承久元年、内裏の百番歌合に、野徑霞といふことを
順徳院御歌
承久元年、内裏の十首の歌合に、野徑霞
前中納言定家
承久元年十首の歌合に曉時鳥といふ事を詠ませ給うける
順徳院御製
承久二年内裏にて、待月と云ふことを講ぜられけるに
從二位家隆
承久二年土御門院に奉りける三首の歌に、夜長増戀
前中納言定家
いにし承久三年の秋のころ、中御門中納言宗行ときこえし人の、罪ありて東へ下られけるに、この宿に泊りけるが、「昔は南陽縣の菊水、下流を汲みて齡をのぶ、今は東海道の菊川、西岸に宿して命を失ふ」と、ある家の柱に書かれたりけりと聞きおきたれば、いとあはれにて、その家をたづぬるに、火の爲に燒けて、かの言の葉も殘らずと申す者あり。
承久元年内裏十首の歌合に、秋夕露を
入道前太政大臣
承久二年内裏にて、待月といふことをつかうまつりける
正三位知家
承久二年十月、光明峰寺入道前摂政、大井河の紅葉見にまかり侍けるに、つかはされける
順徳院御歌
承久元年内裏十首の歌合に、秋夕露を
入道前太政大臣
承久二年内裏にて、待月といふことをつかうまつりける
正三位知家
承久二年十月、光明峰寺入道前摂政、大井河の紅葉見にまかり侍けるに、つかはされける
順徳院御歌
承久元年内裏歌合に、聞擣衣といふ事を
後久我太政大臣
承久元年内裏十首歌合に、野径霞
常磐井入道前太政大臣
承久元年七月歌合に、暮春雨と云事をよませ給うける
順徳院御製
承久元年内裏歌合に、鶯帰谷と云ことを
藤原信実朝臣
承久三年内裏歌合に、聞擣衣といふ事を
光明峰寺入道前摂政左大臣
承久三年八月、駒引上卿に参りて侍ける時、前中納言定家参議にてまいりて侍けるに、殿上の硯にてひあふきのつまに書つけて出ける車につかはしける
常盤井入道前太政大臣
承久元年六月、八条院御忌日に蓮華心院にまいりて、思ひ出る事おほくて女房のなかに申つかはしける
前中納言定家