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靜妙法師延暦寺の執當解却せられて後、日吉の地主權現にまうでゝ終夜祈請しけるに夢のうちに、寳殿のうちより詠ませせさ給ひけるとなむ。



延暦寺戒壇さらに造りて澄覺法親王受戒おこなひける時思ひつゞけゝる

法印源全



五言,登延曆寺,拜澄和尚像 一首 良安世



延暦寺と名たり。



其の時に、山階寺の大衆、此の事を聞て、「多武の峰は大織冠の御廟也。然れば、尤も山階寺の末寺にこそ有るべけれ。何かでか延暦寺の末寺には成さるべきぞ」と云ひ喤り合て、殿下に此の由を訴へ申ければ、殿、前に延暦寺の末寺と為べき由、申し請しに依て、「既に仰せ下し畢ぬ」と仰せられて、承引無かりければ、叶わずして止にけり。



而る間、横川の慈恵僧正、天台座主として、殿下の御修法して、法性寺に有けるに、彼の法師、木を伐るままに、法性寺に急ぎ参て此の由を座主に申ければ、其の時に、座主、肩を並ぶる人無かりけるに、大きに嗔て、良算を召しに遣たりければ、良算、「我は山階寺の末寺の司也。何の故に、天台座主、我を心に任て召すべきぞ」と云て、放言して参らざりければ、座主、弥よ嗔て、山の所司を呼下して、其れを以て祇薗の神人等・代人等の延暦寺に寄する寄文を書儲て、「其れに判を加へよ」と、押責ければ、神人等責められ侘て、判を加へてけり。



然て、睿荷を別当に成して執行せしめけるに、其の後、山階寺の大衆発て、公家に訴へ申す様、「祇薗は往古の山階寺の末寺也。寺の其れをば、何かでか恣に延暦寺に押取られむ。速に本の如く山階寺の末寺と為すべき由を仰下さるべし」と、度々訴へ申しける程に、御裁許の遅々しけるにや、山階寺の若干の大衆、京上して、勧学院に着けり。



止住延曆寺、師事傳敎大師。
延曆寺に止住し、傳敎大師に師事す。