Весна
1
Лето
1
Осень
0
Зима
1
Любовь
10
Благопожелания
0
Странствия
0
Разлука
0
Скорбь
0
Буддийское
0
Синтоистское
7
Разное
7
Иное
0
三熊野之
浦乃濱木綿
百重成
心者雖念
直不相鴨
みくまのの
うらのはまゆふ
ももへなす
こころはもへど
ただにあはぬかも
Как сотнями рядов гнездятся листья
Цветов хамаю, что растут на берегах
У бухты дивной красоты — Куману,
Так велика тоска на сердце о тебе,
И все ж с тобой наедине нам не встречаться!
* Песни 496, 497 сложены Какиномото Хитомаро во время путешествия по стране Кии.
* Хамаю (совр. хамаомото”, Crinum japonicum) — многолетнее вечнозеленое растение с длинными узкими листьями, растущими густыми рядами; цветет крупными белыми соцветиями, как дикие лилии.
嶋隠
吾榜来者
乏毳
倭邊上
真熊野之船
しまがくり
わがこぎくれば
ともしかも
やまとへのぼる
まくまののふね
Когда к островам
Довелось мне причалить,
Как завидовал я
Кораблям из Куману,
Плывущим в Ямато!
* Ямато — центральная провинция Японии, родина поэта.
御食國
志麻乃海部有之
真熊野之
小船尓乗而
奥部榜所見
みけつくに
しまのあまならし
まくまのの
をぶねにのりて
おきへこぐみゆ
Быть может, это рыбаки Сима,
Страны, что дань приносит рыбою и рисом.
Мне видно, как плывут
На море их ладьи,
Что мастерами сделаны в Куману!
* Рыбаки Сима — приносили дань морскими продуктами для стола государя (см. п. 934). В “Энгисики” установлены сроки подношений.
* Ладьи, корабли из Куману — местности, славившейся кораблестроением.
曾良来リテよし野ゝ花を尋て、熊野に詣侍るよし。
曾良そら来リテよし野ゝ花をたづねて、熊野にまうではべるよし。
Пришел Сора, рассказал, как любовался цветами Ёсино и ходил паломником в Кумано.

くまの路や
分つゝ入ば
夏の海
くまのじや
わけつついれば
なつのうみ
Тропы Кумано.
Бредешь все дальше, и вдруг
Летнее море.
熊野古道 - сеть паломнических троп в Кумано
されば、熊野にても、日根といふ所にて、「旅寝の夢に見えつるは」とも詠むぞかし。

Так, по пути в Кумано, в одном месте, называемом Хинэ, он сложил: “Увидел во сне во время ночлега в пути...”

79. Кумано — общее название для трех буддийских храмов (Кумано санся), расположенных в префектуре Вакаяма: Кумано Хонгу тайся (посвящен божеству-ками Сусано:-но микото); Кумано Хаятама тайся (посвящен божеству Кумано Хаятама-но ками); Кумано Нати тайся (посвящен божеству Кумано Фусуми-но ками). Изначально известны были как синтоистские храмы, но, начиная с эпохи Хэйан, отождествлялись с Чистой землей — буддийским раем. Это свидетельствует о синкретизме религий. Ками рассматривались как местные манифестации Будды Амиды (гонгэн), и в этом контексте храмы Кумано назывались сансё: гонгэн.
80. Хинэ — местечко в районе Хинэ, в провинции Идзумо.
81.“Увидел во сне во время ночлега в пути...” — Цитата из стихотворения из сочинения Ямато моногатари (название на русский язык обычно не переводится, середина X в.), кроме того, это стихотворение вошло в восьмую императорскую антологию Синкокинвакасю:, или Синкокинсю: (“Новое собрание старых и новых песен Японии”), составленную в 1206 г. и пересмотренную в 1210 г. выдающимся поэтом Фудзивара Тэйка (Садаиэ) (1162-1241) и другими:
Прилег в пути отдохнуть,
И во сне родные мои
Мне привиделись.
Это, верно, они упрекают меня,
Что я не навещаю их более.
(Перевод Л. М. Ермаковой)
Комментаторы отмечают, что слово табинэ — “ночлег в пути” фонетически перекликается с названием местечка Хинэ, где была написана эта песня.
熊野へ詣で給ひける時、道に花の盛りなりけるを御覧じて

