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日吉社によみて奉りける子日の歌
日吉社によみて奉りける子日の歌
Канэсукэ
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これも今は昔、仲胤僧都を、山の大衆、日吉の二宮にて法華経を供養しける導師に、請じたりけり。



これをある人、日吉の社の御正体をあらはし奉りて、おのおの御前にて、千日の講をおこなひけるに、二宮の御料の折、ある僧、この句をすこしも違へずしたりけるを、ある人、仲胤僧都に、「かかる事こそありしか」と語りければ、仲胤僧都、きやうきやうと笑ひて、「これは、かうかうの時、仲胤がしたりし句なり。



日吉禰宜成仲、七十賀し侍りけるに、つかはしける

(藤原清輔)
日吉禰宜成仲、七十賀し侍りけるに、つかはしける

(藤原清輔)
Киёсукэ

この歌は、日吉社司、社頭の後ろの山にまかりて、子の日して侍りける夜、人の夢に見えけるとなむ

Рассказывают, что песню услышал во сне синтоистский священник храма Хиёси в ночь со Дня первого ребенка, который выкопал в тот день молодую сосенку на холме за храмом

日吉社に奉りける歌の中に、二宮を

(慈円)
日吉社に奉りける歌の中に、二宮を

(慈円)
Дзиэн

おしなべて
日吉の影は
くもらぬに
涙あやしき
昨日今日かな
おしなべて
ひよしのかげは
くもらぬに
なみだあやしき
きのふけふかな
Источают
Немеркнущий свет
Боги святыни Хиэ,
Почему же от горя и слез
Непрестанно туманится взор?

