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世尊不説之説、迦葉不聞之聞と云へる心を

夢窓國師



五人と云は、一をば憍陳如、二をば摩訶迦葉、三をば頞鞞、四をば跋提、五をば摩男拘利と云ふ。



「何の故にか此の五人なる」と尋ぬれば、昔、迦葉仏の世に、同学の人九人有き。



又、富楼那・須菩提・迦葉等の弟子を遣すに、皆各至て、光を放て、神通を現ず。



其の時に、仏*、彼の勝義を教化せむが為めに、頭陀第一の迦葉を遣はすに、迦葉、其の家に至り給ひて、物を乞ひ給ふ。


* 釈迦
目連、答て云く、「勝義が家、貧くして、一塵の貯へ無し。城の九億の家毎に行て、物を乞ふて世を過す。而るに、今日、迦葉尊者、勝義が家に行て物を乞ふに、夫、貯へ無きに依て供養せず。妻有て、夫妻の中に麻の衣一領有るを、惜しまずして供養せり。仏、此れを見て、讃歎して放ち給へる所の光也」と。



其の時に、阿難・舎利弗・迦葉・目連等の御弟子等、此の事を怪むで、仏に白して言さく、「何の故に有てか、仏懃に此の卒堵婆を礼拝し給ふ。仏は人にこそ礼拝せられ給へ。仏より外に、何物か勝れて貴き思ひを成すべき」と。



舎利弗・目連・阿難・迦葉等の御弟子も、「今日は留り給へ」と申し給ふに、仏、説て宣はく、「否や。汝等、極て愚也。一言の詞を交へ、一宿の契を成す事は、皆是れ前世の業因也。家の主、善く聞け。汝ぢ、先生に人と生れたりしに、人に捨られて、寒の為に死ぬべかりき。其の時に、我れ、汝を取て、身に付て、六日が間温めて、命を助けき。七日と云ふ朝に、汝ぢ、寒さに堪へずして、遂に死にき。其の故に、我れ汝が家に、六日宿して供養を受く。此れに依て、我れ、今日此の家に留まるべからず」と宣て、耆闍崛山に還り給ひぬ。



今昔、天竺に迦葉尊者、里に出でて乞食し給ひけり。



迦葉、其所に至て、食を乞ふ。



迦葉の宣はく、「此れ吉し。速に施すべし」と。



迦葉、此の水を受て飲給ひつ。



迦葉、老母に告て宣はく、「汝ぢ、此の善根を以て、願ふ所何に事ぞや。転輪聖王の身をや願ふ。帝釈をや願ふ。四天王をや願ふ。人身をや願ふ。仏身をや願ふ。菩薩をや願ふ」と。



既に天に生れて、天女思はく、「我れが天に生て、快楽を受る事は、迦葉を敬ひしに依て也。我れ、其の恩を報ぜむ」と思て、侍者の天女を引具して、香・花を持て、天より下て、迦葉を供養し奉りけり。



仏、阿難に告て宣はく、「昔し、迦葉仏の涅槃に入給て後、迦□王*有て、仏の舎利を取て、四宝の塔を起てき。其の時に、一人の長者有りき。王の此の塔を起るを見て、心随喜を成して、一の金の銭を以て、塔の下に置て、願を起して去にき。其の銭を置し人は、今の宝手此れ也。此の功徳に依て、其の後、悪道に堕ちずして、天上人中に生れて、常に金の銭を把て、其の福無量にして、楽を受く。只今、我れに値て、出家して、道を得る也」と、説き給けり。


* 底本頭注「迦□王ハ迦翅王ナラン」
然れば、瓶沙王、昔、迦葉仏の世に、九万三千の人を教て、塔を修治せしめき。



仏、阿難に告て宣はく、「昔、迦葉仏の涅槃に入給て後、二人の長者有りき。塔を起て、衆僧を供養しき。其の塔、年久く成て、崩れ壊れたりき。其の時に一人の人有て、千八百人の下性*の人を勧て、仕て其の塔を修治して、衣食床臥の具を以て、衆僧を供養して、道心に願を発して云く、『願くは、此の功徳を以て、当来世に福貴の所に生れ、亦、仏の出世に値て、法を聞て、勝果を得む』と。昔し、破たる故き塔を修治して、衆僧を供養せし人は、今の金地国の王、此れ也。其れより以来、悪道に堕ちずして、天上人中に生れて、常に福を得、楽を受る也。今、我れに値て、出家して道を得る也。亦、具する所の小王一万八千人、道を得る者も、皆、此れ往昔に其の塔を修治せし人也。此の果報に依て、皆、度脱を得る也」と説給けりとなむ、語り伝へたるとや。