白河院御歌
熊野へ詣で給ひける時、道に花の盛りなりけるを御覧じて

白河院御歌
Сиракава-но ин

浦廻榜
<熊>野舟附
目頬志久
懸不思
月毛日毛無
うらみこぐ
くまのぶねつき
めづらしく
かけておもはぬ
つきもひもなし
Замечателен корабль из Куману,
Что у бухты огибает берега.
Замечательна любимая моя,
Не бывает месяца и дня,
Чтобы я не восхищался ею!
* В старину местность Куману славилась изготовлением замечательных кораблей.
みくまのの
浦のはまゆふ
ももへなる
心はおもへと
たたにあはぬかも
みくまのの
うらのはまゆふ
ももへなる
こころはおもへと
たたにあはぬかも


み熊野の
浦よりをちに
こぐ舟の
我をばよそに
へだてつるかな
みくまのの
うらよりをちに
こぐふねの
われをばよそに
へだてつるかな
Словно ладья,
Что уплывает вдаль,
Оставив позади залив Кумано,
Все больше отдаляешься
Ты от меня.

白河院熊野に詣で給へりける御ともの人々、塩屋の王子にて歌よみ侍りけるに

徳大寺左大臣(徳大寺実定)
白河院熊野に詣で給へりける御ともの人々、塩屋の王子にて歌よみ侍りけるに

徳大寺左大臣(徳大寺実定)
Санэёси

熊野に参りて奉り侍りし

太上天皇
熊野に参りて奉り侍りし

太上天皇
Готоба-но ин

熊野へ詣で侍りしに、岩代の王子に人々の名など書き付けさせて、しばし侍りしに、拝殿の長押に書き付けて侍りし歌

読人しらず
熊野へ詣で侍りしに、岩代の王子に人々の名など書き付けさせて、しばし侍りしに、拝殿の長押に書き付けて侍りし歌

読人しらず
Неизвестный автор

熊野の本宮焼けて、年のうちに遷宮侍りしに参りて

太上天皇
熊野の本宮焼けて、年のうちに遷宮侍りしに参りて

太上天皇
Готоба-но ин

熊野へ參るとて人の許にいひつかはしける

道命法師

Домё-хоси

熊野へまうでけるみちにて月をみてよめる

道明法師



熊野へまうで侍りけるに住吉にて經供養すとてよみ侍りける

増基法師

Дзоки-хоси

那智の滝は、熊野にありと聞くがあはれなるなり。

Водопад На̀ти находится в Кумано̀, и это придает ему особое очарование.

熊野へまゐり侍りける道にて吹上の濱を見て

懷圓法師



夏、熊野へまゐりけるに、いはたと申す所にすずみて、下向しける人につけて、京へ、西住上人のもとへつかはしける



承安元年六月一日、院、熊野へまゐらせ給ひける跡に、すみよしに御幸ありけり、修行しまはりて、二日、かの社にまゐりたりけるに、すみのえあたらしくしたてたりけるを見て、後三条院のみゆき、神、思ひ出で給ひけんとおぼえてよみける



