後深草院七月に隱れ給ひての又の年の九月龜山院失せ給ひにければ
伏見院御歌
後深草院隱れ給ひての年神無月の始つ方圓光院入道前關白の許より文を奉るとて冬にも程なくなりぬる事に思ひ咎めらるゝ由申して侍りける御返事のついでに
後深草院の御事覺し召し出でゝ七月十六日、月のあかゝりけるに詠ませ給うける
伏見院御製
後深草院位御時、花のさかりに上達部殿上人鞠つかうまつりけるを御覧せられけるよしきこしめして、松枝にまりつけて奉らせ給とてむすひつけさせ給うける
後嵯峨院御製
後深草院の御時、山階入道前左大臣、大納言に侍けるか、九月十三日参りて、暮ぬ程に出侍けれは申つかはしける
少将内侍
後深草院御前にて人々におほみきたまはせける時、御さかつきまいらせけるに、歌つかうまつるへきよし仰こと有けれは
前大納言為氏
遊義門院かくれさせ給て後、後深草院の御忌日に法花堂へ御幸ありてよませ給うける
院御製
たまつさと申しやうのこと、後深草院に侍けるを、後には永福門院へ奉らせ給へきよし申をかせ給けれは、かくれさせ給て後御忌なとはてゝ、かの御ことを奉らせ給とて
院御製
後深草院御葬送の夜、昔折〳〵のみゆきにつかうまつりし事なと思ひ出てよみ侍ける
入道前太政大臣
八月はかり、後深草院法華堂へはしめて参り侍けるに、いまたふみなれぬしはのした道をはる〳〵とわけ侍に、御堂にまいりつきなん哀もかつ〳〵思ひやられて思ひつゝけける
入道前太政大臣
後深草院かくれさせ給にける年の長月の十日あまり、永陽門院御くしおろさせ給ける夜うち時雨侍けれは
玄輝門院右京大夫
亀山院かくれさせ給にし比、去年の秋後深草院うせさせ給しを、又程なく哀なる御ことなと女房の中へ申送り侍とて
前大納言為兼
後深草院御時、五節はてゝ官庁より閑院へ還御なりて後よみ侍ける
弁内侍
後嵯峨院御出家の時、御戒師に参りて侍ける、又後深草院御くしおろさせ給けるに、おなしやうに参りて思つゝけける
二品法親王尊助
後深草院御灌頂長講堂にて侍けるに、とらの時の水とらせ給はんとて、六条若宮の閼伽井に臨幸の時よみ侍ける
前大僧正公什
後深草院の御位のはしめ、黒木の屋へむかひて侍けるに、かみあけのくしをとりおとして官庁の房へこひにつかはしたりけるに、これもさしあふよし申侍ける程に、こともよく成ぬとたひ〳〵せめられけれは、弁内侍か許へよみてつかはしける
少将内侍
十一日は行幸、十二日は御逗留、十三日還御などはひしめけども、御所の内はしめじめとして、いと取り分きたるものの音音対面ありて、かたみに御涙ところ狭き御気色も、「よそさへ露の」と申しぬべき心地ぞせし。
十一日は行幸、十二日は御逗留、十三日還御などはひしめけども、御所の内はしめじめとして、いと取り分きたるものの音音対面ありて、かたみに御涙ところ狭き御気色も、「よそさへ露の」と申しぬべき心地ぞせし。
新院、御歎きなべてには過ぎて、夜昼御涙の暇なく見えさせ給へば、さぶらふ人々も、よその袖さへ絞りぬべきころなり。
新院、御歎きなべてには過ぎて、夜昼御涙の暇なく見えさせ給へば、さぶらふ人々も、よその袖さへ絞りぬべきころなり。
人よりことに侍る歎きのあまりにや、日ごとに御墓に参りなどしつつ、重ねて実定の大納言をもちて、新院へ申さる。