Отец: 藤原信実
いと〳〵めでたくて、辨内侍、



人々のすがたどもめづらかにみえ侍しかば、辨内侍、



松の木かげ風すゞしく吹きて、けいきおもしろく侍りしかば、辨内侍、



四月十三日、りんじに内侍所へ使にたちて侍りしに、こんらう軒廊をとほりて、ぎやうでん宜陽殿のだんのうへなれば、夜ふけてめぐる月かげ、さやかに見えしかば、辨内侍、



五月五日、あさがれひに、かつみを參らせたるを、「歌をそへてとりてまゐらせよ。」と、仰せごとありしに、あやめと思ひて侍れば、ひきたがへたるもおもしろくて、辨内侍、



寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、山霞

辨内侍

Во время преподнесения ста песен государю Го-Сага во втором году ходзи, о весенней дымке в горах

Бэн-но найси
1248 примерно
名殘おほくて、つりどののかたにやすらひて、辨内侍、



返し、辨内侍、



御留主には、中納言のすけどの・宮内卿どの・辨内侍など、朝がれゐのひろびさしにたちいでたれば、かうらんにそへてたてたるむまがたの障子はづれより、ほのかにみゆる月影いとわりなきを、「いにしへ二條の后、後凉殿に候ひ給ひけむは、此一の對の程ぞかし。その世にもかくや心づくしなりけん。」など申し出て、辨内侍、



八月晦日、女く所へさだまるべき内侍、朱雀門へむかふべきにて侍けるに、少將内侍いたはることありて、代官にたて侍りしに、風いとすゞしく吹て、みかきがはらおもしろく侍りしかば、辨内侍、



九月八日、中宮大宮女院の御かたより、菊のきせわたまゐりたるが、ことにうつくしきを、朝がれゐの御つぼの菊にきせて、夜のまの露もいかゞとおぼえわたされて、おもしろく侍りしかば、辨内侍、



奉行藏人侍從むねまさ、をりしもあられはげしくさえたるけいき、いとおもしろくて、辨内侍、



しとみやより見わたしたれば、はるかにいさご地しろしろとみえて、河風さえたりしに、辨内侍、



大宮大納言きんすけ・萬里小路大納言きんもとなどまゐらせたまひて南殿にてよもすがらながめ給ひけるが、曉がたことにさえたりければ、うへのをのこども、殿上のをりまつめしけれども、つきたるよし申ければ、ひろ御所のきたむきにて、かれたる萩の枝など、をり松にせられけるときゝし、いとやさしくて、辨内侍、



有明の月くまなかりしに、雪のひかりさえとほりて、おもしろくみえ侍りしかば、常の御所のかうらんのもとへたちいでたりしに、公忠の中將・大宮の大納言殿の、すゞりこはせ給ふとて、もちてまゐりしも、いづくの御文ならむとゆかしくて、辨内侍、



返し、辨内侍、



十七日、雪なほいとふかうつもりしに、吉田の使にたちて、かへさに、しゆき主基かたの女く所の事がらゆかしくて、「そなたざまやれ。」と申し侍りしかば、くやくためもち・かねとも、六位のくるまのとものものなども、「夜ふけてはるかにめぐらむ事、かなふまじき」よし申し侍りしかども、せめてたづねまほしさに、「吉田のつかひのかへりには、かならず女く所へたちいるしぎにてあるぞ。」と申し侍りしかば、「まことにさる先例ならば。」とて、はるばるとたづねゆきたりしに、ゑじがもんおそくあけ侍りしに、「今にはじめたる事か。吉田使のかへさに、内侍のいらせ給ふに、ことあたらしくあけもまうけぬか。」と、あらゝかにいさめ申し侍りしも、「かやうの事や。先例にもなり侍らむ。」とをかしくて、辨内侍、



攝政殿實經參らせ給ひて、御ぐしそがせおはしますに、ものゝぐにてまゐるべきよし仰せありしかば、をりしもをしいだしの衣、よそひなきよし申して、なえたらむも又いかゞとて、辨内侍、