忘るなよ
忘るときかば
み熊野の
浦の濱ゆふ
恨みかさねむ
わするなよ
わするときかば
みくまのの
うらのはまゆふ
うらみかさねむ


くまのゝ道にて御心地例ならずおぼされけるに海士の志ほやきけるを御覽じて

花山院御製

Император Кадзан

熊野へ參る道にて月を見てよめる

少輔



三熊野の
浦の濱ゆふ
いく代へぬ
逢はぬ泪を
袖にかさねて
みくまのの
うらのはまゆふ
いくよへぬ
あはぬなみだを
そでにかさねて


熊野にまうで侍りしついでに、切目宿にて、海辺眺望といへる心を、をのこどもつかうまつりしに

具親
熊野にまうで侍りしついでに、切目宿にて、海辺眺望といへる心を、をのこどもつかうまつりしに

具親
Томотика

修行にいてて熊野にまうて侍りける時、人につかはしける

道命法師
修行にいてて熊野にまうて侍りける時、人につかはしける

道命法師
Домё-хоси

院の熊野にまゐらせおはしましける時御迎にまゐりてたびの床の露けかりければよめる

太宰大貳長實

Дайни Нагадзанэ

屏風に、みくまののかたかきたる所

かねもり
屏風に、みくまののかたかきたる所

かねもり
Канэмори

もかみ川
せせのいはかと
わきかへり
おもふこころは
おほかれと
行かたもなく
せかれつつ
そこのみくつと
なることは
もにすむ虫の
われからと
おもひしらすは
なけれとも
いはてはえこそ
なきさなる
かたわれ舟の
うつもれて
ひく人もなき
なけきすと
浪のたちゐに
あふけとも
むなしき空は
みとりにて
いふこともなき
かなしさに
ねをのみなけは
からころも
おさふる袖も
くちはてぬ
なにことにかは
あはれとも
おもはん人に
あふみなる
うちいてのはまの
うちいてつつ
いふともたれか
ささかにの
いかさまにても
かきつかん
ことをはのきに
ふくかせの
はけしきころと
しりなから
うはの空にも
をしふへき
あつさのそまに
みや木ひき
みかきかはらに
せりつみし
むかしをよそに
ききしかと
わか身のうへに
なりはてぬ
さすかに御代の
はしめより
雲のうへには
かよへとも
なにはのことも
久かたの
月のかつらし
をられねは
うけらか花の
さきなから
ひらけぬことの
いふせさに
よもの山へに
あくかれて
このもかのもに
たちましり
うつふしそめの
あさころも
花のたもとに
ぬきかへて
後のよをたにと
おもへとも
おもふ人人
ほたしにて
ゆくへきかたも
まとはれぬ
かかるうき身の
つれもなく
へにける年を
かそふれは
いつつのとをに
なりにけり
いま行すゑは
いなつまの
ひかりのまにも
さためなし
たとへはひとり
なからへて
すきにしはかり
すくすとも
夢にゆめみる
心ちして
ひまゆく駒に
ことならし
さらにもいはし
ふゆかれの
をはなかすゑの
露なれは
あらしをたにも
またすして
もとのしつくと
なりはてん
ほとをはいつと
しりてかは
くれにとたにも
しつむへき
かくのみつねに
あらそひて
なほふるさとに
すみのえの
しほにたたよふ
うつせかひ
うつし心も
うせはてて
あるにもあらぬ
よのなかに
又なにことを
みくまのの
うらのはまゆふ
かさねつつ
うきにたヘたる
ためしには
なるをの松の
つれつれと
いたつらことを
かきつめて
あはれしれらん
行すゑの
人のためには
おのつから
しのはれぬへき
身なれとも
はかなきことも
雲とりの
あやにかなはぬ
くせなれは
これもさこそは
みなしくり
くち葉かしたに
うつもれめ
それにつけても
つのくにの
いく田のもりの
いくたひか
あまのたくなは
くり返し
心にそはぬ
身をうらむらん
もかみかは
せせのいはかと
わきかへり
おもふこころは
おほかれと
ゆくかたもなく
せかれつつ
そこのみくつと
なることは
もにすむむしの
われからと
おもひしらすは
なけれとも
いはてはえこそ
なきさなる
かたわれふねの
うつもれて
ひくひともなき
なけきすと
なみのたちゐに
あふけとも
むなしきそらは
みとりにて
いふこともなき
かなしさに
ねをのみなけは
からころも
おさふるそても
くちはてぬ
なにことにかは
あはれとも
おもはむひとに
あふみなる
うちいてのはまの
うちいてつつ
いふともたれか
ささかにの
いかさまにても
かきつかむ
ことをはのきに
ふくかせの
はけしきころと
しりなから
うはのそらにも
をしふへき
あつさのそまに
みやきひき
みかきかはらに
せりつみし
むかしをよそに
ききしかと
わかみのうへに
なりはてぬ
さかすにみよの
はしめより
くものうへには
かよへとも
なにはのことも
ひさかたの
つきのかつらし
をられねは
うけらかはなの
さきなから
ひらけぬことの
いふせさに
よものやまへに
あくかれて
このもかのもに
たちましり
うつふしそめの
あさころも
はなのたもとに
ぬきかへて
のちのよをたにと
おもへとも
おもふひとひと
ほたしにて
ゆくへきかたも
まとはれぬ
かかるうきみの
つれもなく
へにけるとしを
かそふれは
いつつのとをに
なりにけり
いまゆくすゑは
いなつまの
ひかりのまにも
さためなし
たとへはひとり
なからへて
すきにしはかり
すくすとも
ゆめにゆめみる
ここちして
ひまゆくこまに
ことならし
さらにもいはし
ふゆかれの
をはなかすゑの
つゆなれは
あらしをたにも
またすして
もとのしつくと
なりはてむ
ほとをはいつと
しりてかは
くれにとたにも
しつむへき
かくのみつねに
あらそひて
なほふるさとに
すみのえの
しほにたたよふ
うつせかひ
うつしこころも
うせはてて
あるにもあらぬ
よのなかに
またなにことを
みくまのの
うらのはまゆふ
かさねつつ
うきにたへたる
ためしには
なるをのまつの
つれつれと
いたつらことを
かきつめて
あはれしれらむ
ゆくすゑの
ひとのためには
おのつから
しのはれぬへき
みなれとも
はかなきことも
くもとりの
あやにかなはぬ
くせなれは
これもさこそは
みなしくり
くちはかしたに
うつもれめ
それにつけても
つのくにの
いくたのもりの
いくたひか
あまのたくなは
くりかへし
こころにそはぬ
みをうらむらむ