加賀守にて侍りける時、白山に詣でたりけるを思ひ出でて、日吉の客人の宮にてよみ侍りける

左京大夫顕輔(藤原顕輔)
加賀守にて侍りける時、白山に詣でたりけるを思ひ出でて、日吉の客人の宮にてよみ侍りける

左京大夫顕輔(藤原顕輔)
Акисукэ

これも今は昔、了延房阿闍梨、日吉の社へ参りて帰る。



日吉社の歌合とて人人よみ侍りける時、よめる

祝部宿禰成仲
日吉社の歌合とて人人よみ侍りける時、よめる

祝部宿禰成仲
Хорибэ-но Наринака

心のほかなることにて、しらぬくににまかれりけるを、ことなほりて京にのほりてのち、日吉の社にまゐりてよめる

平康頼
心のほかなることにて、しらぬくににまかれりけるを、ことなほりて京にのほりてのち、日吉の社にまゐりてよめる

平康頼


日吉大宮の本地をおもひてよみ侍りける

法橋性憲
日吉大宮の本地をおもひてよみ侍りける

法橋性憲


日吉社に御幸侍りける時、雨のふり侍りけるか、その時になりてはれにけれは、よみ侍りける

中原師尚
日吉社に御幸侍りける時、雨のふり侍りけるか、その時になりてはれにけれは、よみ侍りける

中原師尚


後三條院の御時はじめて日吉の社に行幸侍りけるにあづまあそびにうたふべき歌おほせごとにてよみ侍りける

大貳實政



明らけき
日吉の御神
君がため
やまのかひある
萬代やへむ
あきらけき
ひよしのみかみ
きみがため
やまのかひある
よろづよやへむ


新日吉社の松屋のまへの楓の木は右兵衛督光能植ゑ置きて侍りけるに競馬の事おこなふとて思ひつゞけ侍りける

從三位光成

Мицунари

日吉の社にて述懷の心をよみ侍りける

正三位知家

Томоиэ

天降る
神を日吉に
あふぎてぞ
曇りなかれと
世を祈るかな
あまくだる
かみをひよしに
あふぎてぞ
くもりなかれと
よをいのるかな


日吉とて
頼む蔭さへ
いかなれば
曇りなき身を
照さゞる覽
ひよしとて
たのむかげさへ
いかなれば
くもりなきみを
てらさざるらん


曇りなき
日吉の蔭を
頼まずば
いかで憂世の
闇を出でまし
くもりなき
ひよしのかげを
たのまずば
いかでうきよの
やみをいでまし


かすみにし
鷲の高嶺の
花の色を
日吉の影に
映してぞみる
かすみにし
わしのたかねの
はなのいろを
ひよしのかげに
うつしてぞみる


あひにあひて
日吉の空ぞ
さやかなる
七つの星の
照す光に
あひにあひて
ひよしのそらぞ
さやかなる
ななつのほしの
てらすひかりに


曇なき
世を照さむと
ちかひてや
日吉の宮の
跡をたれけむ
くもりなき
よをてらさむと
ちかひてや
ひよしのみやの
あとをたれけむ


暫しだに
晴るゝ心や
なからまし
日吉の蔭の
照さゞりせば
しばしだに
はるるこころや
なからまし
ひよしのかげの
てらさざりせば


曇なき
君が御世にぞ
千はやぶる
神も日吉の
影を添ふらむ
くもりなき
きみがみよにぞ
ちはやぶる
かみもひよしの
かげをそふらむ


君守る
神も日吉の
影添へて
くもらぬ御世を
さぞ照すらむ
きみもりる
かみもひよしの
かげそへて
くもらぬみよを
さぞてらすらむ


淺からぬ
惠に知りぬ
のちの世の
闇も日吉の
照すべしとは
あさからぬ
めぐみにしりぬ
のちのよの
やみもひよしの
てらすべしとは


前大納言爲家人々によませ侍りける日吉の社の五十首の歌合に、湖邊擣衣

前大納言爲氏



日吉の社に詠みて奉りける百首の歌に

前大僧正慈鎭



さりともと
照す日吉を
頼むかな
曇らずと思ふ
心ばかりに
さりともと
てらすひよしを
たのむかな
くもらずとおもふ
こころばかりに


日吉の社に奉りける百首の歌に

前大僧正慈鎭



日吉の社に奉りける百首の歌に

前大僧正慈鎭



雪降りける日日吉の社へまうでけるに山深くなるまゝ風吹きあれて行くさきも見えず雲立ちむかひ侍りければ

前大納言爲兼



日吉の社へ奉りける百首の歌の中に、爐火を

皇太后宮大夫俊成



日吉の社の歌合に

刑部卿頼輔

Ёрисукэ

代々をへて
仰ぐ日吉の
神垣に
心のぬさを
かけぬ日ぞなき
よよをへて
あおぐひよしの
かみかきに
こころのぬさを
かけぬひぞなき


日吉の社に奉りける百首の歌の中に、櫻を

皇太后宮大夫俊成



左兵衛督直義よませ侍りし日吉の社の七首の歌の中に、花盛開といへることを

民部卿爲明



正安三年二月廿七日日吉の社に御幸ありて次の日志賀の山の櫻につけて内へ奉らせ給うける

後宇多院御製



法印覺源すゝめ侍りける日吉の社の歌合に

前右兵衛督爲教



前大僧正桓守すゝめ侍りける日吉の社の三首の歌合に、冬月を

前大僧正實越



くもりなく
てらす日吉の
神垣に
又ひかりそふ
秋の夜の月
くもりなく
てらすひよしの
かみかきに
またひかりそふ
あきのよのつき


あひにあひて
守る日吉の
數々に
七つの道の
國さかゆらし
あひにあひて
まもるひよしの
かずかずに
ななつのみちの
くにさかゆらし


たのもしな
祈るにつけて
曇なき
日吉のかげに
道ぞ迷はぬ
たのもしな
いのるにつけて
くもりなき
ひよしのかげに
みちぞまよはぬ


前大納言爲家日吉の社にて八講おこなひ侍りける時、人々に一品經の歌すゝめけるに、方便品

花山院入道前太政大臣



うへもなく
頼む日吉の
影なれば
高き峯とや
まづ照すらむ
うへもなく
たのむひよしの
かげなれば
たかきみねとや
まづてらすらむ


日吉社に奉りける百首の歌の中に

前大僧正慈鎭



日吉へ參るとて唐崎の松を見て詠める

從二位爲子



これは日吉の地主權現の御歌となむ。



天台座主にて侍りける時、日吉の祭の日、禰宜匡長がもとよりかざしのかづらを贈りて侍りければ

入道二品親王尊圓



久かたの
天つ日吉の
神祭
つきのかつらも
ひかりそへけり
ひさかたの
あまつひよしの
かみまつり
つきのかつらも
ひかりそへけり


法印澄憲建久元年日吉の大宮の千僧供養の導師の賞を仁和寺の海惠にゆづりて律師になり侍りにけり。かの海惠、律師になりなば日吉へ參るべき由申しながら年月を送り侍りけるに示し給ひけるとなむ。



