宝治元年二たひ摂政詔かうふりて、月くまなき夜、直廬に候てよみ侍ける
摂政前太政大臣
宝治二年、前大きおほいまうちきみの西園寺の家に御幸有て、帰らせ給御をくり物に代々のみかとの御本奉るとて、つゝみ紙に書付侍ける
前太政大臣
宝治二年百首歌奉りけるに、海眺望を
入道前太政大臣
宝治元年二たひ摂政詔かうふりて、月くまなき夜、直廬に候てよみ侍ける
摂政前太政大臣
宝治二年、前大きおほいまうちきみの西園寺の家に御幸有て、帰らせ給御をくり物に代々のみかとの御本奉るとて、つゝみ紙に書付侍ける
前太政大臣
宝治二年百首歌奉りけるに、海眺望を
入道前太政大臣
宝治二年、人々に百首歌めされけるついてに、行路柳をよませ給うける
後嵯峨院御製
宝治百首歌奉りけるに、聞郭公
常盤井入道前太政大臣
宝治二年百首歌奉りける時、重陽宴
常盤井入道前太政大臣
宝治二年百首歌めしけるついてに、瀉千鳥
後嵯峨院御製
宝治二年百首歌奉りける時、沢若菜をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成女
宝治元年八月十五夜五首歌講せられ侍ける時、名所月
万里小路前右大臣
寶治二年、母のいみにてさとに侍りしに、いはし水のりんじの祭り廿日おもひやりて、辨内侍、
寶治三年正月一日、寅時四方拜也。清凉殿へ出でさせ給ふ。