昔、天王寺の別当定基、僧都に成て、御堂の御為に其の寺にして八講を始め行て、法花経を講ぜむとす。



天王寺に參りてかめ井にてよみ侍りける

辨乳母



天王寺にまゐるとてながらの橋を見てよみはべりける

赤染衛門

Акадзомэ-эмон

一品宮天王寺にまゐらせ給ひて日頃御念佛せさせ給ひけるに御ともの人々住吉にまゐりて歌よみけるによめる

源俊頼朝臣

Минамото Тосиёри

北の方うせ侍りて後天王寺にまゐりけるみちにてよめる

六條右大臣



障子のゑに天王寺の西門にて法師の舟にのりてにしざまにこぎ離れてゆくかたかける所をよめる

源俊頼朝臣

Минамото Тосиёри

大輔人々に十首の歌すゝめて天王寺に詣でけるによみ侍りける

殷富門院新中納言



老の後天王寺にこもり居て侍りける時物にかきつけて侍りける

後白河院京極



天王寺に詣でゝよみ侍りける

後京極攝政前太政大臣



同行に侍りける上人、月のころ天王寺にこもりたりとききていひつはしける



天王寺へまゐりてかめ井の水をみてよみける



俊恵、天王寺にこもりて、人人ぐして住吉にまゐりて歌よみけるにぐして



忽に、玉造の岸の上に、始て四天王寺を造給ひつ。



今の天王寺是也。



是を思ふに、此の天王寺は必ず人参るべき寺也。



語て云く、「我れ、生たりし時、三業を調へず、五戒を持たずして、心に任せて罪を造りき。就中に、天王寺の別当と有し間に、自然ら寺の物を犯用ひき。其の罪に依て、浄土に生るる事をば得ずと云へども、法華経を読奉りし其の力に依て、三悪道に堕ちずして、此の池に住て、法花経を読奉る。更に苦無し。今、両三年畢て後、覩率天に生まるべし。昔の契、于今忘れずして、今来て告る也」となむ云ひける。



今昔、天王寺に住む僧有けり。



「然々の事に依て天王寺より参れり」と。



暫く有て、甲*の袈裟を着せる僧共十人許、香炉を捧て来て、天王寺の僧共を迎へ入る。


* 底本頭注「甲一本香ニ作ル」
天王寺の僧共、此れを怪び思ふと云へども、此の寺の僧共に随て入ぬ。



其の後、彼の疏を取出して、書写せしめて、語て云く、「今夜、此の寺の老僧の夢に、『天王寺より僧共来て、太子の作り給へる所の一巻の疏有り。上宮王の疏と云ふ。其れを天王寺に行ふ八講に講ぜむが為に書写せむとして、今日、僧共来べし。速に迎へ入れて、疏を惜しまずして取出して、書写せしむべし』と見たれば、『若し来らば』と云て、僧共、『法服を調へて待ち試む』と云て待ち奉る間に、夢に違はず此く来り給へり。実に此れ太子の御告也」と云て泣き給へり。



天王寺より来れる僧共も、此れを聞て泣き貴ぶ事限無し。



此くて、天王寺の僧共、彼の疏を書写すに、法隆寺の僧の中にも手書く者数出来、各一二枚づつ書くに、即ち書畢て、皆天王寺に返ぬ。



正平廿年五月、四天王寺金堂造立して、やがて供養導師つとめ給へるに、昔この寺にて、天台座主明雲拜堂しける時、遺身舎利を禮して



近ごろ天王寺に聖ありけり。


天王寺. 四天王寺
からうじて、その夕べ、天王寺へ詣で着きたりける。



妹あまたおはしけるに、天王寺に理円坊とて住み給ふは、昔、建礼門院に八条殿と聞こえし人なるべし。


天王寺. 四天王寺
建礼門院. 平徳子
前大僧正慈鎮、四天王寺に九品往生伝を絵にかきて、その心を人々によませ侍けるに、上品中生歌

入道前摂政左大臣



天王寺にまうてゝよみ侍ける

前大僧正慈鎮



前大僧正慈鎮、四天王寺に九品往生伝を絵にかきて、その心を人々によませ侍けるに、上品中生歌

入道前摂政左大臣



天王寺にまうてゝよみ侍ける

前大僧正慈鎮



天王寺にまうてゝ、二諦の法文にて百首歌読侍ける中に

前大僧正慈鎮



天王寺へまうて侍けるに、なからの橋はいつくそと人にとふに、はや過ぬとこたへけれは

小弁



天王寺にまうてゝ難波浦にてよみ侍ける

大僧正行慶



同寺にて

前太政大臣