宝治元年二たひ摂政詔かうふりて、月くまなき夜、直廬に候てよみ侍ける
摂政前太政大臣
宝治二年、前大きおほいまうちきみの西園寺の家に御幸有て、帰らせ給御をくり物に代々のみかとの御本奉るとて、つゝみ紙に書付侍ける
前太政大臣
宝治二年百首歌奉りけるに、海眺望を
入道前太政大臣
宝治元年二たひ摂政詔かうふりて、月くまなき夜、直廬に候てよみ侍ける
摂政前太政大臣
宝治二年、前大きおほいまうちきみの西園寺の家に御幸有て、帰らせ給御をくり物に代々のみかとの御本奉るとて、つゝみ紙に書付侍ける
前太政大臣
宝治二年百首歌奉りけるに、海眺望を
入道前太政大臣
宝治二年百首歌めされけるついてに、春月
後嵯峨院御製
宝治百首歌たてまつりける時、河紅葉
冷泉前太政大臣
宝治五年十月大井河に御幸ありて、落葉満水といふことをよませ給うける
白河院御製
宝治百首歌奉りける時、江芦といふ事を
前大納言基良
宝治二年、後嵯峨院に百首歌奉りける時、朝鶯
前大納言為氏
宝治二年百首歌奉りける時、六月祓
皇太后宮大夫俊成女
宝治二年百首歌めしけるついてに、夜鹿
後嵯峨院御製
宝治二年、後嵯峨院に百首歌奉りける時、若草を
花山院前内大臣
宝治二年正月、後嵯峨院に、松色春久といへることを講せられけるに
岡屋入道前摂政太政大臣
宝治二年、後嵯峨院に百首歌奉りける時、春雪
山階入道前左大臣
宝治百首歌奉ける時、梅薫風と云ことを
太宰権帥為経
宝治二年百首歌奉りける時、初花
皇太后宮大夫俊成女
宝治二年百首歌めされけるついてに、湖月といへることをよませ給うける
後嵯峨院御製
宝治二年春日社歌合に、聞遠鹿と云ことを
前大納言為氏
宝治元年九月十三夜、仙洞にて、十首歌合に
後鳥羽院下野
宝治百首歌奉りけるに、寄関恋
常磐井入道前太政大臣
宝治元年九月十三夜内裏十首歌合に、遇不会恋
土御門入道前内大臣
宝治二年百首歌たてまつりける時、歳内立春といふ事を
前大納言為家
宝治二年、人々に百首歌めされけるついてに、行路柳をよませ給うける
後嵯峨院御製
宝治百首歌奉りけるに、聞郭公
常盤井入道前太政大臣
宝治二年百首歌奉りける時、重陽宴
常盤井入道前太政大臣
宝治二年百首歌めしけるついてに、瀉千鳥
後嵯峨院御製
宝治二年百首歌奉りける時、沢若菜をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成女
宝治元年八月十五夜五首歌講せられ侍ける時、名所月
万里小路前右大臣
寶治二年、母のいみにてさとに侍りしに、いはし水のりんじの祭り廿日おもひやりて、辨内侍、
寶治三年正月一日、寅時四方拜也。清凉殿へ出でさせ給ふ。