この程の雪さえとほりたる夜もすがら、ことひきあかしたまふときゝしも、ことにいみじくおぼえて、辨内侍、



「藏人のすけ經俊、内侍たづぬ。」ときゝて、「奏事にやあらん。」とて、だいばん所のぬえの障子のもとにてまつ程、行啓の供奉の人々、こなたざまへくるおとして、中宮權大夫通成・花山院宰相中將師繼・頭中將雅家・通世の少將など、ゆづえのおとまでも、さえとほりておもしろきに、きりみすのほどに、藏人の侍從むねまさが聲にて、「ゆゝしき月の光かな。しろうすやうのころこそ、思ひやらるれ。」といふ。げにかぎりなくみゆれば、辨内侍、



あらしはげしく吹きて、へだての屏風つゞきてたふれにしかば、わた殿までみわたされたる、はれ〴〵しさかぎりなくて、辨内侍、



後にこれをきゝて、辨内侍、



その夜はちごのまつりの使にたちたりしに、顯朝の辨、院の推參ゑんすいなどはてゝ、まゐりたりしかば、あかつきになりて、宮のことがらも心すみて、物の音しらべたるも、をりからおもしろくて、辨内侍、



辨内侍、



辨内侍、



ことゞもはてゝ、大宮大納言殿、常の御所へまゐり給ひて、勾當内侍どのに、ぼくば牧馬のねはいかが侍りつるとありしかば、かの大こくでんのびはのねとかやのやうに、いづくまでもくもりなくこそと申し給ふも、げにかぎりなくて、辨内侍、



辨内侍、



節會はてぬれば、わらはのぼり・露臺の亂舞・御ぜむのめしなどはて、せいそだうの月のあり明のかげ、あかず身にしみて、おもしろきを、人々ながめて、辨内侍、



かくて閑院殿へいらせおはしまして、大内裏の事おもひいでゝ、辨内侍、



廿一日、せちぶんの御方違の行幸、官廳へなりたりしに、ありしよの事思ひ出でられて、清凉殿にしつらひたりし所に、少納言内侍とよもすがら月をながめて、辨内侍、


イ:廿二
夜ふけて殿まゐらせ給ひたりしに、かみあげの内侍にて、少納言とふたり大ばん所に候ひしに、「夜はふけぬるか。うしのくびのほどか。」とゝはせ給ふを、たれも何とも申さゞりしを、少納言、「心のうちに、御返事さだめてありつらむ。いかゞ。」ときこゆれば、辨内侍、



やくしの御修法、十二月十八日よりはじまりて、廿四日けちぐわんときゝしが、のびて廿六日佛名の夜、けんしゝまもりたてまつるとて、つく〴〵と候ひしに、のりのこゑ〴〵いとたふとくて、辨内侍、



寛元五年、元日のはいらいのけいき、ことにめでたくて、辨内侍、


寛元5(1247)
春の日かげもうらゝかなるに、内辨右大將殿・九條殿のよそほひゆゝしくみえしかば、辨内侍、



上卿二位中納言良教・職事頭辨顯朝、そうたてまつるほど、をりしも月くもりがちにて、なにとなくものあはれなれば、辨内侍、



これをみて、辨内侍、


イ:これをみて、返事
日記の御雙子三帖、おほだいりの比、中納言のすけ殿にあづけさせ給ひたりしを、光國申しいでて、返しまゐらすべきよし申し侍りしに、なにとまれ申さばやといふことにてありしかども、御なげきのほど心ばかりはよういせられて、辨内侍、



攝政殿まゐらせ給ひて、「いにしへの陣の定に、四納言たち、いかにゆゝしかりけむ。さてこそ、てる少將・ひかる少將などは、つかさくらゐたかくのぼらむとおもふは、身のはぢをしらぬなりけりとおもひとりて、世をのがれけめ。」など、ふることかたり出でさせ給も、げに思ひやられて、辨内侍、