さしなから
人の心を
見くまのの
うらのはまゆふ
いくへなるらん
さしなから
ひとのこころを
みくまのの
うらのはまゆふ
いくへなるらむ


幾返り
つらしと人を
み熊野の
恨めしながら
戀しかるらむ
いくかへり
つらしとひとを
みくまのの
うらめしながら
こひしかるらむ


み熊野に
駒の躓く
青つゞら
君こそまろが
ほだしなりけれ
みくまのに
こまのつまづく
あをつづら
きみこそまろが
ほだしなりけれ


於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、熊野久須毘命。自久下三字以音。
吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、熊野久須毘くまのくすび命。
И вот, имя божества, что явилось из тумана-дыхания [его уст, было] Кумано кусуби-но микото — Бог-Диковинный Дух из Кумано.
Три иероглифа, начиная с 久 читаются по звукам.

和田の原
なみと一つに
みくまのゝ
浦の南は
山のはもなし
わたのはら
なみとひとつに
みくまのの
うらのみなみは
やまのはもなし


みくまのゝ
浦わの松の
手向草
いくよかけきぬ
浪の白ゆふ
みくまのゝ
うらわのまつの
たむけぐさ
いくよかけきぬ
なみのしらゆふ


梅雨の
程も社ふれ
三吉野の
みくまの菅を
けふや刈らまし
うめあめの
ほどもこそふれ
みよしのの
みくまのすげを
けふやからまし


みくまのの
はまゆふおふる
うらさびて
人なみなみに
としぞかさなる
みくまのの
はまゆふおふる
うらさびて
ひとなみなみに
としぞかさなる


みくまのの
むなしきことは
あらじかし
むしたれいたの
はこぶあゆみは
みくまのの
むなしきことは
あらじかし
むしたれいたの
はこぶあゆみは


通來し
野中の清水
かきたえて
くまぬにしもぞ
袖は濡ける
かよひこし
のなかのしみづ
かきたえて
くまぬにしもぞ
そではぬれける


世をてらす
影と思へば
熊野山
こゝろの空に
すめる月かな
よをてらす
かげとおもへば
くまのやま
こころのそらに
すめるつきかな


熊野に參らせ給ひける時住吉にて三首の歌講ぜられける次でに

後鳥羽院御製

Готоба-но ин

熊野に參らせ給ひける時よませ給ひける

白河院御製

Император Сиракава

左近中將維盛熊野の浦にて失せにける由聞きてよみ侍りける

建禮門院右京大夫



是は和泉式部熊野へまうでたりけるに、さはりにて奉幣かなはざりけるに、晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月の障りとなるぞかなしきとよみてねたりける夜の夢につげさせ給ひけるとなむ。