をしなべて
照さぬかたや
なかるらん
積む日吉の
神の光は
をしなべて
てらさぬかたや
なかるらん
つまむひよしの
かみのひかりは


百首哥よませ給ふける中に日吉を

後村上院御製

Покойный государь Го-Мураками

元弘元年神な月の比日吉社に哥あまたよみて奉りし中に

中務卿宗良親王

Среди множества песен, сложенных в святилище Хиёси в первом году гэнко в пору десятой луны

Министр центральных дел принц Мунэёси

いかにせん
たのむ日吉の
神な月
照さぬ影の
袖の時雨を
いかにせん
たのむひよしの
かみなつき
てらさぬかげの
そでのしぐれを


中ごろのことにや、こともなき法師の、世にありわびて、京より日吉の社へ百日参るありけり。


日吉神社
日吉社によみて奉りける歌中に、大宮

後京極摂政前太政大臣



大納言になりてよろこひ申に、日吉社に参りてよみ侍し

前大納言為家



日吉社へ五十首御歌奉られけるに

後鳥羽院御歌



日吉社によみて奉りける歌合に

正三位知家



日吉社百首歌に

慈鎮大僧正



日吉社歌合に、紅葉添雨

前中納言定家


*前中〔納〕言定家
日吉社に奉りける歌合に、雪を

正三位知家



建春門院皇后宮と申ける時、日吉社に行啓有ける舞人にて侍けるに、御神楽に万歳猶万歳とおりかさねけるをきゝて

土御門内大臣



日吉社恋五首歌合に

前大納言隆房



藤原信実朝臣、日吉社にて歌合し侍けるに、山花

祝部成賢



日吉社によみて奉りける歌中に、大宮

後京極摂政前太政大臣



大納言になりてよろこひ申に、日吉社に参りてよみ侍し

前大納言為家



日吉社へ五十首御歌奉られけるに

後鳥羽院御歌



日吉社によみて奉りける歌合に

正三位知家



日吉社百首歌に

慈鎮大僧正



日吉社歌合に、紅葉添雨

前中納言定家


*前中〔納〕言定家
日吉社に奉りける歌合に、雪を

正三位知家



建春門院皇后宮と申ける時、日吉社に行啓有ける舞人にて侍けるに、御神楽に万歳猶万歳とおりかさねけるをきゝて

土御門内大臣



日吉社恋五首歌合に

前大納言隆房



藤原信実朝臣、日吉社にて歌合し侍けるに、山花

祝部成賢



前大僧正道玄、日吉社にて人々にすゝめ侍ける廿一首歌の中に

源兼氏朝臣



前大僧正道玄、日吉社にて人々すゝめ侍ける廿一首歌の中に

源兼氏朝臣



行めくり
てらす日吉の
影なれは
限もあらし
敷島の道
ゆきめくり
てらすひよしの
かげなれは
かぎりもあらし
しきしまのみち


あきらけき
日吉の影を
頼みつゝ
のとけかるへき
雲のうへかな
あきらけき
ひよしのかげを
たのみつつ
のとけかるへき
くものうへかな


前大納言為世よませ侍し日吉社歌合に、神祇

前僧正桓守



前僧正桓守人々にすゝめて日吉社にて三首歌合し侍けるに、神祇

法印長舜



法印覚源、日吉社にて七首歌合し侍ける時

法眼源承



竹生島と云所に住侍ける比、山の衆徒うれへ申事有て、日吉社の神事なとうちとゝむるよしつたへ聞ておもひつゝけ侍ける

法印定宗



左兵衛督直義よませ侍ける、日吉社奉納の七首歌の中に、花盛開といへることを

源和氏



後伏見院、日吉社に御立願のむね有けるを、祖師前大僧正公什祈請申侍けるに、女房瑞夢のことありて、程なく皇子御誕生ありけれは、叡感の勅書をくたされける事を思ひ出てよみ侍ける