攝政殿〔をかのやどの兼經〕
なほしすがた常よりも心ことに、にほひ深くみえたまひしかば、辨内侍あをかりぎぬきたる人ぞ御ともにはありし。、



今夜のなごりをとめばやと、人々ありければ、辨内侍、



中宮の行啓はやよひの頃なれば、其程に人々いざなひて、「いづくの花も雲井よりとてたづねむに、さかぬ櫻はあらじな。」と、萬里小路大納言殿のたまひしかども、なにとなくてやみにし、くちをしくて、辨内侍、



なにとなくおもしろくて、辨内侍、



とつけたりしを、「是を一首になして、返す人のあれかし。」ときこゆれば、辨内侍、



花山院宰相中將、西園寺のはなみの御幸の御供にまゐりたりけるまに、はゝのうせにけるを、ことになげかるゝよしきゝしも、いと哀れにて、少將内侍さとなりしに申しつかはし侍りし、辨内侍、



三月廿八日、洞院攝政殿教實の十三年に、せんにん門院御とし十九、御ぐしおろさせ給ふときゝしをりしも、雨降りていと哀れなりしかば、少將内侍のもとへ、辨内侍、



みかはみづに山ぶきの花のながるゝをみて、大納言「新吉野川と見ゆるものかな。」と聞ゆるを、「御殿の(ゆどのゝ)うへには、人々もいとおもしろくこそ。なにとまれ申さばや。」などありしかば、心のうちに、辨内侍、



卯月十日のころは、太政大臣殿北山におはしますほど、女房たち、ほとゝぎすのはつ音たづねにおはしましたりけるに、甲斐々々しくまゐりたりしが、「我心のうち、うたによめ。」と有りしかば、辨内侍、



きゝもしらぬ論議のこゑも、結願なにとなく名殘おほくて、辨内侍、



花山院宰相中將もろつぐ、いろにてこもりゐられたりしに、南殿のたち花さかりなりしを、一枝をりてつかはすとて、兵衞督どのにかはりて、辨内侍、



「あなあさまし。たてじとみのうへよりも、よく〳〵見えぬらん。」と、心うかりなげくほどに、あかつきの御時のかねのこゑきこゆれば、ちやうもんして、たゞいまふかくなげきつるつみもうかぶらむとおぼえて、いとたふとくて、辨内侍、



なりいたのほどにたちて、なにゝもめとまるけしきなるを、「いかなることにか。さき〴〵は院の御所に心のひまなき人々にて、おぼろけには、番にもまゐらぬに。あやしくこそ。」などいふほどに、つぎのひきけば、はや此あかつき、りやうぜんにて世をそむきぬときくも、むかしものがたりをきく心ちして、あはれさかぎりなくおぼえて、辨内侍、



八日、けふはひるのばんにまゐらましものを、くまのゝみちのほどにてやあるらむと、あはれにて、大納言殿に、辨内侍、



「うき世をしらぬ人は、ちくしやうに人のかはをきせたるとこそきゝ侍れ。」といふも、げにかなしくて、辨内侍、



つねとし・みつくになどまゐりて、だいばん所に、内侍もてそうまつべきよし、つねとし申し侍りしかば、内侍たち月ながめて、「何事も物をまつはひさしきやうにおぼゆる。夜もすがらもながめあかしてのみこそあれども、これまでも公事とおもへばこゝろもとなき。」などいひて、辨内侍、



八月一日、中宮の御方よりまゐりたりし御たきもの、よのつねならず匂ひうつくしう侍りしかば、辨内侍、



院の御所の辨内侍、こうたうの内侍のもとへ、「はぎのとの萩はさきたりや。」とたづねられたるに、一枝をりてつかはすとて、こうたうの内侍にかはりて、辨内侍、



「それはたれぞ。」といへば、「弁候ふなり。」と宣ふ。

Я полюбопытствовала:
— Кто она?
Он ответил:
— Это была Бэн-но на̀йси.

