人々に歌を召して合せられけるついでに庭殘菊と云ふことを詠ませ給ひける
後宇多院御歌
文保三年後宇多院に召されける百首の歌の中に
民部卿爲藤
前左大臣、母の十三年の佛事し侍りけるに彼の文の裏に壽量品を書かせ給ひて包紙に書き付けさせ給ひける
後宇多院御歌
正安三年二月廿七日日吉の社に御幸ありて次の日志賀の山の櫻につけて内へ奉らせ給うける
後宇多院御製
元亨三年八月大覺寺殿に行幸有りて人々題を探りて歌仕うまつりけるついでに鵜河を詠ませ給うける
後宇多院御製
嘉元の百首の歌召されけるついでに、霰
後宇多院御製
嘉元の百首の歌召されしついでに、海路を
後宇多院御製
嘉元の百首の歌召されけるついでに、初逢戀
後宇多院御製
後醍醐院御受禪のほど近くなりて後宇多院西園寺に御幸侍りけるに仕うまつりて詠める
六條内大臣
嘉元の百首の歌めしけるついでに、山吹
後宇多院御製
龜山殿にて人々題を探りて千首の歌仕うまつりけるついでに、月を
後宇多院御製
元亨三年七月、亀山殿にて人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに
後宇多院御製
元亨三年八月大覚寺殿に行幸ありて、人々題をさくりて歌つかうまつりしついてに、落葉をよませ給うける
後宇多院御製
十首歌めしけるついてに、寄河恋をよませ給うける
後宇多院御製
嘉元百首歌めされけるついてによませ給ける
後宇多院御製
元亨三年八月十五夜、五十首歌めされけるついてに、夏月
後宇多院御製
嘉元百首歌めされけるついてに、おなし心を
後宇多院御製
元亨元年九月廿六日、亀山殿にてうへのをのことも題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、おなし心をよませ給うける
後宇多院御製
嘉元百首歌めしけるついてに、同し心を
後宇多院御製
弘安七年九月九日、亀山院に、籬菊露芳と云事を講せられけるに、位におまし〳〵ける時奉らせ給ける
後宇多院御製
元亨三年八月十五夜、月五十首歌めされけるついてに
後宇多院御製
元亨三年八月十五夜、月五十首歌めされけるついてに、恋月
後宇多院御製
元亨元年九月廿六日、亀山殿にてうへのをのことも題をさくりて歌つかうまつりけるついてに、時雨雲といふことをよませ給うける
後宇多院御製
亀山殿にて、山家冬朝と云ことをよませ給うける
後宇多院御製
元亨三年八月十五夜、月五十首歌講せられけるついてに、秋月といへる事をよませ給うける
後宇多院御製
元亨元年九月、亀山殿にて、人々題をさくりて五十首歌つかうまつりけるついてに、納涼の心をよませ給ける
後宇多院御製
元亨三年、亀山殿にて、人々題をさくりて七百首歌つかうまつりけるついてに、羇中鐘と云事をよませ給うける
後宇多院御製
文保三年、後宇多院に百首の歌奉りける時、春のはしめの歌
後照念院関白太政大臣
元亨三年八月十五夜、後宇多院に月五十首歌めされける時、雑月
二品法親王覚助
後宇多院に十首歌たてまつりける時、歳暮急といふ事を
二品法親王覚助
御使は、一・二日に隔てず承るにも、「見給はましかば」とのみ悲しきに、京極の女院と申すは、実雄の大臣の御女、当代の后、皇后宮とて、御おぼえも人にはことにて、春宮の御母にておはします上は、御身柄といひ、御年といひ、惜しかるべき人なりしに、常は物の怪にわづらひ給へば、「また、このたびもさにや」など、みな思ひたるに、「はや御こときれぬ」と言ひ騒ぐを聞くにも、大臣の歎き、内の御思ひ、身に知れていと悲し。
御使は、一・二日に隔てず承るにも、「見給はましかば」とのみ悲しきに、京極の女院と申すは、実雄の大臣の御女、当代の后、皇后宮とて、御おぼえも人にはことにて、春宮の御母にておはします上は、御身柄といひ、御年といひ、惜しかるべき人なりしに、常は物の怪にわづらひ給へば、「また、このたびもさにや」など、みな思ひたるに、「はや御こときれぬ」と言ひ騒ぐを聞くにも、大臣の歎き、内の御思ひ、身に知れていと悲し。
元亨四年五月後宇多院に十首歌奉りける時、おなし心を
民部卿為藤
元亨四年五月後宇多院に十首歌奉ける時、おなし心を
忠房親王
元亨四年正月、後宇多院に十首歌奉ける時、初春の心を
民部卿為藤
嘉元々年後宇多院に百首歌奉ける時、春雪
民部卿為藤