僧正尊什



後宇多院にめされける日吉社歌合の歌に

兵部卿隆朝



新日吉社にて詩歌合し侍ける時、山居夏興

祝部行親



寛喜四年日吉社撰歌合に

前大納言為家



寛喜四年日吉社撰歌合に

源家長朝臣



日吉社に奉りける歌の中に、鳥を

按察使公保〈一本ニ此作者墨滅〉



前中納言為相よませ侍ける、日吉社十首歌中に

前参議雅有



日吉社に奉りし歌中に

権中納言雅世



遠所より日吉社に奉られける七首御歌の中に

土御門院御製



日吉社へ奉りける百首歌の中に

皇太后宮大夫俊成



日吉社に奉りける百首歌の中に

前大僧正慈鎮



日吉社に参りて雪のふり侍けれは、法印源全か許へよみてつかはしける

前大納言為家



日吉社によみて奉りける百首歌の中に

前大僧正慈鎮



日吉社に奉りける百首歌の中に

前大僧正慈鎮



日吉社に奉りける百首歌の中に

前大僧正慈鎮



日吉社に三十首歌奉りける中に

法橋春誓



日吉神輿、感神院におはしましける時、月あかく侍けるによみ侍ける

前大僧正忠源



おなし社にまうてゝよみ侍ける

前大僧正良覚



同社によみてたてまつりける

前大僧正慈鎮



思はぬ事によりて、あつまのかたにまかれりけるに、本社のことのみ心にかゝりて涙のこほれけれは

祝部成茂



日吉十禅師宮によみて奉りける歌の中に

前大僧正慈鎮



日吉にたてまつりける歌合に

正三位知家



大納言は、「いかにも、かなうましきことと思ゆれば、『御所の御供に、いま一日もとく』と思ふ」とて、祈りなどもせず、しばしは六角櫛笥の屋にてありしが、七月十四日の夜、河崎の宿所へ移ろひしに、幼き子どもは留め置きて、静かに臨終のことどもなど、思ひしたためたる心ちにて、おとなしき子の心地にて、ひとりまかりて侍りしに、心地例ざまならぬを、しばしは、「わがことを歎きて、物なども食はぬ」と思ひて、とかくなぐさめられしほどに、しるきことのありけるにや、「ただならずなりにけり」とて、いつしか、「わが命をも、このたびばかりは」と思ひなりて、初めて、中堂にて如法泰山府君といふこと七日祭らせ、日吉にて七社の七番の芝田楽、八幡にて一日の大般若、河原にて石の塔、何くれと沙汰せらるるこそ、「わが命の惜しさにはあらで、この身のことの行く末の見たさにこそ」と思えしさま、罪深くこそ思え侍れ。
大納言は、「いかにも、かなうましきことと思ゆれば、『御所の御供に、いま一日もとく』と思ふ」とて、祈りなどもせず、しばしは六角櫛笥ろつかくくしげの屋にてありしが、七月十四日の夜、河崎の宿所へ移ろひしに、幼き子どもは留め置きて、静かに臨終りむじゆのことどもなど、思ひしたためたる心ちにて、おとなしき子の心地にて、ひとりまかりて侍りしに、心地例ざまならぬを、しばしは、「わがことを歎きて、物なども食はぬ」と思ひて、とかくなぐさめられしほどに、しるきことのありけるにや、「ただならずなりにけり」とて、いつしか、「わが命をも、このたびばかりは」と思ひなりて、初めて、中堂にて如法泰山府君たいさんぶくといふこと七日祭らせ、日吉にて七やしろの七番の芝田楽しばでんがく、八幡にて一日の大般若、河原にて石の塔、何くれと沙汰せらるるこそ、「わが命の惜しさにはあらで、この身のことの行く末の見たさにこそ」と思えしさま、罪深くこそ思え侍れ。

「六角櫛笥」は底本「候いかかくしけ」
思ひしたためたる=「たる」は底本「たり」。
河原=鴨川の河原