あさがれひにて、「ありつぐそうず・ゆゝしきみちの人々、詩つくりてあそぶらんこそゆかしけれ。などこの殿上などにてなかるらむ。さもあらば、たちきゝてむ。」など、人々おほせられしかば、辨内侍、



「またみるかげのなかるらん」といふふるごとの御くちすさびにきこえしもいとあはれにて、辨内侍、



上卿園中納言すけすゑこよひは月ことにはれて、いとおもしろく、あきともの辨、「十五夜にはおそれをいだき、すましたる月かな。内侍たちこれにか。」とて、夜べの月のくもりたりしも、身のとがのやうにうれへありくもをかしくて、辨内侍、



みくしげどのひきわけのつかひは、公保の中將ときこえしが、にはかにきやうぶくに成りてまゐらぬよし、きかせおはしまして、「たれならむ。」と公忠の中將とぞ御たづねありしに、辨内侍、



辨内侍、



權大納言は夜番にまゐりて、はぎのとにて御あそび侍りしに、「たゞいまはなにの時ぞ。」と御尋ねあれば、「おきてゐの時」と申し給へど、よるのおとどには、内侍もねなんとせしかば、ゐよりはふけぬらんとて、辨内侍、



こうたうの内侍のつまのつぼねにて、よもすがらびは引きあかし給ひしを、「按察三位殿の心のうち思ひやられて、いとこそおもしろけれ。」とおほせられしかば、辨内侍、



あかつきがたにもなりにしかば、御ちよくろへいらせ給ひしに、兵衞督どの、「御なごり申さばや。」とあらまして、辨内侍、



おなじ月の比、萬里小路大納言、按察のすけどの・中納言のすけ殿などさそひて、かはよりあなたまで、夜もすがらあそびてかへり參りたりしに、按察三位殿きかせ給ひて、「いとおもしろかりけることかな。かはをへだてたる戀といふ題にて歌よめ。」とおほせられしかば、辨内侍、



月あかきよ、おなじ御つぼねの菊、いとおもしろきを、左衞門督實藤、をりてまゐらせられたる枝の殘り、「またをりてまゐらせよ。」と、おほせごとありしかば、辨内侍、



おなじ比、大宮大納言・萬里小路の大納言・左衞門督、なべてならずうつくしう見ゆるきくどもをまゐらせて、御つぼにうゑられたるを、「いづれにてもことに見えむ一枝、をりてまゐれ。」とおほせごとあれば、辨内侍、



左大臣殿御供にまゐらせたまひたりしが、御ぶんとていだされたりしくしを、御ふところへいるゝよしにて、さながら御袖のしたよりおとさせ給ひし御ことがら、いひしらず見え給ひしかば、辨内侍、


左大臣殿〔近衞殿〕
權中納言、五節いださるゝときゝて、くしこひたてまつるとて、辨内侍、



いたはることおはしけるともしらで、申したりけるも、げにこゝろづきなくて、辨内侍、



辨内侍、



いつしかいかにとおもへば、「なかやす一臈になりたるよろこびや。」ときくも、うつりかはるほどなさをかしくて、辨内侍、




「五せちのまねのいだしうたは、なほまさりてこそ。」とて、辨内侍、



權大納言はおそく參り給ひて、御よるになりてのち、御かうしのとにたゝずみて、「さすやをかべのまつのはの」と、返々ながめたまふも、みゝにとまりて、きく人もやあらむとおぼえて、辨内侍、



權大納言、女房たちなどともなひて、南殿のかたざまにてあそび侍りしに、左衞門のぢんのはしに、霜のしろくさえたりし、さむくつめたさかぎりなかりしもおもしろくて、辨内侍、