* 底本頭注「性諸本姓ニ作ル」
神、答て宣はく、「我れ、昔、迦葉仏の世に人と生れて、鏡を磨て、世を過す人と有りき。而に、乞食の沙門、道に遇て、『何れか富める家』と問ひしに、我れ、手を以て富人の家を、『彼の富める家』と指を差て教たりき。其の果報に依て、今、手より甘露を降す報を得たる也」と。



仏の宣く、「昔、迦葉仏の時に、一の老女有き。諸の香を以て、油に和して、行て、塔に塗き。又、路の中に卅二人有き。此を勧めて、共に行て、塔に塗き。塗果て、願を発して云く、『生れむ所には、豪貴の人と生れて、常に母子と成て、仏に遇奉て、道を得む』と。其の後、五百世の中に豪貴の人と生れて、常に母子と成れる也。仏に遇奉るに依て、道を得る事此の如し」となむ語り伝へたるとや。



仏、阿難に告て宣はく、「昔、迦葉仏の時に、婆羅門有りき。一の男を生ぜり。名をば迦毗利と云き。其の児、智恵明了にして、聡明第一也。其の父死て後、母、児に問て云く、『汝ぢ、智恵朗か也。世間に汝に勝たる者、有や否や』と。児、答て云く、『沙門は我に勝たり。我れ疑ふ事有らば、行て沙門に問むに、我が為に悦て悟らしめてむ。沙門、若し我れに問ふ事有らば、我れは答ふる事能はじ』と。母の云く、『汝ぢ、何ぞ其の法をば習はざるぞ』と。児の云く、『我れ、其の法を習はば、沙門と成るべし。我れは、此れ白衣也。白衣には教えざる也』と。母の云く、『汝ぢ、偽て沙門と成て、其の法を習ひ得て後に、家に返るべし』と。児、母の教へに随て、比丘と成て、沙門の許に行て、法を問ひ習て、悟り得て家に返ぬ。



仏、阿難に告て宣はく、「乃往過去の迦葉仏の時に、一の長者有りき。比丘僧の為に寺を造て、飲食・衣服・臥具・医薬の四事を以、供養して、貧き事無からしめき。而に、長者死して後、其の寺破れ荒れて、人住まず。衆僧、皆散々に去ぬ。



仏、王に告て宣はく、「昔し、迦葉仏、涅槃に入給て後、此の長者、舎衛国に生れて、田家の子と有りき。其の前に一の辟支仏至て、食を乞ひき。此の長者、食を辟支仏に施して、願を発して云く、『我れ、此の善根を以て、世々に三塗に堕ちずして、常に財宝に富て、布施を行ぜむ」と誓き。



弟子等、国王に申して云く、「我等が師、獄に在まして、既に十二年を経給へり。此れ何なる咎と知らず。此の人は、既に羅漢果を得たり。舎利弗・目連・迦葉・阿難等と異ず。而るに、弟子等、此の人を失ひて、十二年の間尋ね求むと云へども、尋ね得る事能はず。今獄にして、相ひ見る事を得たり。願くは、大王、此れを免し給へ」と。



