Дзиэ
慈恵僧正
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比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。
Сочинение под названием «Запись обетов, клятвенно произносимых наставниками» начал писать на горе Хиэйдзан высокомудрый Дзиэ.
而る間、横川の慈恵僧正、天台座主として、殿下の御修法して、法性寺に有けるに、彼の法師、木を伐るままに、法性寺に急ぎ参て此の由を座主に申ければ、其の時に、座主、肩を並ぶる人無かりけるに、大きに嗔て、良算を召しに遣たりければ、良算、「我は山階寺の末寺の司也。何の故に、天台座主、我を心に任て召すべきぞ」と云て、放言して参らざりければ、座主、弥よ嗔て、山の所司を呼下して、其れを以て祇薗の神人等・代人等の延暦寺に寄する寄文を書儲て、「其れに判を加へよ」と、押責ければ、神人等責められ侘て、判を加へてけり。
然て、「其の沙汰、明日有るべし」と、既に仰下されたりけるに、山階寺の大衆は皆勧学院に有けるに、其の寺の中算は宗と此の事を沙汰すべき者にて有けるに、勧学院近き小家に宿て居たりけるに、其の夕さり方、前に弟子など数居たりけるを、俄に中算、「只今、此に人来たらむとす。其達、暫く外に出よ」と云ければ、弟子共、皆去て有ける程に、人、外より入来るとも見えぬに、中算、人と物語する音の聞えければ、弟子共、「怪し」と思ける程に、暫許有て、中算、弟子共を呼ければ、皆出来たりけるを、中算、「此に山の慈恵僧正の御たりつる也」と云ければ、弟子共、此れを聞て、「此は何かに宣ふ事ぞ。慈恵僧正は早う失にし人をば」と思けれども、怖しくて物も云はで止にけり。