Гэнсин
源信
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五百弟子品の心を
僧都源信
僧都源信
五百弟子品の心を
僧都源信
僧都源信
Сложена на тему раздела сутры о Лотосе, в котором говорится о пяти сотнях учеников...
Гэнсин
Гэнсин
説経畢ぬれば、守、聖人達の方に詣て、対面して云く、「然るべき縁に依て、此く俄に来り給ひて、限無き功徳を修めしめ給へれば、期の来るにこそ候めれ。年は罷り老ぬ。罪は員も知らず造り積て候ふ。今は法師に成なむと思給るを、今一両日御して、同くは仏道に入れ畢させ給へ」と云ければ、源信僧都、「極て貴き事也。仰の如く、何にも侍らむ。但し、明日こそ吉日に侍れ。然れば、明日、御出家候らはむこそ吉からめ。明日過なば、久く吉日侍らず」と云り。
源信僧都、答て云く、「実に極て糸惜き事にぞ侍かし。然様の人、勧めて出家せしめたらむは、出家の功徳のみに非ず、多の生類を殺す事の止たらば、限無き功徳なるべし。然れば、己れ構へ試む。但し、己れ一人しては構へ難し。覚雲阿闍梨*・院源君などして、共に構ふべき事にこそ有つれ。其は、前立て多々に御して、居給たれ。己は、此の二人の人を倡て、修行する次に、和君の御するを尋ねて行たる様にて、其へ行かむ。其の時に、君、騒て、『然々の止事無き聖人達なむ、修行の次に、己れ問ひに坐したる』と守に宣へ。己等をば、聞て渡たらば、其れに驚き畏る気色有らば、君の宣はむ様は、『此の聖人達は、公けの召すだに、速に山を下ぬ人共也。其れに、修行の次に此に御したるは希有の事也。然れば、此る次に、聊の功徳造て、法を説かしめて、聞き給へ。此の人達の説き給はむを、聞き給てこそ、若干の罪をも滅し、命をも長く成し給はむ』と勧よ。然らば、其の説経の次に、出家すべき事を説き聞かしむ。只物語にも、守の身に染む許、云ひ聞かしめ進らむや」と云へば、源賢君、喜び乍ら、多々に返り行ぬ。
* 覚運か
父の許に、多々に行たりけるに、父の殺生の罪を見て、歎き悲て、横川に返り上て、源信僧都の許に詣でて、語て云く、「己が父の有様を見給ふるに、極く悲き也。年は六十に余ぬ。残の命、幾に非ず。見れば、鷹四五十を繋て、夏飼せさするに、殺生量り無し。鷹の夏飼と云ふは、生命を断つ第一の事也。亦、河共に簗を打たしめて多の魚を捕り、亦、多の鷹を飼て、生類を食はしめ、亦、常に海に網を曳かしめ、数の郎等を山に遣て、鹿を狩らしむる事隙無し。此れは、我が居所にして為る所の殺生也。其の外に、遠く知る所々に宛て、殺さしむる所の物の員、計へ尽すべきに非ず。亦、我が心に違ふ者有れば、虫などを殺す様に殺しつ。少し『宜し』と思ふ罪には、足手を切る。『此る罪を造り積ては、後の世に何許なる苦を受ぬらむ』と思給ふるに、極て悲く思え候ふぞ。『此れ、『何で法師に成らむ』と思ふ心、付けむ』と思給ふれど、怖ろしく申し出すべくも無きに、此れ構て出家の心付させ給ひてむや。此く、鬼の様なる心にては候へども、止事無き聖人などの宣はむ事をば、信ずべき様になむ見え候ふ」と。
僧都、此れを披て、見るにも涙を流して、泣々く即ち亦返事を遣て云く、「源信は更に名僧せむの心無し。只、『尼君の生き給へる時、此の如く止事無き宮原の御八講などに参て聞かせ奉らむ』と思ふ心深くして、怱ぎ申しつるに、此く仰せられたれば、極て哀れに悲くて、喜しく思ひ奉る。然れば、仰せに随て、山籠りを始て、聖人に成む。今は、『値はむ』と仰せられむ時にぞ参るべき。然らざらむ限りは山を出づべからず。但し、母と申せども、極たる善人にこそ御ましけれ」と書て遣りつ。
而るに、其の仏堂共も壊れ、仏も朽ち失せ給ひにければ、人、「昔の関寺の跡」など云て、礎許を見て、知たる人も有り、知らぬ人も有るに、横川の源信僧都の、「此れ、何で本の如くに造り立てむ。止事無き仏の跡形も無くて坐するが、極て悲き也。就中に、此の如く関の畢に坐する仏なれば、諸の国に人、礼まぬ無し。『仏に向ひ奉て、暫くも首を低たる人そら、必ず仏に成るべき縁有り。何に況や、掌を合せて、一念の心を発して礼む人は、必ず当来の弥勒の世に生るべし』と釈迦仏説き置き給へる事なれば、仏の御法を信ぜむ人、此れを疑ふべきに非ず。此れ、至要の事也」と思給て、横川に□□と云て、道心有る聖人有り。
僧都、其の人に語ひ付て、知識を引かしめて仏を造るに、漸く仏形に彫み奉る間に、源信僧都、失せ給ぬれば、此の□□*聖人、「故僧都の宣ひ置し事なれば、愚かに思ふべきに非ず。」と云て、仏師好常を懃に語て、造り奉らしめたる堂也。
* 底本頭注「此ノ下一本欠字セズ」
かの恵心の僧都は、「和歌は綺語のあやまり」とて、詠み給はざりけるを、朝朗に、はるばると湖を詠め給ひける時、霞わたれる波の上に、船のかよひけるを見て、「何にたとへん朝ぼらけ」といふ歌を思ひ出だして、をりふし心にそみ、ものあはれに思されけるより、「聖教と和歌とは、はやく一つなりけり」とて、その後なむ、さるべき折々、必ず詠じ給ひける。
かの恵心の僧都は、「和歌は綺語のあやまり」とて、詠み給はざりけるを、朝朗 に、はるばると湖を詠 め給ひける時、霞わたれる波の上に、船のかよひけるを見て、「何にたとへん朝ぼらけ」といふ歌を思ひ出だして、をりふし心にそみ、ものあはれに思されけるより、「聖教と和歌とは、はやく一つなりけり」とて、その後なむ、さるべき折々、必ず詠じ給ひける。
かの恵心の僧都. 源信
湖. 琵琶湖
湖. 琵琶湖