仏の御弟子、迦葉・目連・阿那律等の教化に依て、邪心を捨て、善の道に趣にけり。



今昔、天竺に、仏*、衆生を教化せむが為に、舎利弗・目連・迦葉・阿難等の御弟子五百人を、各諸国に分て遣すに、迦旃延は罽賓国に当れり。


* 釈迦
其の時に、迦葉菩薩、耆婆大臣を召て、仏の御病の相を問ひ給ふ。



迦葉菩薩、及び諸の大衆、大臣の言を聞て、歎き悲む事限無し。



*今昔、仏*の涅槃し給へる事を聞て、摩訶迦葉、狼跡山より出でて来る道に、一の尼乾子遇たり。


* 底本、標題に頭注「一本仏入涅槃後迦葉来給語ニ作ル」
* 釈迦
迦葉、尼乾子に問て云く、「汝ぢ、我が師の事を聞くや否や」と。



迦葉、此の事を聞て、泣き悲む事限無し。



迦葉、拘尸那城を指して行き給ふに、尼連禅河を渡て、天冠寺に至て、阿難の所に行て、阿難に語て云く、「我れ、仏を未だ葬し奉らざるを、今一度見奉らむと思ふ」と。



迦葉、此の如く、三度び「見奉らむ」と乞ふと云へども、阿難、前の如く答て許さず。



其の時に、迦葉、棺の所に向ふに、金の棺の中より、仏の二の御足を指出給へり。



迦葉、此れを見奉るに、御足の金色には無くて、異なる色也。



迦葉、此れを満て、奇むで、阿難に問て云く、「仏の御身は金色也。此れ、何の故にか異色なる」と。



其の時に、迦葉、棺に向て、泣々く礼拝す。



然れば、迦葉、仏の専の弟子に在すと云へども、仏の滅度に値給はざる人也となむ、語り伝へたるとや。



其の時に、迦葉、此れを見て、力士に告て宣はく、「仏の宝棺をば、三界の火を以て焼かむに能はじ。汝等が力を以て焼かむや」と。



其の時に、迦葉、諸の力士、及び大衆に告て宣はく、「汝等、当に知るべし。縦ひ一切の天人有て、仏の宝棺を焼かむに能はじ。然れば、汝等、強に焼き奉らむ事思はざれ」と。



今昔、天竺に、仏*の涅槃に入給て後、迦葉尊者を以て上座として、千人の羅漢、皆集り坐して、大小乗の経を結集し給ふ。


* 釈迦
然れば、迦葉、阿難を糺し、問給ふ。



亦、迦葉、問て云く、「汝ぢ、仏の涅槃に入給し時、水を汲て仏に奉らざりき。其の過如何」と。



亦、迦葉、問て云く、「仏、汝に問給ひき。『一劫に住すべしか、多劫に住すべしか』と。其の答を、汝ぢ、三度答申さざりき。其の過如何」と。



亦、迦葉、問て云く、「仏の涅槃し給ひし時、摩耶夫人、遥に忉利天より手を延べて、仏の御足を取て、涙を流し給ひき。其れに、汝ぢ、親しき御弟子として、制止を加へずして、女人の手を仏の御身に触れしめたる、其の過如何」と。



然れば、阿難の答ふる所、一々に過が無かりければ、迦葉、亦問ふ事無くして止り給ひぬ。



亦、千人の羅漢、霊鷲山に至て、法集堂に入る時、迦葉の云く、「千人の羅漢の中に、九百九十九人は既に無学の聖者也。只、阿難一人、有学の人也。此の人、時々、女引く心有り。未だ習ひ薄き人也。速に堂の外に出よ」と云て、立て曳出て、門を閉づ。



其の時に、阿難、堂の外にして、迦葉に申して云く、「我が有学なる事は、四悉檀の益の為也。亦、女の事に於て、更に愛の心無し。猶、我を入れて、座に着かしめよ」と。



迦葉の云く、「汝ぢ、猶習へる所薄し。速に無学の果を証せらば、入れて坐しめむ」と。



迦葉の云く、「無学の果を証せらば、戸を開けずと云ふとも、神通を以て入るべし」と。



羅漢の云く、「我が師の迦葉波如来*は、今何こにか御する」と。


* 迦葉仏
其の雄猿と云は、今の迦葉尊者也。



所謂る、其の五人と云は、拘隣比丘*・馬勝比丘・摩訶男・十力迦葉・拘利太子、此等也となむ、語り伝へたるとや。


* 憍陳如に同じ
僧都、「此れは何ぞの牛ぞ」と問ふに、牛答て云く、「我れは此れ迦葉仏也。而るに、此の関寺の仏法を助けむが為に、牛と成て此れる也」と云ふと見る程に、夢覚ぬ。



其れを、此の功徳を人に造らしむが為に、迦葉仏の牛の身と化して、人を勧め給ふ事、希有に貴き事也となむ、語り伝へたるとや。



「昔の大迦葉も此く様の姿にや在けむ」と押し量らる。



「迦葉、仏道に涅槃のぞむなり。智者、貴く結縁せよ」とぞ見えたりける。

"То будда Кашьяпа указывает путь к Нирване. Мудрец, давай же завяжем связь!"
仏道 — учение Будды
涅槃 — нирвана
結縁 — завязать связь

Кэтиэн, 結縁, — буддийское выражение. Человек «завязывает связь» с тем или иным буддой и тем самым создаёт предпосылки для спасения, часто ... (МОНАШЕСКИЙ И МИРСКОЙ ПУТИ В «СОБРАНИИИ СТАРОДАВНИХ ПОВЕСТЕЙ»
牛の言ふやう、「己は迦葉仏なり。しかるを、『この寺の仏を助けむ』とて、牛になりたるなり」と見て、夢覚めぬ。

А вол и отвечает: "Я будда Кашьяпа, увидел просьбу спасти будду этого храма, и стал волом!", — тут распорядитель и проснулся.