ふる年に春立ちける日詠み侍りける
前大納言爲氏
Сложено в день, когда наступила весна ещё в уходящем году
Бывший дайнагон Тамэудзи
寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、澤若菜
前大納言爲氏
弘長元年百首の歌奉りける時、同じ心を
前大納言爲氏
霰を
前大納言爲氏
О граде
Бывший дайнагон Тамэудзи
前大納言爲氏罷るべき由申して侍りける頃雪の朝に申し遣しける
平親世
返し
前大納言爲氏
Ответ
Бывший дайнагон Тамэудзи
續拾遺集奏覽の日雪のふり侍りければ前大納言爲氏の許に申し遣しける
前關白太政大臣
前大納言爲氏住吉の社にて歌合し侍りける時、社頭松を
法眼慶融
題志らず
前大納言爲氏
Тема неизвестна
Бывший дайнагон Тамэудзи
戀の歌の中に
前大納言爲氏
Среди песен любви
Бывший дайнагон Тамэудзи
文永七年九月盡、内裏の三首の歌に、契戀
前大納言爲氏
つかさめしの頃爲世が參議を望み申すとて奏し侍りける
前大納言爲氏
前大納言爲氏かしらおろし侍る由を聞きて遣しける
權中納言公雄
返し
前大納言爲氏
Ответ
Бывший дайнагон Тамэудзи
前關白太政大臣なげく事侍りける頃程へて申し遣しける
前大納言爲氏
性助法親王身まかりにける頃法眼行濟が許に申し遣しける
前大納言爲氏
前大納言爲家身まかりて後日數過ぐるほどに前大納言爲氏の許に申し遣しける
入道前太政大臣
文永四年内裏の詩歌を合せられ侍りし時、春日望山
前大納言爲氏
弘長三年内裏の百首の歌奉りし時、おなじ心を
前大納言爲氏
Когда слагали сто песен во дворце в третьем году котё, о том же
Бывший дайнагон Тамэудзи
弘長三年内裏の百首の歌奉りし時、春月を
前大納言爲氏
弘長三年内裏の百首の歌奉りし時、杜蝉
前大納言爲氏
弘長元年百首の歌奉りし時、おなじ心を
前大納言爲氏
文永五年九月十三夜白河殿の五首歌合に、河水澄月
前大納言爲氏
山階入道左大臣の家の十首の歌に、田家秋寒
前大納言爲氏
弘長元年百首の歌奉りし時、おなじこゝろを
前大納言爲氏
寢覺時鳥といふ事を
前大納言爲氏
О кукушке при пробуждении
Бывший дайнагон Тамэудзи
弘長三年九月十三夜内裏の十首の歌奉りし時、月前祝
前大納言爲氏
弘長三年内裏に百首の歌奉りし時、寄池戀
前大納言爲氏
前大納言爲氏玉津島の社にて歌合し侍りし時、浦月
權律師定爲
百首の歌の中に
前大納言爲氏
Среди ста песен
Бывший дайнагон Тамэудзи
寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、春雪
前大納言爲氏
文永二年内裏の十首の歌に、落花似雪といふ事を
前大納言爲氏
弘長元年百首の歌奉りける時、同じ心を
前大納言爲氏
弘長三年内裏の百首の歌奉りける時、夏曉月
前大納言爲氏
弘長の内裏の百首の歌奉りける時、沼螢
前大納言爲氏
Во времена сложения ста песен во дворце в эпоху котё
Бывший старший советник Тамэудзи
文永二年七月白河殿にて人々題をさぐりて七百首の歌つかうまつりける時、湊夕立といふ事を
前大納言爲氏
弘安八年八月十五夜の卅首の歌に、秋風入簾
前大納言爲氏
從二位行家人々にすゝめ侍りける時住吉の社の十首歌合に、江上月
前大納言爲氏
住吉の社に奉りける十首の歌の中に、海邊月
前大納言爲氏
前大納言爲家人々によませ侍りける日吉の社の五十首の歌合に、湖邊擣衣
前大納言爲氏
龜山院の御時、こ屏風、すゞり箱を、折句くつ冠におきてよめと仰せごとありければつかうまつりける
前大納言爲氏
人々にすゝめてよませ侍りける住吉の社の十首の歌に、旅宿風
前大納言爲氏
前大納言爲氏あづまへ下りて侍りけるけるが上り侍りける時申し遣しける
源義行
返し
前大納言爲氏
Ответ
Бывший дайнагон Тамэудзи
源兼氏朝臣すゝめ侍りける玉津島の社の十五首の歌に
前大納言爲氏
前大納言爲家身まかりて後一めぐりに前大納言爲氏如法經書き侍りけるに捧物贈り侍るとて
從三位氏久
弘長の内裏の百首の歌奉りける時寄水戀
前大納言爲氏
前大納言爲氏月の頃まかるべき由申しけるがさも侍らざりければ申し遣しける
平親世
前大納言爲氏續拾遺えらびて後石山寺にて人々によませ侍りける歌の中に
惟宗忠景
前大納言爲氏身まかりて後十三年にあたりける時誦經のさゝげ物をおくるとて
太政大臣
前大納言爲氏身まかりて長月の頃ひとめぐりにあたり侍りけるに津守國助おとづれて侍りける返事に
法印定爲
京極院、御こと侍りて四十九日、九月盡日にて侍りけるに御佛事の間よみて御堂のうしろどにさしおかせける
前大納言爲氏
建長二年八月廿七日庚申の歌合に、絶久戀
前大納言爲氏
前大納言爲氏一品經の歌とてすゝめ侍りけるに安樂行品、若入他家不與小女處女寡女等共語といふ文の心をよめる
藤原爲明朝臣
寳治元年三月三日西園寺へ御幸ありて翫花といふことを講ぜられけるに
前大納言爲氏
文永二年白川殿にて人々題を探りて七百首の歌つかうまつりける時、山花といふことを
前大納言爲氏
建長元年九月十三夜鳥羽殿にて水郷月といへる事を仕うまつりける
前大納言爲氏
建長二年八月十五夜鳥羽殿にて曉鹿といへる事を仕うまつりける
前大納言爲氏
弘長元年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、春雪を
前大納言爲氏
前大納言爲氏人々に詠ませ侍りし住吉の社の十首の歌に
式乾門院御匣
百首の歌の中に
前大納言爲氏
Среди ста песен
Бывший дайнагон Тамэудзи
関白少将にてよろこひ申侍けるつきの日、前関白の許へよみてつかはしける
前大納言為氏
入道前太政大臣家に十首歌よませ侍けるに、おなし心を
前大納言為氏
後深草院御前にて人々におほみきたまはせける時、御さかつきまいらせけるに、歌つかうまつるへきよし仰こと有けれは
前大納言為氏
道洪法師世をのかれぬと聞て申つかはしける
前大納言為氏
前大納言為氏身まかりにける仏事のついてに、一品経歌よみ侍けるに、譬喩品を
平宣時朝臣
九月尽日、内裏にて三首歌講せられけるに、暮秋菊
中納言為氏
弘長三年十二月、内裏にて三首歌講せられけるに、おなし心を
中納言為氏
法眼行済あひしりて侍ける女身まかりにける比、つかはしける
前大納言為氏
弘安八年八月十五夜、亀山院に三十首歌たてまつりし時、夜々見月といふことを
前大納言為氏
宝治二年春日社歌合に、聞遠鹿と云ことを
前大納言為氏