寶治二年、母のいみにてさとに侍りしに、いはし水のりんじの祭り廿日おもひやりて、辨内侍、


宝治2(1248)
おなじ比、夏のひとへをたまはせたれば、辨内侍、



上卿皇后宮權大夫、きゝもしらぬ佛の御名、ともになのりつゞくるこゑ〴〵、まことに滅罪のやくもあるらむとおぼえて、辨内侍、




上卿皇后宮權大夫〔もろつぐ〕
奉行宗雅、春のはじめの事がらまことに目出度くて、辨内侍、



こめいぢのしやうじのもと、御ゆどのゝなげしのしもの一間に、勾當内侍どの、みのとのきりみすのもとに、中納言のすけ・兵衞督どの、年中行事のしやうじのかくれに、少將辨などうかゞひしかども、あかつきまで出で給はず。


こめいぢ=昆明池
みのと(*癸か)
返事、辨内侍、



このかずにかへすべきよし、おほせごとあれば、辨内侍、



辨内侍、



御手習などありて、「おもしろく思はむ詩かきてまゐらせよ。」と仰せごとあれば、「蘆葭洲裏孤舟夢」とかきてそばに、辨内侍、



さりながら、「延喜・天暦のかしこき御代にも、あまたゝび侍りける。」など、おほせらるゝ人々もありしかば、辨内侍、



この御返事は、院の御所へ申すべしとおほせられしかば、辨内侍、



その人のもとより、「むめやさかりなるらん。」とたづねたる返事に、勾當内侍にかはりて、辨内侍、



このうたども、「太政大臣殿きかせ給ひて、『さしもゆゝしき「色もかも」の御秀歌にかよひて、「いろもかも」とあるわろし。又御返事も、「こゝのへになる」といみじくつゞけられたるに、「いまこゝのへ」とよみたる、たゞしかるべからず。ともにおつなり。』とおほせらるゝ。」ときゝしめんぼくなさ、をかしくて、辨内侍、


太政大臣殿〔實氏〕
花のこかげにたゝれたるをみて、辨内侍、



「今はゆゝしき鳥ありとも、なにゝかはせん。たまはりの鳥なれば、きくもいみしらむとこそ思ひしに。」など、かへす〴〵こゝろうくて、辨内侍、


いみしらむ(*いみじかるらむ?)
公忠・公保がとりあはせしをり、「伊與中將がとり、そらおとりする。」とて人々わらひしに、冷泉大納言、「ひさかたのそらおとりこそをかしけれ。」とのたまへば、公忠「さこそ。」といひたりし、をかしくて、辨内侍、



庭の月かげいとおもしろくて、辨内侍、



日くれかゝるほど、ことにおもしろく侍りしかば、辨内侍、



かずもあがりて、木ずゑのあなたへまはるほど、左衞門督のあしもはやくみえ侍りしを、兵衞督どの、「まりはいしいものかな。あれほど左衞門督をはしすることよ。」とありしを、大納言、「我もさみつるを、いみじくもめいくを聞えさする物かな。めのとにてあるに、この返りごとあらばや。」と侍りしかば、辨内侍、


はし(*ら)する
奏まつほど、ふくるまで大ばん所に、内侍たちなにとなきものがたりして、「往古の延暦・延喜は廿年にもあまりけるに、かくほどなくかはる。なごりをしきやうにこそ。」などいひて、辨内侍、



かつら川をわたりしに、みなかみのかたに、やなといふものに、水のたぎりておつるおとのきこえ侍りしかば、辨内侍、



幣にうつりたる有明がたのかげ、たとへむかたなくおもしろきに、をりしもほとゝぎすのなき侍りしかば、辨内侍、



けいごのすがたどもおもしろくて、辨内侍、



攝政殿まゐらせ給ひて、廿一日の夜の月いと心もとなくまたせ給ふほど、人々に「いでたるや。」ととはせ給へば、さま〴〵にやうをかへて申すに、「やまのこなたへはいでながら、ひかりのいまだあらはれぬ。」と申す人侍りしを、この申すやう念ありて、「さもあり。」など人々もおほせられしかば、辨内侍、