悲しくも
斯る憂き目を
三熊野の
浦わの波に
身を沈めける
かなしくも
かくるうきめを
みくまのの
うらわのなみに
みをしずめける


仕へつゝ
思ひしよりも
三熊野の
かみの惠ぞ
身に餘りぬる
つかへつつ
おもひしよりも
みくまのの
かみのめぐみぞ
みにあまりぬる


熊野御山にて兩人を戀ふと申すことをよみけるに、人にかはりて



人まねの
熊野まうでの
わが身かな
ひとまねの
くまのまうでの
わがみかな


今昔、熊野に参る二人の僧有けり。



蜑小舟
我をばよそに
み熊野の
浦よりをちに
遠ざかりつゝ
あまをぶね
われをばよそに
みくまのの
うらよりをちに
とほざかりつつ


みくまのの
浦のはまゆふ
いくかへり
春をかさねて
かすみきぬらむ
みくまのの
うらのはまゆふ
いくかへり
はるをかさねて
かすみきぬらむ


三熊野の
うらの浜ゆふ
うらみても
つらき心を
いくへとかしる
みくまのの
うらのはまゆふ
うらみても
つらきこころを
いくへとかしる


読をきて侍ける釈教の歌を、熊野へ奉ける中に、同品を

法眼源承



熊野御幸卅二度の時、御前にておほしめしつゝけさせ給うける

後白河院御製



忘るなよ
雲は都を
へたつとも
なれて久しき
みくまのゝ月
わするなよ
くもはみやこを
へたつとも
なれてひさしき
みくまののつき


しは〳〵も
いかゝ忘れん
君をまもる
心くもらす
みくまのゝ月
しはしはも
いかかわすれん
きみをまもる
こころくもらす
みくまののつき


御熊野の
南の山の
滝つ瀬に
三とせそぬれし
苔の衣手
みくまのの
みなみのやまの
たきつせに
みとせそぬれし
こけのころもで


熊野新宮にてよみ侍ける

中原師光朝臣



君か代を
神もさこそは
みくまのゝ
なきの青葉の
ときはかきはに
きみかよを
かみもさこそは
みくまのの
なきのあをばの
ときはかきはに


建長二年三月、熊野に御幸有し時、まいりて岩代の松に昔を思出て書付侍ける

前太政大臣



とへと思ふ
心そたえぬ
忘るゝを
かつみくまのゝ
浦の浜ゆふ
とへとおもふ
こころそたえぬ
わするるを
かつみくまのの
うらのはまゆふ


熊野にまうてける道にかき付侍ける歌の中に

源有長朝臣



法印良守、熊野廿首歌とてすゝめ侍けるに、雪を

藤原季宗朝臣



みくまのや
いくへか雪の
つもるらん
跡たにみえす
浦のはまゆふ
みくまのや
いくへかゆきの
つもるらん
あとたにみえす
うらのはまゆふ


住吉社の遷宮の後、くまのにまうてゝ侍しついてに、かの社によみて奉りしうた

太上天皇



くまのにまうて侍ける時、かんのくらにて太政大臣従一位きはめぬる事を思ひつゝけてよみ侍ける

入道前太政大臣



み熊野の
神くら山の
石たゝみ
のほりはてゝも
猶祈るかな
みくまのの
かみくらやまの
いしたたみ
のほりはてても
なほいのるかな


人のすゝめて、くまのへよみて奉りける

式乾門院御匣



熊野にまうて侍しついてに、住吉にて浦の松を

太上天皇



熊野にまうて侍とて、石代浜にてよみ侍ける

前中納言資実



熊野にまうて侍ける時、うへのにてよみ侍ける